第10話 興奮する

 日中に比べると日差しは弱まりつつも、やはりムワッと暑い。


「ふぅ」


 俺のとなりを歩く悠奈さんは、ハンカチで額の汗をふく。


「大丈夫ですか?」


「ええ。いっくんこそ、平気?」


「はい、俺は……そういえば、この時期になると、女性は日傘をけっこう差しているイメージですけど……悠奈さんはしないんですか?」


「私? 私はそんな……もうおばちゃんだし、気にすることもないかなって」


「いや、そんな……」


 その時だった。


 前方から、若い男たちがやって来る。


 彼らはすれ違いざま、ジロジロと悠奈さんを見て、


「うほッ、エロ熟女」


「ばくにゅう~」


「ナンパすっか?」


 などと、不届きな声が耳に届く。


 果たして、悠奈さん本人に、その声は届いているのか?


 変わらず、微笑みを浮かべたままだから、その心中は伺えない。


 そんな風に、少しモヤつきながら、スーパーにやって来た。


「さてと……」


「あっ、俺がカートを押しますよ」


「ありがとう」


 思えば、スーパーに来るのなんて、あまりないこと。


 普段、買い物は母さんが済ませて来るから。


 だから、そんな新鮮味も相まって……ドキドキしてしまう。


 ただし、スーパーの店内は涼しいから。


 そのおかげで、何とか中和されている。


「あら、悠奈ちゃん?」


 ふと、店員のおばちゃんが声をかけて来た。


「ああ、どうも。一旦お家に帰って、また来ちゃいました」


「そうかい……って、おや? その子は……息子さん? でも、確か悠奈ちゃん家の子は、娘さんのはずじゃ……」


「この子はおとなりさんの子です。まあ、私にとって、本当の息子みたいに可愛いですけど」


「おお、そうかい、そうかい。なかなかに良い男だねぇ」


「は、はぁ……」


「おっと、いけない。じゃあ、またね」


「はい」


 悠奈さんはぺこっと会釈をする。


 俺も一応、そうしておいた。


 その後、目当ての品を購入して、外に出る。


「いっくん、大丈夫? 1人で持てるの?」


「大丈夫です。一応、男ですから」


「うふふ。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかしら」


 そんな風に言う悠奈さんは、相変わらずチャーミングで。


 胸が高鳴る一方で……俺はどこか腑に落ちないというか……


「……あの、悠奈さん」


「んっ?」


「その、さっき言ったことって……」


「さっき言ったこと?」


「いや、あの……俺のこと、本当の息子みたいだって」


「ああ、言ったわね」


「……てことは、やっぱり……俺のこと、男として見られないですか?」


「へっ?」


「悠奈さんが、この夏限定の恋人になってくれたのだって、そもそも俺に同情してのことですし。あの、やっぱり気乗りしないなら、やめても……」


 スッ、と唇を指先で押さえられる。


「めっ、卑屈になるのは」


「は、悠奈さん……」


「さっき言ったことは、本当の気持ち。けど、それと同じくらい……」


 悠奈さんは、少しモジモジとしてから、


「……1人の男として……いっくんを見ているよ」


 自分よりもずっと年上の素敵な女性が、照れたように言う様の破壊力は凄まじい。


「ぐはっ……」


 買い物袋の重みが急にズシリと来て、ひざまずいてしまう。


「い、いっくん!? 大丈夫!? やっぱり、私も1つ持とうか?」


「い、いえ、そんな……ちょっとばかし、ダメージを食らっただけです」


「ダメージって……どこか具合が悪いの?」


「あ、いや、ダメージというか……すみません、所詮は童貞野郎なので」


「ど、どういうことなの?」


 やばい、もう頭がこんがらがって来た。


「……悠奈さん」


「なに?」


「きっと、家に帰ったら汗だくになると思うから……シャワーお借りしても良いですか?」


「ええ、もちろん」


「あっ、でも悠奈さんが先に……」


「私のことは気にしないで。いっくんが先にどうぞ」


「わ、分かりました」


 その心遣いは嬉しいけど、ちょっとガッカリしてしまう。


 だって、悠奈さんの入ったあとの浴室は……って、俺はクソ変態かよ!


