第2話

 だから俺はときどき、小学三年生の気分に浸って先生に告白する文句を就寝時に口走ることがある。先生大好きですと佐島の代わりに。


 佐島は中学校のときにも色々と悔やんだ。仲の良かった友達が引っ越していき、「またいつか、遊ぼうな」と気軽に手を振ったけれど、そのまたいつかが、いつまで経っても訪れないことや、女子生徒に陰でよくない噂、とりわけ容姿についての酷評や、怖い顔だの、どこを見ているのか分からない虚ろな目だの、血の気のない唇などを気味悪がられていることについて面と向かって言い返せないことなどをだ。どうすれば女子に言い返せるのかと思い悩んだ。佐島いわく、あれは同い年であっても耳年増を加算し、実年齢より二、三は年上の精神年齢をしているらしい。


 高校生になった佐島は、誰からも相手にされなくなり入学式が終わってすぐ、孤立を極めてしまった。誰とも話さないので、年中唇は乾いてひび割れ、口の周りの筋肉を使わないので一年で頬がたるんだ。頬の若返りを取り戻したのは、受験勉強や英語の検定試験で実技があったおかげだ。それでも、誰か心許せる相手と一年話せたら、何か話す話題があれば良かったと今でも佐島は己の身の振り方を後悔する。


 佐島が一人暮らしをしているアパートに着いた。俺が頭にいるから二人暮らしかもしれないが。


 俺は帰宅するなり佐島の身体を奪い、就職活動でしか使わないカバンを床に投げ捨てる。とたん、佐島に怒鳴られた。


「やめろよ!」


 俺は潔く引っ込む。佐島はAmazonで四千九百八十円もしたカバンを投げた俺に腹が立っているんだ。安物のカバンだが、佐島には高い。


 佐島は廊下に座り込んで夢も希望もあるわけがないと悲観に暮れる。


 昔の将来の夢は「警察官」「飛行機のパイロット」「宇宙飛行士」などだ。どうして幼い頃から夢を抱かせようと大人は企むのだろうと佐島は疑問に思っている。将来の夢など大人が無理に子供の内側から引き出しているだけだ」


《テレビを観よう》


 廊下に座り込んでいる佐島が立ちたくなるように優しく促す。昼の番組は婦人向けでつまらなかったが。


 佐島は部屋の電気も点けずテレビのチャンネルを一巡して、めぼしい番組がないと分かるともう一巡する。そう簡単に番組内容が変わるわけはない。


「Dはテレビなんて観るより早く作陶がしたいんじゃないのか?」


 そう思うなら早く行動に移してもらいたい。


 佐島はキッチンも電気を点けず、いそいそと椅子の背もたれにかけたプーマの白い長袖シャツと紺のコーデュロイに履き替える。大学の入学式のために買った一万円のスーツは、もうよれよれだ。ハンガーにかけてクローゼットに仕舞う。


 それから、キッチンテーブルの上に広がる書類を片づける。ハローワークで得た資料や、自己PRのままならないエントリーシートをゴミ箱に入れるものと、為になるものとに分類する。


 昨日の昼飯のカップ麺の蓋、五センチほどの一本の髪の毛もゴミ箱へ。ああ、佐島は今朝苛々して前髪を一本引き抜いたんだった。


 佐島は爪を食べる。幼少期は鼻くそを食べていたが、流石に不衛生なのでやめたようだ。だが、爪はいくらでも伸びてくる。


 佐島は人間をやめたいのかもしれない。俺は佐島が爪を食べるのをやめさせるべく、先ほど購入した水とミニ冷麺を冷蔵庫に冷やす。


 俺はキッチンのテーブルの上に古新聞を広げ、粘土板もテーブルが埋まるくらいに何枚も敷き詰める。陶芸は俺の本領発揮の場だ。


 俺はベランダの日陰に置いているクーラーボックスを取ってき、中からビニールで包まれた白色系の粘土を二キロ分取り出した。眉間に皺を寄せて作陶をはじめる。


 まずは荒練り。三回ほど繰り返す単純な動作だが、いつも手指がひんやりとして気持ちいい。粘土と相対するファーストコンタクトだ。嫌だった学生時代も、上手くいかない就職活動も、本当にやりたかったことの前では塵に同じなんだ。


 佐島のエントリーシートが選考を通らない理由もここにあるのかもしれないな。仕事に関しての夢が上手く記入できないからだ。本当はO芸術大学の工芸コースに行きたかったので、エントリーシートの『夢を語って下さい』の欄に陶芸家になりたいと書いた。仕事を通しての夢を語らないといけないようだったが、佐島は俺に従って素直に書いてしまった。当然職業とはなんの関係もない夢を記載して選考を通過するわけがない。


 俺は菊練りをはじめて、キュー〇ー三分クッキングの曲を鼻歌しはじめる。三分で陶芸ができるわけがないのだが、粘土をこねるだけで指が幸せだ。ささいなものに幸福を見出すと金や生活、将来のことなどどうでもよくなる。企業に勤めることがどれだけ偉いことなのだろうか。


 佐島も陶芸の楽しさにのめり込んできたのか、板の上で粘土を押さえつけていると、それが人間の頭部に見えて笑い出した。粘土をこねる動作が子供を寝かしつけているように見えるのかもしれない。無邪気に笑う佐島にはまだ人恋しさがあるようだ。


