天下一を誇る貴族学園に入学したいと願う平民は、最強の黒鬼でした

星屑代行

1. パンは青臭いままでいい

 ついに、待ち焦がれた運命の日がやって来た。


 血反吐をぶちまけながら重ねた修行の日々。

 何者にも負けないよう鍛え上げた唯一無二の魔法。


 それらを、世界に見せつけるときが来た。


「やっと、今までの努力が報われる日が来たんだ」


 今日は、この国の中でも最高峰の名門校、フィノール学園の入学試験の日。


 フィノール学園に通うのは、生まれつき魔力量が多い貴族たちがほとんどで、ただの平民が試験に受かるなど夢のまた夢。

 ましてや、こんな田舎町に住む名もない貧乏な少年がフィノール学園に挑むなど、無謀としか言い様がない。


 それが、この世界の定め。

 世界はそういうふうにできている。


「どこの誰だか知らねえが、馬鹿げたルールつくりやがって。貴族だの平民だの、肩書きだけでそいつの全てを知った気になるんじゃねえよ」


 カイト・アルガーロ、15歳。

 この国、オーレスタ王国に住む何の変哲もないただの平民の学生だ。


 多くの人々にとっては何の変化もない普通の日。

 しかし、カイトにとって今日という日は、自分の将来を決める分岐点であり、何よりも大事な一日だった。


 拳をグッと握り締めて気合いを入れ、カイトはそれほど高さのないベッドから勢いよく飛び降りた。


 心が逸っているのだろう。カイトは手早く服を脱ぐと、クリーニングに出しておいたしわ一つない服に着替えた。


 そして鏡に向き合い、頭の上で重力に逆らって立ち上がる寝癖を手で押さえて軽く直した。

 わざわざ頭を水で濡らす必要はない。それをしたところで、この頑固な癖っ毛は直らないからだ。


 カイトはボサボサの黒髪を恨めしそうになでてから、指をボキボキと鳴らした。


「最強の冒険者への道、その一歩を今日踏み出してみせる!」


 いつもは死んだように暗い三白眼が、今日だけはやる気に満ちている。

 カイトはほどよい緊張と大きな期待で熱くなった体を震わせつつ、興奮で上がった体温をなだめるようにフーッと深呼吸をした。

 心臓の鼓動が徐々に落ち着いてくる。


 カイトは高まる気持ちを抑えながら、財布を手に取りポケットに突っ込むと、今日のためにピカピカに磨いておいた黒い靴を履き、玄関横の棚に視線を移した。


「師匠、いってきます」


 カイトの視線の先には一枚の写真が入った写真立てが置かれている。


 少し黄ばみ色あせたその写真に写っているのは、ぶっきらぼうにカメラから視線を外す幼いカイトに加えてもう一人。

 深い青色の髪が特徴的な青年だ。その青年はカイトの頭に手を置き、嬉しそうに笑っている。

 カイトはその写真を眺めわずかに笑みを浮かべると、玄関のドアを開け外に出た。



 ここは田舎町、アラベル。

 オーレスタ王国の中心からはだいぶ離れたところにあるためか、住んでいる人はそこまで多くなく、代わりに美しい自然が町の周りを彩っている。


 中央を通る大通りは整備が行き届いていないガタガタの砂利道だが、その両脇に並ぶレンガ造りの家々は重厚感があり、華はないものの物々しい独特の雰囲気を放っている。


 朝はいつも人通りが少ないが、今日は各学園の入学試験が集中しているということもあってか、学生で溢れかえっていた。


「この町ってこんなに人がいたんだな……」


 まるで水を流した蟻の巣のように、並び立つ家からわさわさと人が出てくる様子を見て、カイトの中でこの町に対する評価が少し良い方向に改められた。


 田舎の町だというのにこれだけの人が住んでいるということは、それだけ住みやすい町だということだろう。


 人混みの中を歩くのは少々煩わしいが、それがこの町の良さだと思えば悪い気はしなかった。


 カイトは人の波を器用に避けながら進んで行き、道端でパンを売っている露店の店主に声をかけた。


「ようおっさん、今日もマルリ草のパン2つとキネ茶を1本頼む」


 この大通りの両端には屋台がずらりと並んでおり、食べ物や日用品など様々な物を売っている。


 その中でも特にこのパン屋は値段が安く、カイトは毎日のように通っていた。


 こんな田舎町ではお金に余裕がある者などいるはずもなく、カイトも例外ではない。

 本当ならば朝食を抜くのが一番節約になるのだが、強くなるために食事は不可欠だ。

 安いパンとお茶だけの簡素な朝食ではあるが、ないよりはずっとましだろう。


「おうカイト! 今日はいつも言ってるフィノール学園とやらの試験日なんだろ。頑張れよ!」


 露店の店主は元気よく声を上げてニカッと笑った。


 その筋骨隆々な腕は熊を一撃で殴り倒せそうなほどに太い。

 パンを作るのにはそれほどの筋肉が必要なのだろうか。少なくともカイトの三倍くらいの太さはありそうだ。


「ああ、でももし合格したらこの店にはもう通えなくなるな」


 一抹の寂しさを感じながらカイトは視線を落とした。

 毎日顔を合わせているため、店主とはすでに友達のような関係だ。


「はははっ! いつもまずいまずいって言いながらうちのパン食ってるくせに何言ってんだ!」


 このパン屋は確かに安い。しかし、安いだけあって味はクソまずい。本当に目も当てられないほどだ。


「事実だろ。この店のパンの売り上げは、俺にかかってると言っても過言じゃない」


 正直、ここのパンを買う人なんて、カイト以外にはほとんどいない。