「ねえ、いっくん。やっぱり、私も手伝っても良い? 買い物袋を持つの」


「えっ? いや、でも……」


 俺は両手に持つ買い物袋を見た。


 今の俺の覚束ない状態じゃ、1つ手伝ってもらうのが妥当なのかもしれない。


 けれども、それじゃ男として情けないなんていう、ちっぽけなプライドが邪魔してしまう。


「よいしょっ」


 その時、悠奈さんは俺の手から買い物袋を取ることはせず。


 そっと、持ち手部分に自分の手を添えた。


 もっと言うと、俺の手に触れる。


「は、悠奈さん……?」


「頼りっぱなしは嫌なの……私、こう見えてそこそこ強い女だから」


 悠奈さんはいつもと変わらず優しく微笑む。


 けどその瞳の奥に、俺は確かな芯の強さを感じ取った。


 そうだ、悠奈さんはシングルマザーとして、今までずっと美帆を育てて来た。


 そんな女性が、弱い訳がない。


 むしろ、俺よりも、ずっと強い。


「……じゃあ、今は甘えておきます」


「うん」


「けど、いつか……」


 言いかけて、俺は口をつぐむ。


 俺と悠奈さんの恋人関係は、この夏限定。


 だから、そのいつかは、訪れない。


 もし、将来的に、美帆と結婚すれば、また悠奈さんとそんな形で接触する機会もあるだろうけど。


 恐らく、それはないだろうから。


「ねえ、いっくん。そっちも持つの手伝おうか?」


「えっ、どうやってですか?」


「う~んと、お互いに向かい合う形になれば良いんじゃないかしら?」


「悠奈さんでも、そんな冗談を言うんですね」


 俺が苦笑すると、悠奈さんはスッと足を動かす。


 気付けば、俺と正面から向き合っていた。


 そして、もう1つの買い物袋に、俺の手に、触れる。


 さらに、見つめて来た。


「は、悠奈さん……?」


 俺が呼んでも、言葉を発しない。


 わずかに吐息が弾んでいる。


 頬が赤く見えるのは……夕日のせいだろうか?


 改めて、正面から、しかも至近距離で見ると……すごい。


 この近距離で見ても、きれいな顔だ。


 肌荒れとかないし。


 それに胸だって……やっぱり、デカい。


 そんな風に、俺の視線がブレブレなのに対して、悠奈さんはジッと俺の目を見つめていた。


「あ、あの、悠奈さん……」


「……最近、よく想像するの」


「な、何をですか?」


「ううん、想像と言うか、妄想ね」


 悠奈さんは、くすっと微笑む。


「もし、私がいっくんと同級生だったら……どうだろうなって」


「は、悠奈さんが……俺と……」


「もしくは、幼なじみだったら」


「いや、それは……興奮しますね」


 って、おい。


 何うっかり本音を漏らしてんだよ。


「そんな風に思ってくれるんだ?」


「あ、当たり前ですよ。と言うか、悠奈さんって、学生時代とか……モテました?」


「えっ? まあ、その……何度か、告白はされたわね」


「何度かって?」


「……ちょっと、数えきれないかな」


「クソ野郎どもが! 俺の悠奈さんに!」


 どうしようもない見えない敵に対して悪態をついてしまう。


 俺はすぐにハッとした。


「あ、いや、その、これは……」


「……嬉しい。そんな風に、嫉妬してくれるんだ?」


「そ、それは……悠奈さんは、俺の……」


「俺の……なに?」


「……ごめんなさい、言えないです」


 クソ、このへたれが。


 だから、童貞なんだよ(うるせぇ!


 けど、そんな情けない俺に嫌な顔することなく、また優しく微笑む悠奈さんは、そっと買い物袋から手を離した。


 重みがズシリと来た。


「やっぱり、2つともお願いしても良い?」


「は、はい、お任せを」


「その代わり、後で……何かお礼をしてあげる」


「お、お礼だなんて……手料理をいただけるというか……こうして、悠奈さんのそばにいられるだけで、最大のご褒美ですから」


「いっくんたら……もうすっかり、おマセさんね」


「いや、はは……」


 いやもう、おマセさん、なんてレベルじゃないですから。


 今日、すれ違ったナンパまがいの野郎どものこと、言えないです。


 俺だって、いや、俺の方がずっと……


 悠奈さんのこと、嫌らしい目で見ているから。


 このきれいな顔も、大きなおっぱいも、安産型のお尻も……


 優しい笑顔も、何もかも……


 ぜんぶ、俺だけのモノにしたい。


 なんて、気持ち悪すぎか。




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