第7話 落ち込んだ時は

「佐伯さん、退院おめでとうございます」


「ありがとう、完治ではないけど」


 だいたい一ヶ月の入院生活も今日で終わりだ。


 運動はまだ出来ないけど、ゆっくりなら一人で歩けるようにもなった。


「完治までお手伝いお願いできる?」


「是非やらせてください」


 翔利の言葉を受けた瑠伊が笑顔で返す。


「いきなりだけど、俺、帰り道知らないから教えてね」


 翔利は病院に運ばれる間ずっと気絶していた。


 だからここがどこにあるのか分かっていない。


「お家から一番近くていい病院だって華さん言ってましたよ?」


「瑠伊さんと帰る口実が欲しくて」


「嬉しいですけど嘘はつかなくていいですよ」


 翔利は両親からの束縛時間が多かったせいで、たとえ近所だとしてもなにがどこにあるのかよく分かっていない。


 なんとなくあるのは分かっていてもそこまでの道のりが分からない。


「分からないけど瑠伊さんと一緒に居たいのは本当だからね」


「分かってますよ」


 瑠伊が優しい笑顔を翔利に向ける。


 一ヶ月前では考えられない光景が翔利の前に広がる。


「瑠伊さんの笑顔を一生守るね」


「いきなりなんですか?」


「瑠伊さんの笑顔、可愛いから見てたいの」


 翔利の言葉を聞いた瑠伊が顔を赤くしながら「ばか」と翔利には聞こえない声で言った。


「ばあちゃんって今日は来ないの?」


 今日病院に来たのは瑠伊一人だ。


「華さんは何かやる事があるようです」


「最近やる事多いな」


 瑠伊がいなかったら翔利は今頃寂しくてホームシックになっていたかもしれない。


「まぁいいや。帰ろ」


「はい」


 退院手続きを済ませた翔利と瑠伊は帰路に着いた。




「そうだ」


 帰り道、翔利がいきなり瑠伊の方を向いた。


「どうしたんですか?」


「すっごい今更だけど、一ヶ月お世話してくれてありがとう」


 翔利が瑠伊と繋いだまま瑠伊にお礼を言う。


 手は繋ぎたいから繋いだのではなく、まだ翔利一人で歩くのは不安だからと仕方なく繋いでいる。


 建前上は。


「元はと言えば私のせいですから」


「瑠伊さんのせいでは無いと思うけどね。まぁだとしてもありがとう」


「私の方こそです。私を重荷から解き放ってくれただけではなく、私を幸せにしてくれて」


「それなら良かったよ」


 翔利はそう言って瑠伊に笑いかける。


 だけど翔利にはまだ心残りがある。


 この一ヶ月音沙汰無かったから平気だと思いたいけど、不安な事が。


「見せつけてんじゃないよ、阿婆擦れが」


 翔利と瑠伊の帰路の先に一ヶ月振りに見る不快な音を発するおばさんが居た。


 その音を聞いた瑠伊の顔が一気に青ざめ、身体が震え出した。


「心残りなんて残しとくもんじゃないな」


 無視して帰り道を変えて帰る事も出来るだろうけど、帰り道を知る瑠伊がとても普通ではないからそれも出来ない。


「無視してんじゃないよ」


「何か用でも?」


 おばさんが近づいて来たのでおばさんと瑠伊の間に翔利が入って話を聞く。


「あんたどっかで……あぁ、それの下敷きになって入院してた。はっ、その女に惚れたのか? 顔だけはいいからな」


 おそらくこのおばさんはあの時のやり取りを覚えていない。


 なんとなく翔利の顔を覚えていたぐらいで、瑠伊を引き取った事なんかは覚えていないように見える。


「それとも身体でも差し出したか? ほんとに卑しい女」


「……」


 ここで言い返しても良かったけど、まだこれは瑠伊の親権を持っている。


 だから変な事を言うと瑠伊が大変な目に遭うから下手な事が言えない。


 本当はさっさと黙らせて瑠伊を安心させたい。


「もう一度聞きます。何か用ですか?」


 感情の消えた低い声で聞く。


 翔利に今できるのは瑠伊の手を強く握って、傍に居るのを意識させる事だけだ。


 それしか出来ない自分にも怒っている。


「そうだよ。あんたらなんかと話してる暇は無いんだ。おい、通帳寄越しな」


 おばさんが瑠伊を睨みながら右手を出した。


「すっかり忘れてたよ。引き出しはあんたに任せてたからそのまま持ってかれてた事に」


(理性保てるかな?)


