14. 黒刀は紅蓮を断つ

 カイトの右腕を黒い瘴気が取り囲んでいく。


 腕を中心に瘴気の渦が荒波のように流れる。

 粒子状だった黒い瘴気はみるみるうちに凝集し固まり、薄く強靱な外装となる。


 鎧のような、はたまた生物の外骨格のような、漆黒の装甲が形成された。


 禍々しく荒々しく、膨大な魔力が詰め込まれたその装甲を右腕にまとい、カイトは黒切を握り締めた。


「【黒鬼くろおに隻腕せきわん】」


 見る者の目が吸い込まれていきそうなほど深い黒。

 光を呑み込み、空も大地も全て黒く染めてしまいそうな威圧感。


「試験のためにと思ってできるだけ魔力を使わないようにしてたけど、もうどうせ間に合わねえし、出し惜しみする必要はねえよな」


 その漆黒の腕を見て、レティは目を丸くする。


「その真っ黒な腕に、とんでもない魔力……まさか、あんた……“黒腕の男”……!」


 森で目撃された、黒い腕を持つ男の噂。

 その圧倒的な魔力と強さで、森中を暴れ回っていたと言われている。


「森で修行してるところを誰かに見られたんだろ。おかげで人が寄り付かなくなって、修行しやすかったからいいけど」


 レティの顔から血の気がどんどん引いていく。

 後ろの部下たちも慌てて声を上げた。


「じゃあルータス様が狙ってる男ってのは、あいつのことなんですかい!?」


「レティ様やばいっすよ! 俺たち殺されるっす!!」


 慌てふためく部下たちと冷や汗をだらだらと流すレティを、カイトは鋭くにらんだ。


「安心しろ殺しはしねえよ。生きてその罪、一生償ってもらうぜ」


 レティたちに向けてゆっくりと歩き出すカイト。

 一歩一歩、今までの苦労を踏みしめるように歩を進める。


「レティ様、早く逃げるっす!!」


 部下が慌ててレティに叫ぶ。


「お、落ち着きなあんたたち!! こっちは3人いるんだよ! あたいらだって並みの冒険者よりはよっぽど強いんだ! 油断しなければこんなやつ……」


 そのレティの言葉を遮るように、カイトは小さくつぶやいた。


「【断黒だんごく】」


 一閃、カイトが刀を振るった瞬間、レティの部下の一人、太った男が消えた。


 いや、正確に言えば消えたのではない。黒切から放たれた漆黒の斬撃に一瞬で吹き飛ばされたのだ。


 レティが目視できたのは刀が描いた黒い軌跡のみ。

 あまりに早すぎる。それはもう、並みの人間には目視することさえかなわない速度だった。


 放たれた斬撃は太った男の胴体に直撃し、その大きな体を引きずりながら後方へ吹き飛ばした。


 太った男は空中で血を吐きながら白目を剥き、体を回転させ豪快に地面に激突した。


 衝撃で響く重低音。それが聞こえなくなる頃には、先ほどまで慌てふためいていた男はピクリとも動かなくなっていた。


 漆黒の斬撃は、男が倒れてもなおその勢いを失うことなく後方の森に突き刺さり、木々をなぎ倒して、しばらくしてから瘴気の粒となって霧散した。


「……は?」


 レティは何が起きたのか理解することもできず、その場から一歩も動けなかった。


 目の前にいるカイトは刀を振り終わったかと思いきや、すぐさま刀を引いて次の攻撃に移った。


 レティの視界で瘴気が舞う。


「【一刀螺旋いっとうらせん】」


 カイトが黒切を握り締め鋭く突きを放つ。


 その瞬間、刀の周囲を瘴気が取り囲み、刀が一回りも二回りも大きくなっていった。


 瘴気が激しく舞い、目にもとまらぬ速度で、その切っ先がレティの部下のもう一人、長身の男をとらえる。


 ほんの少し前まで太った男に向けて振るわれていた刀が、瞬きの内に自身の体に迫り、長身の男は身動き一つとれず吹き飛ばされた。


 体が崩壊しそうなほどの衝撃に口から血をこぼし、黒目がグルッと上を向く。

 呼吸することもままならず、そのまま地面に叩き付けられ男は泡を吹いて気絶した。


「……!?」


 レティの心臓の鼓動が一気に早くなる。

 緊張と恐怖で体が震え、吐き気が駆け上がってくる。

 顔は青ざめ、目の前にたたずむ黒い化け物を直視できないのか、視線が定まっていない。


 そんな中、カイトはレティにゆっくりと近づきその顔をじっと見据えた。


「どうした? 魔法が使えるなら、攻撃するなり防御するなりした方がいいんじゃねえのか? お前はこの弱肉強食の世界じゃ、強者なんだろ?」


 レティがエニカにかけた無慈悲な言葉を、今度はカイトがレティに向けてぶつける。


 それを聞いてビクッと体を震わせたレティは、歯をグッと噛み締め、震える足に無理矢理力を入れて地面を蹴り、後方に飛んだ。


「あ、あたいはルータス盗賊団第三師団の中じゃ、炎魔法の扱いに定評があるんだ! あんたの魔法なんて、あたいの炎で焼いちまえばおしまいさ!!」


 レティは声を震わせながらその手に魔力を集める。


「【弾炎ギーレ真紅巨球フリストン】!!!」


 レティの両手から、直径が1メートルはあろうかという巨大な炎の玉が放たれた。


「【黒薙くろなぎ】」


 カイトが小さくつぶやくと、黒切に瘴気が集まり、刀身の刃側に凝縮されていった。

 今までの技とは比較にならないほどの途方もない魔力が溢れ出す。


