第7話 彼女

「ちょっ…永那ちゃん」

翌日の放課後、雨がシトシトと降るなか、渡り廊下の自販機前で永那ちゃんに両腕を掴まれていた。

体育館から部活動に励む生徒の声が聞こえてくる。

掃除は、永那ちゃんが本来当番だった人たちに指示を出していた。

私は自販機に押し付けられ、あまりの圧につま先立ちになる。

遠くから見ていた彼女は、こんな威圧感のある人には到底思えなくて、鼓動が速くなる。

「昨日の後輩君は誰かな?」

笑みは浮かべているけど、目は笑っていない。

「せ、生徒会の後輩だよ」

「2人でどこ行ってたの?なにしてた?」

「カフェで、お話を…」

腕を握る力が強まる。

「デート?」

「ち、違うよ」

「じゃあ…なに?」


ゴクリと唾を飲む。

“相談してた”と言えば、「どんな?」と聞かれることは想像できる。

それに正直に答えていいものなのか、私にはわからない。

まるで私の考えを見透かされているみたいに彼女が言う。

「正直に」

息遣いがわかるほどに顔が近づく。

「あの…」

鼻と鼻が触れそうになるほどの距離。

「相談を…」

「どんな?」

「恋の…」

永那ちゃんの左眉が上がる。

通り過ぎる生徒がこちらをジロジロ見る。恥ずかしい。

でも拘束された腕は未だ解放される気配はない。

「どんな?」

う…同じ質問…。

“好きってなんだと思う?”なんて彼女に聞くのは、なんだか違う気がした。それに昨日、日住君と話せたことで自分なりに答えも出た。だから、そもそも聞く必要もない。


「永那ちゃん」

「なに?」

私は彼女の腕を押し返すように力を込める。

細身の彼女からは想像もつかないほど強くて、思うようには押し返せないけど、それでも少しだけ隙間が生まれた。

永那ちゃんは少し驚いてるみたい。

私は彼女の耳元に口を近づけて、小声で言う。

わざと、唇と耳が触れ合うように。

「私も永那ちゃんが好きだよ」

彼女の耳が一気に赤く染まる。意外と彼女はわかりやすい。

腕が解放されて、目の前の彼女がふにゃりと小さくなる。

私の足元にしゃがみこんで、腕で顔を隠している。

ぶつくさ何か言っているから、私もスカートを押さえてしゃがむ。


「ずるいよ」

私の気配を察してか、腕から目を覗かせる。

「私だって穂に抱きつかれたい」

ハテナマークが浮かぶ。“私だって”とは?私には誰かに抱きついた記憶がない。

「昨日、雷鳴ったとき」

そう言われて、私の顔もカーッと熱くなる。

「あ、あれは事故だよ」

そうか、だから彼女は怒っていたのか。

永那ちゃんも、私を独り占めしたいのか。

なんだか心がふわふわする。

これが“満たされる”ということなのだろうか?

「でも、嫌だった」

また彼女は顔を隠す。

「ごめんね。…でも、私だって」

私が言うと、また覗くように私を見る。なんだか忙しない。

「私だって、今日佐藤さとうさんが永那ちゃんの膝に座ってたの、嫌だったよ」

そしてまた、彼女は俯いた。

「私だって、されたくてされてるんじゃないよ?」

「でも嫌だったよ」

顔を近づけて言うと、彼女はしりもちをついた。


顔は真っ赤。目はまん丸く開かれて、心底驚いてるみたいだった。

だから思わず笑ってしまう。

「“ごめんなさい”は?」

詰め寄ると、子供みたいに視線を下げながら「ごめんなさい」と小さく呟いた。

「…まあ、永那ちゃんが悪くないのは知ってるけどね」

意地悪が成功して、私は舌を少し出してみせた。

永那ちゃんはニヤリと笑って、いつもの調子を取り戻したみたいに「このー!」と抱きついてくる。

押されて、私もしりもちをついた。

「スカートが汚れる…!」

「知らん!」

永那ちゃんが楽しそうに笑う。

屋根を弾く雨音が、どうしようもなく心地良い。


***


「私、そろそろ生徒会に行かないと」

「毎週あるの?」

「そうだよ。たまに土曜日も集まりがあるかな」

「なにするの?」

「うーん。月にもよるけど…。4月は部活の登録作業とか新入生に向けた行事の進行かな。5月は基本的には部費の予算会議が多かったけど、今度の体育祭についても少しあったかな。あ、ボランティア活動とかもするよ。6月は体育祭の」

