第32話


 各々の部屋に分かれた直後。




 新人衛兵はすっかり肩に力が入ってしまっていた。


 目の前でくつろぐディジャールを凝視し、その一挙手一投足に驚きを見せている。席を立つだけで剣を抜く始末であり、さすがのディジャールも苦笑する。



「そんなにビクビクしなくても、取って食うようなことしないって」



 それに対して新人は、あやふやに返事をする。剣を腰に納め、落ち着かない様子で席につくが、その緊張の面持ちは簡単にはほぐれそうにない。


「君さぁ……。それでも王国の衛兵なのだろう? もっと堂々としたらどう? 君の隊長みたいにさ」


 あれは少し堂々としすぎだけど、と小さく呟く。頬杖をついて話すディジャールとは対照的に、新人は両手を膝の上に置いて俯いていた。


「は、はい……。すみません」


「まあいいさ。ところで……」



 ディジャールは少し声色を落とし、隣の部屋に音が漏れないよう注意を払って言った。



「君とアフラムが今日追っていたヤツ、あれは誰だったの?」



 新人はディジャールの洞察力に驚いた。あの時は路地裏の壁に阻まれて、新人たちの方の様子は分からなかったはずである。あるのは指が通るほどの隙間だけで、そこから覗いてようやく新人は、ソリバたちの存在に気づけた。それを一瞬で見抜いたと言うのだろうか。


「あ、はい。なんかアフラムさんが言うには、イファニオン人だって」


「そう。で、何か得られたの?」


 意外とあっさりとした回答に、新人はたじろぎながら首の後ろを掻く。



「えーっと……。女の人だってことと、影隠れ? ってやつを使ったとか」




 影隠れ。それは高難易度の魔法であり、危険が伴うだけでなく、コストもかなりかかるものだった。体を影と同一化させ、闇に溶け込んで移動する。通常は逃亡などで使用されるものだが、影隠れに失敗して体の一部を溶かしたり、そのまま影から戻ることができなくなったりするなど、事故が後を絶たない。イファニオンでも、一般人はまず使わない魔法だった。


 (ということは、相手はかなり高等な術者……。女ならば尚更そうか)


 イファニオン人でも、魔法の技術力は個人によって差が生じる。下手な者は初歩的な魔法も使えないし、逆に才能がある者は、幼いころから高等な魔法を操ることが出来る。


 特に女は、魔法の才能に溢れた者が多かった。


 男の術者よりも寿命が長いし、少ないコストで大きな魔法を発動させることが出来る。先天的に女は魔法使いとして有利なのであった。


「でも、逃がしてしまったんだよね」


「はい。追いかけようかと思ったんですけど、急にいなくなって……。アフラムさんも、追いかけなくていいって言うんで」


「アフラムが? どうして?」


 彼の性格からすると、女を是が非でも捕えたいと思ったはずである。ましてやクリミズイ王国の方へ向かっているとなると、何としても止めるのが彼の信念であろう。


「なんか、あの女は脅威にならない、とか何とか……」


「……ふうん?」


 妙な話である。アフラムもイファニオンの出自であるから、影隠れの危険度も難易度も知っているはずだ。そこから相手の力量が判断できないほど、アフラムも馬鹿じゃない。


 では、何故女が脅威にならないと断言出来たのか。


 簡単に答えを出すならば、女はアフラムの知人であった、ということであろう。あのアフラムに限って恋人などいるはずもないが、知人の一つや二つはあっても不思議ではない。


 アフラムは女のことを知っていた。しかも一方的に、うっすらと知っていた。そう考えれば一連の行動に説明が付く。


 (女はアフラムのことを知らないだろうな。じゃなきゃ影隠れなんてするはずない)


 そこまで考えて、ディジャールはふと、自身が左大臣として働いていたことを思い出した。


 確かクリミズイ王国はイファニオンと同盟を結んでおり、ことあるごとに両国の王が対談していた。その度に、王の従者である高等魔法使いが宮殿に訪れていた。女はその時の連中の一人である、という可能性もある。顔が印象的だったか、雰囲気か。それによってアフラムが記憶していた場合もあった。




 (そういえば、確かティフル嬢は……)


「あの、もう眠りませんか? さすがに疲れてしまって……」




 新人がディジャールの思考を遮る。


「……ああ、そうか。私が寝ないと君が寝られないのか」



 再びディジャールは苦笑を見せ、その言葉に従って大人しくベッドに潜る。意識が落ちるまでの間、ずっとティフルのことを考えていた。



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