 俺が押し倒して右に少し回すという動作を八十回ほど繰り返し、ようやく気泡が抜けた粘土は密度を増して、手が粘土に吸い寄せられるように感じる。


 佐島は急に数えきれない憂鬱の原因を想起した。


 周囲がどんどん内定を取っていったときの焦燥感や、友人が大手に就職を決めたときにおめでとうと、祝ったときの虚しさや、卒業までに就職先が決まらなかった絶望など、数えたらきりがない。それらを――。


「Dなら解決してくれる」


 俺は佐島を嘲笑う。解決策を考えないとな。こいつは鬱憤が溜まっている。


 佐島は大学を卒業してからほとんど笑わなくなったので、代わりに俺が作陶の時間に笑うことにしている。


 満足がいく作品作りになりそうだ。作陶は成形段階に入る。


 今日は電動ロクロで、モダンテイストな二十センチ大の平皿を作る。とはいっても、絵付けは苦手なので色を塗るかどうかはまだ決めていない。


 京都では粘土をブレンドして使ってきた歴史があるらしい。だが、佐島は二種類の粘土を買う余裕はないので、いつも同じ安物の粘土を買って来る。実は安物粘土の方が初心者向けでこねやすいというのもあるのだが、俺は少し不満だ。佐島は予算の管理で俺を苦しめるのだ。


 俺はそれでも電動ロクロを回し始めると、鬼のような速さで粘土を平たく成形する。砲弾のような形の粘土は一度細長く伸ばして、また縮める。


 佐島が実家にいるときに窯をレンタルして電動ロクロを買ったときは、父親にえらく小言を言われた。キッチンが汚れるとか、遊んでばかりいないで就職活動をまじめにやれとか。


 だが、父親の批判は本心から出たものではない。裏で伯父が言わせていた。父と伯父が仲のよい兄弟だっただけでなく伯父の方が主導権を握るので、圧力をかけられた父が佐島の就職活動を逐一伯父さんに報告している。それもあって、佐島は一人暮らしをしているのだが。


 伯父には自身の会社が一度傾いたことによる経済立て直しの強迫観念みたいなものがある。佐島を放っておけないのだろう。


 佐島は歯噛みして陶芸は遊びに入るのかと苦悶する。芸術レベルに達していないのは自分でも分かっているからだ。


 俺の力不足なのはいなめない。昨日今日生まれて初めて陶芸教室で体験したという人よりは上手いが、数年やった程度では作品を売り出すことはできないようなレベルだ。だが、芸術に仕上げるために必要なことは、駄作でも何かを作り続けることだと信じている。俺も、佐島も。そこは意見が一致する。


「D、陶芸は商品なのだろうか? 指や竹べらで形を整えるとき、自分の中へ、Dへと深く降りていく過程を楽しんでいる俺は成形の段階の未完成なものでかなりの満足感を得ている。作品が焼き上がって完成する前に粘土で成形しただけで満足するようでは、陶芸家とは言えないんじゃないだろうか?」


 佐島が言うようになったので俺は感心する。さらに佐島は仮に芸術大学に入っていればどうだったかと空想する。


 佐島は大学を出たことで、「大学に入学したのにいいところの大企業に就職できないのか」と家族や親戚に頭ごなしに馬鹿にされたとき、我慢ができず部屋にこもって泣いた。


 大学は今、難関大学以外は少子化でどこも定員割れをしていて、ある程度の勉強をすれば簡単に入学できてしまう。具体的にやりたい仕事がなかった佐島は高校卒業後にすぐに就職ということは考えられなかった。中学、高校、と進学するときの進路相談で明確に自分が叶えることのできる夢がないと、人間はだらだらと進学してしまうのかもしれない。厄介なことに進学するほど専門分野は狭まっていき、卒業後に必要な技能がなかったなんてこともある。まぁ、技能が必要な仕事に就く予定はないのだが。


 俺は一心不乱にパンケーキ状に粘土を押し広げていた。頻繁に水で粘土を浸し、手を押しつけていると、指の跡がパンケーキの表面にレコード盤のような線をつけていく。パンケーキ状の粘土の直径を測ると二十センチを超える三十センチだったのでがっかりした。潔く余分な粘土をちぎり取って再び成形する。時間の大きなロスだが、次はもっと上手くやれるはずだ。


 真ん中に手を置き、お皿になるように掘っていく。掘り進めるときに、深くなりすぎないように注意する。皿の底に穴が開くようなミスはしょっちゅうだ。ある程度穴が空いたら穴の円を中心から外に向かって指で押し広げていく。外まで穴を押し広げると、桶のような形になる。ひどくいびつに傾いた。均一に力をかけるのは苦手だ。側面がまっすぐになるように根気よく整える。額に汗が浮かび、粘土の上に落ちないように左腕の袖で拭った。


 皿の底になる部分をへらで均等に平らにしていく。皿の厚みと皿の高さを調整する。桶の形の粘土の側面を倒していけば皿になるが、この最後の工程が難しい。少しずつ円の外側に傾斜をつける。いつもここはロクロをこまめに止めている。一気にやって取り返しがつかなくなるのが怖い。一度外に倒したら、元に戻すのは難しいからだ。倒し過ぎたら本当にレコード盤になってしまう。かといって、倒すのが甘いと桶のままだ。


 俺は呼吸をするのも忘れていた。胸が苦しくなり大きく息を吐き出す。


 皿は広がって、ちぎったのにも関わらず三十センチになった。こんな大皿の使い道はない。壁に飾るか。

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