 翔利もなんとなく分かった。


 瑠伊からはバイトはしてないというか頼める環境ではないと言っていたから、想像できるのは一つ。


 瑠伊の両親が亡くなった時の相続金だと思われる。


 相続金は基本的に親が同時に亡くなったら子供にいくものだ。


 翔利もそうだった。


「全く、何の為にあんたを引き取ったと思ってんだよ。ほら」


 そう言っておばさんが右手を上下に振る。


 瑠伊が震えながら自分の鞄の中を探り出した。


「鈍臭い女だよ。ほんとあいつに似て鬱陶しい」


 おばさんは苛立ちながら煙草に火を付けた。


「鈍臭いと言えば、あんたの両親も最期は鈍臭かったせいで逃げんの遅れてたな」


 その言葉を聞いた瑠伊が固まる。


「ど、どういう事、ですか?」


「あ? 私があんたの両親殺したんだよ。そんであんたを引き取って相続金を手に入れたって訳」


 翔利の心残りと不安がどちらも当たってしまった。


 あんなに瑠伊の事を嫌っているのに引き取ったのは、最初から相続金が目当てなのは分かっていた。


 そしてこちらは完全な偏見だったけど、瑠伊の両親の事も嫌っていたから自作自演の可能性もあるのではないのかという不安も当たってしまった。


「あんたってさ」


「あ?」


「一ヶ月前に信号無視したりした?」


「あぁ、そういえば轢き殺したな。邪魔だったから仕方ない」


「……ここまで屑だと哀れみを感じるよ」


 翔利が怒りを超えて哀れみを持ち、それを更に超えて怒りが溢れる。


「誰がなんだって?」


「あんたを屑って言ったんだよ。俺達に全部話したのは何も言えない子供だって思ってるか、親権持ってるから最後には瑠伊さんを人質にして黙らせるのが目的だろ?」


「そうだけど? つーか口の利き方がなってないな。親の教育がなってない証拠」


「お前が殺したからな」


 翔利の静かな怒りを見た瑠伊が驚いた顔で翔利を見る。


 瑠伊からしたら意外でしかないのだ。


 両親が亡くなった時に何も感じなかったと言っていた翔利がこれだけ怒っている事に。


「はっ、あんたら二人して両親を私に殺されてんの? 似た者同士でお似合いだな」


「お前にいい事教えといてあげるよ」


「口の利き方に気をつけろ」


 おばさんが翔利の右目の前に煙草の先を向ける。


「それには見える所には何もしなかったけど、別にやれない訳じゃないからな」


「性格だけじゃなくて頭も悪いよな。いい事だけど、ばあちゃん怒らせて平和な人生送れると思うなよ」


「意味分かんない事言ってんじゃないよ」


 そう言っておばさんが翔利の右目に煙草を近づける。


 瑠伊が慌てて手を引くけど、翔利には怯えなんてない。


 だって。


「ごめんね、遅れて」


「よく言うよ。手を出すの待ってたんでしょ」


 華がおばさんの腕を捻りあげる。


「痛!」


「ばあちゃん、やり過ぎて過剰防衛にならないようにね」


「ちょっと話すだけだよ。その後は警察に丸投げするから」


 華は笑顔で翔利に言ってからおばさんを連れて行った。


 おばさんが何かを言おうと華の顔を見た時に顔が青ざめていた。


 少しだけ心が晴れた。


「さ、佐伯さん」


 瑠伊が震えながら翔利に声をかける。


「何?」


「私、その……」


 瑠伊が今にも泣き出しそうになっている。


「多分ばあちゃんの用事って今の為の色々だったんだろうけどさ、余計な事だった?」


 瑠伊の言いたい事は分かる。


 だけどこれだけは先に確認したかった。


「そんな事は絶対にないです。あの人は私だけじゃなく佐伯さんのご両親も、その……」


「謝ったら許さないから、謝らないでいいよ」


「佐伯さんならそう言いますよね。なので」


 瑠伊がそう言って翔利を抱きしめた。


「えっと?」


「私が落ち込んだ時にお母さんがこうしてくれたんです」


「俺、別に落ち込んでないよ?」


「じゃあ落ち込んでる私の為にこうしてくれませんか?」


 そう言う瑠伊は未だに震えている。


 両親を殺したのが引き取り手で、しかも理由が相続金の為なんて聞かされたら普通はまともでいられるはずがない。


「少しだけね。今は多分ばあちゃんが人払いしてるだろうけど、ここ普通の道だから」


「誰も見てないですよ」


「だから……」


 翔利の頬に涙が流れる。


「私が落ち込んでるからって佐伯さんが落ち込んだら駄目って事にはならないんですよ」


「瑠伊さんも泣いてるよ」


「私は落ち込んでるんです。だから私は佐伯さんを、佐伯さんは私を慰めるんです」


「本当に綺麗で強いよ」


 翔利はそう言って瑠伊の事を優しく抱きしめた。


 それから数分の間お互いに抱きしめ合って、翔利に限界がきたので二人で帰った。

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