「その炎で、あいつを傷つけたのか」


 カイトは傷だらけのエニカの姿を思い出す。


「その炎に、記憶を赤く染められたのか」


 日誌で読んだバルシーダたちの血塗られた過去を思い出す。


「その炎が、心を縛り付けてんのか」


 犯した罪に苦しむゼイム・ラートを思い出す。


「そんな炎はとっとと消えやがれ!!!」


 瘴気が凝縮した漆黒の刀が振るわれる。

 黒切が炎の玉を切り裂いていく。黒が赤を塗りつぶしていく。


 この炎は、あまりに多くの者を苦しめすぎた。

 もう二度と、その熱が、その赤が、誰も苦しめることのないように、深い漆黒で断ち切っていく。


 カイトが黒切を振り抜いた後には、炎が跡形もなく消え去っていた。


「そんな、バカな……! 私の魔法が一瞬で……!」


 レティは驚きと焦りで目を見開く。


 渾身の一撃がこんなにもあっさりとかき消されてしまった。自分は強者のはずなのに。

 ならば、目の前にいるこの黒い生物は何だ。本当に人なのか。


 カイトは黒切を握り締め、レティに向かって走り出した。


「これは、ゼイム・ラートの願いを踏みにじった分!!!」


 どうか、幸せになってほしい。

 ゼイム・ラートが罪を背負い、必死に紡いだ願い。


 それを踏み荒らし、バルシーダたちの命を危険にさらした醜悪さへの一撃。


「ぐはっ!!!!」


 振るった刀がレティの体にめり込む。

 鳴り響く鈍い音とレティの声にならないうめき声。

 大地を揺らすほどの衝撃とともに黒切から瘴気が爆発する。


 そのままレティの体は天高く吹き飛ばされ、その軌跡には瘴気が漂う。

 肺の中の空気が全て無理矢理押し出され、それとともに大量の血がこぼれる。


 宙を舞う体。視線の先には赤い空。そこにはすでに、刀を大きく振りかぶる黒い化け物がいた。


「これは、バルシーダの過去を弄んだ分!!!」


 血まみれの過去。思い出したくもない赤の記憶。

 何の罪もないバルシーダたちを暗い世界に追い込み、子供の未来を脅かした。


 さらにはその記憶を利用し、子供もろとも皆殺しにしようとした下劣さへの一撃。


「がはっ!!!!」


 再び黒切がレティの体に深々と沈み込む。

 骨がきしみ、筋肉が悲鳴を上げ、全身に強烈な衝撃が走る。


 そのまま空気を切り裂き地面に叩き付けられるレティの体。

 そのあまりの衝撃に地面がひび割れ、強風が吹いたかのようにブワッと土煙が舞う。


 レティの視界はぐらぐらと揺れ、天地がどちらかもわからない。

 すでに限界まで空気を吐き出した肺がさらに圧迫され、声にならない悲鳴を上げる。

 全身に激痛が走り、腕に、足に、力が入らない。


 そんな中、力を振り絞って無理矢理体を起こし、息を荒げながらゆっくりと立ち上がるレティ。

 血がボタボタとこぼれ、立っていることもままならない。


 その苦しみにうめきながら顔を上げると、そこには黒切を構えたカイトが立っていた。


「化け……物……!!!」


 レティの目から涙が溢れる。

 これが痛み。これが苦しみ。

 レティが多くの者たちに与えてきたものだ。


 カイトは激流のように瘴気が荒れ狂う黒切を振りかぶった。

 たくさんの思いと願いを乗せて、その刀を思い切り振るう。


「そしてこれが、俺の弟子を泣かせた分だ!!!!!!!」


 子供を守るために命をかけて立ち続けたエニカ。

 自分の信念と大切なものを必死で守り抜いた、その世界一優しい心。


 そんな心優しい弟子を、傷つけ痛めつけ、涙を流させた非道さへの一撃。


「ぐわああああああ!!!!!!!」


 カイトの放った渾身の一太刀がレティの体に深々と突き刺さる。

 黒い瘴気がうねり狂い、爆発する魔力とともにレティが思い切り吹き飛ばされた。


 体が爆散するかのような衝撃と轟音。体の感覚はなく、周りの景色がとんでもない速度で過ぎ去っていくのがかすかに見える。


 血で真っ赤に染まった視界。息ができているのかはもうわからない。

 吹き飛んだレティは木々をなぎ倒し、地面から突き出た岩に激突して、その体が岩にめり込んだ。


「強……すぎ……る……」


 かすれた声でつぶやくレティの赤い視界の奥で、黒い瘴気が揺らめくのが見えた。

 それを最後に、レティの意識はプツリときれ、首が力なくだらりと垂れる。


 カイトは黒切を空中で一振りし、刀についた血を払った。


 カイトの周りを瘴気が舞う。

 輝く赤い夕日と、漆黒の瘴気。

 バルシーダはカイトのその姿をまっすぐに見つめた。


「すごいです……!」


 エニカはカイトの背中を見つめながら、その圧倒的な強さに目を大きく見開いた。


 その背中には、エニカがもう一度見たいと願った大きな翼が生えている。


「エニカ、師匠からの最初の教えだ」


 カイトは、刀を肩において夕日を見つめた。


「不器用で、面倒臭がり屋で、誰かのために自分の目的を見失っちまうような……」


 その口に浮かぶ小さく笑み。


「俺みたいなやつには、絶対になるんじゃねえぞ」


 その日、少女にもう一人の憧れができた。

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