そこまで言って「うわあぁあ」と彼女は降参のポーズを取る。

「結構忙しいんだね。すごすぎるよ、穂」

「そうかな?」

中学でも似たような感じでずっとやってきたから、特別何がすごいのかはよくわからない。

ただ中学では1つだけやったことのない行事があった。去年やって一番大変だった、文化祭。


文化祭の1ヶ月前から学校全体がそわそわしてるような雰囲気に包まれる。各クラスや部活の催し物の登録が行われるからだ。

何をしようか?使う教室は自由に選べるので、どこの教室が一番自分たちに良いか?人気の場所はクジで決めるから、もし外れたらどこにしようか?…などなど、みんな考えることはたくさんだ。

ほとんどの人が放課後を使って、文化祭が始まる1週間前から準備を始める。それは学校が定めた期間でもある。

でもダンス部や軽音部など、何かを披露する人たちはもっと前から準備しているようだった。

土日に文化祭が行われるので、その前日の金曜日は準備のために丸一日授業がない。

文化祭当日、私達生徒会のメンバーは、主に受付をする。問題が発生したら先生と駆けつけなければならないし、念のため定期的に見回りもする。はしゃぎ過ぎて服を脱ぎ始める生徒もいたりするから大変だ。


しかも今年、私達には修学旅行が控えている。

9月に文化祭があり、10月に修学旅行があるから、やることは山積みだ。

修学旅行は2年生だけの行事だけど、私はクラスの委員長もやっている。修学旅行の準備は、主に委員長の役割だ。いろいろ大変そうだ、と今から思いを馳せる。

その前に…今月の下旬、ちょうど1週間後には体育祭がある。

今は生徒会でその準備をしているから、これまた忙しい。

基本的に各クラスから体育祭委員が2人選出されて、生徒会はその取りまとめ役をする。

体育祭前日には準備の指示を出さなければならない立場だ。

体育祭が終われば期末テストが控えている。

そしてその後は晴れて夏休み。


しゃがんでいる永那ちゃんが、立っている私のスカートの裾を摘む。

あれこれ思考に耽っていたのが一気に現実に引き戻されて、慌てて腕時計を見た。

「やばい…!行かなきゃ」

歩こうとしたけど、永那ちゃんはまだスカートを掴んで離さない。

「永那ちゃん」

少し焦りながら、離してもらいたくて彼女の名前を呼ぶ。

彼女は手を離して立ち上がる。

私が歩き出そうとするから、引き止めるように右腕を掴まれた。

「永那ちゃん?」

「ちゃんと…。ちゃんと確認したい」

「何を?」

(こんな時に何?)と急ぐ気持ちが全面に出る。

「穂は、もう私の彼女?」

“彼女”という響きに胸が高鳴る。

コクリと頷くと、永那ちゃんの顔が蕩ける。


「穂、今日何時に生徒会終わるの?」

「うーん…。もう体育祭が1週間後だからね、結構忙しくて…下手したら7時くらいになるかな?」

今週は忙しくなると伝えてあるから、誉には作り置きしたご飯を食べてもらうようにしている。

「7時かあ…」

「ごめん、永那ちゃん。さすがにそろそろ行かないと」

もう5時を過ぎていた。たぶん、打ち合わせは始まってしまっている。

副生徒会長である身としては、あまり遅れたくはない。

永那ちゃんが掴んでいた私の腕を放す。


駆け足で生徒会室に向かう。生徒会室は3階にあるから、持久力のない私にとってはかなりキツい。

でも永那ちゃんが言った“彼女”という言葉が脳内で繰り返され、不思議と足は軽かった。

途中、教室に寄って鞄を取る。

階段の踊り場にある大きな窓を、駆けているようにつたう雨粒。まるで私と一緒に走っているみたい。

体育祭の日は晴れるといいけど…。

そういえば永那ちゃんは何の競技に参加するのだろう?

体育祭では、必ず1人最低でも2競技に参加しなければならない。

私は綱引きと玉入れに参加する予定だ。

生徒会のメンバーは進行役だから、それを考慮して無理に2競技参加する必要はない。でもなんとなく、こちらから「最低でも2競技」とクラスメイトに告げるのに、“自分は特別だから”とは言えなかった。

走り続けて息が切れる。

生徒会室の前で深呼吸して、息を整えてから、入室した。

やっぱりもう打ち合わせは始まっていて、私は謝りながら席についた。

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