第26話

 アフラムは魔法で身体強化をして、半ば強引に走っていた。


 女は数メートルほど先を駆け抜けている。障害物の多い路地裏を軽々と躱して進んで行くところを見るに、ただの旅人ではないのだろう。


「で、でも! あの人がイファニオン人ってどうして分かるんですか!」


 少し遅れてついてくる新人衛兵が、息を切らして言った。アフラムは視線を女の方に向けて、苛立ちを隠さずに答える。


「寿命だ。あれには複数個の寿命の気配がある。恐らく今も……」


「えっ、え?」


「奴は魔法を使っている。無駄口を叩いている暇があったらさっさと追いかけろ!」


 その声に気が付いたのか、女は一瞬アフラムの方を振り返った。彼らの姿を視界に納めるや否や、さらに加速して逃亡を図る。距離がグンと広がった。



 (やはりイファニオン人だ。この方向はクリミズイ王国……。何を企んでいる?)



 思考回路を回しながら、アフラムもそっと加速する。身体強化の魔法はコストも少なく簡単である。だが使いすぎると、体に大きなダメージを負ってしまうものだった。身体強化と言っても、負荷を軽減して無理矢理に動かしているだけであり、無制限にエネルギーが生成されるわけではない。


 体力の戻りきっていないアフラムである。追いかけ続けるにも限度がある。乱闘になるかもしれない。しかしその場合、この一人の女にコストをかけても良いものなのだろうか。そんな迷いが浮かび上がる。


 第一、魔法を扱うのは女の方が上手い。命を宿す存在であるためか、イファニオン人でも特に女は高等な魔法使いとして名をはせることが多かった。それを加味して予測すると、圧倒的にアフラムが不利な状況である。それでも、戦う価値があるのかどうか。



 ふと、脳裏に荒廃したクリミズイ王国の姿がよぎった。それと同時に、こんな思考が流れ着く。



 (あの民衆の姿を見たら、陛下は何と言うだろうか)






 アフラムは眉間に皺を寄せて、息を吐く。それと同時に、魔法の光を放って一気に加速した。


「は、やっ」


 衛兵の声が後ろに取り残されていく。今の加速は、アフラムが出来る最大限のものだった。ここで捕まらなければ、もはや女に手は届かない。


 女は思わず振り返る。もう手が届きそうな所にまでアフラムが接近していた。咄嗟に魔法で女も加速を試みるが、埋められた差を戻すには数秒の時間がかかる。


 アフラムが手を伸ばす。が、ギリギリのところで女はローブを翻して躱した。彼の細い指先が宙を漂い、そこからぐんぐんと空間が広がっていく。


 (駄目か……!)


 女の背中が離れていく。たったの数秒で、もう一メートルほどの距離が出来てしまっていた。アフラムの呼吸も荒くなり、もはや届かなかったと諦めるしかない。



 そう思われた。



 突如として大きな爆発音が響き渡る。このすぐそばのようであった。どうやら気づかないうちに、ディジャール達のいるところに近づいていたようである。


 その爆発音とともに、女が左から衝撃を受けたように身をのけぞらせ、走っていた勢いのままに地面を転がっていく。


 何があったかとアフラムが衝撃の元の方を見ると、路地の壁の隙間から古い工房が見えた。指が二本ほど通るくらいの小さな穴である。どうやらそこから何か衝撃を食らったようだ。


 女はよほど受けた衝撃が強かったようで、地面に仰向けになって静止したまま動かない。気を失っているようだった。黒いフードと長い髪が顔にかかり、人相はうかがえなかった。


 アフラムはゆっくり減速をしながら、女の方へ近づいていく。


 (……王家に仕える者か)


 女の身に着けるローブの内側に、イファニオンの眷属であることを示す紋章が刻まれていた。その紋章があるということは、その女が国の命令を遂行する者であるということを意味している。


 アフラムは息を整えながら、膝をついて女の顔を確認しようと、フードをどけた。



「あれ? アフラムじゃない。何しているのさ」


 突然、路地の外からディジャールの呑気な声が聞こえてきた。先ほどの狭い隙間から声を掛けられたのであろう。するとそれに気が付いた女が目を覚まし、すぐに体を起こして体制を整える。


 女は立ち上がり、息をする間もなく黒いローブを翻した。女はそのまま影となって真っ黒な姿になり、地面に溶け込んでしまう。それをアフラムは止めることなく見ていた。



「はァ、はァ……ちょっと、速、すぎ、ですって……」


 後ろから衛兵が追いついてくるも、女の姿はもう消えていた。


「あれ、……イファニ、オン人……は?」


「消えた。影隠れだ……。かなり高度な術者らしい」


「えっ?」


 衛兵は両手を膝に当てて、がっくりと頭を落とした。それを横目に、アフラムは足早に元居た場所へと引き返す。随分と長い距離を走ったようだった。


「あの、良いんですか? あの人……」


「今追っても追いつけない。それに、あれなら恐らく、国に危害は加えないだろう」


「ええ、何すか、それ……」


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