 カイトは安いという理由だけでこの店のパンを食べ続け、そうしているうちにだんだんとそのまずさが癖になり、耐えられるようになった猛者なのだ。

 このレベルに到達できるのは、その手の才能を持った者だけだろう。主に、味に鈍感な者がそれに該当する。


「そりゃあ間違いねえ! ほらよ持ってきな。保存魔法かけてといたから、長持ちするぞ」


「ありがとな」


 魔法とは、この世界に生きる上で必要不可欠なものだ。保存魔法もその一つ。


 人の体には絶えず魔力が流れていて、それを使って魔法を発動する。

 魔力は血管を通っているという説が有力だが、まったく別の経路を通っているという話もある。

 魔力を持つのが人間だけなら前者で説明が付くのだが、この世界はそんなに単純ではない。


 なぜなら、人間以外の生物、魔族が存在するからだ。


 魔族はいわば化け物のようなもので、人間と同じように魔法を使う。

 動物や植物など様々な形態の魔族が存在するが、その中には血管やそれに類似する器官を持たないものもいる。

 ゆえに、魔力の通り道は一様に血管であるとは言い切れないのが現状だ。


 それに加え魔族にはやっかいな特徴がある。

 それは、人を見ると見境なく襲ってくることだ。

 理由は定かではない。そういう生き物だと思っておくしかないだろう。


 そして、その魔族を倒す仕事を担っているのが冒険者だ。

 冒険者という職業の中枢機関であるギルドの依頼を受けて、魔族を駆逐する。


 カイトもこの冒険者を志す卵の一つ。

 魔法を駆使して魔族を打倒し、いずれは最強の冒険者になることを夢見ている。


「保存魔法をかけてくれるなんて、今日はサービスいいな」


 普段はそのまま渡してくるのだが、今日はいつにもまして気前が良い。きっと試験への激励の意味が込められているのだろう。


 カイトは店を後にし、周りの学生たちと同じ方向に歩きながら、朝食が入った紙袋からマルリ草のパンを一つ取り出して一口かじった。


「いつも通り、青臭くてまずいな。他の調味料でも入れれば少しはましになるんだけど」


 パンを食べながらカイトは遠くの人だかりに目をやった。そのあたりに、カイトが向かっている馬車乗り場がある。


 フィノール学園はオーレスタ王国の中心都市、王都セリティアにある。入学試験も当然そこで行われる。

 この田舎町からだとかなりの距離があるため、馬車を使って移動するのだ。


「こんなに学生がいるってことは馬車も混みそうだな。急がねえと」


 カイトはパンをかじりながら、小走りで人混みの中を進んでいった。


「ん? なんだ?」


 そのとき、カイトはある違和感に気付いた。

 いつもなら感じることのないほんのわずかな違和感。


「何か聞こえるな」


 小鳥の鳴き声にも似た高い音。

 しかし、朝を告げるには似つかわしくない悲しげな音。


 この独特のトーンで響く音は、間違いなく子供の泣き声だ。


 カイトは少し背伸びして、人々の頭の上から周囲を見回した。

 すると、視界の奥の道端で少女がうずくまっているのが見えた。その目からは大粒の涙が流れており、声を殺して泣いている。


 周りの人々はその少女に気付きながらも、見て見ぬ振りをして通り過ぎていく。

 当然と言えば当然の話だ。例えばここで声をかけて何か面倒ごとに巻き込まれ、入学試験に間に合わなかったら必ず後悔するだろう。


 自分の未来を犠牲にして人を助けて、それで自分には何が残るというのか。

 だからカイトは、少女を横目に見ながらも声をかけない人々の反応を、ひどいとはまったく思わなかった。そしてカイト自身も、その例に漏れない。


「あの子供には悪いが、これは無視だな」


 カイトはパンを握り締め、再び前を向いて歩き始めた。


 カイトが冒険者になりたい理由、それは人助けがしたいからではない。

 魔法を極め、強くなり、師匠のような最強の冒険者になること。それがカイトの夢だ。

 その夢の第一歩を踏み出す大事な日に自ら重荷を増やすなど、カイトには考えられなかった。


 優しい優しくないという話ではない。優先順位の問題だ。

 今この場で優先すべきは、馬車に乗るために急いで馬車乗り場に向かうこと。


 頬を涙で濡らし、か細く声を抑えて泣く少女を視界から外して、ただ前を見て進むこと。

 こんなに天気が良い日なのにもかかわらず、軒下の隅で日陰に隠れるようにうずくまっている子供を見捨てること。


「俺の夢のために……」


 この日のためにずっと一人で修行してきた。


 激しい風が肌を打つ日も、冷たい雨が降りしきる夜も、強くなりたいという一心だけで自分を鍛え上げてきた。


 食事の管理もした。お金も節約した。家事も一人でこなした。怪我も自力で治した。読み込んでボロボロになった魔法書は今もカイトの部屋に高々と積まれている。


 今日のための準備は万全。何かのミスで万が一にも試験を受けられなかったら、今までの努力は水泡に帰す。それだけは絶対に避けなければならなかった。


 そう心に言い聞かせ、口の中のパンを強く噛み締める。そのたびに、強烈な青臭さが口いっぱいに広がった。


 まずい。ほんとうにまずい。いつにもましてまずい。


 カイトはそのまずさに頭をかき、深くため息をついた。


 聞こえなければよかった。あんな音、聞こえなければよかったのだ。

 なぜかは知らないが、少女は声を押し殺して泣いていた。普通ならあの距離からは聞こえないはずだ。

 だというのに、聞こえてしまった。その上、その少女の姿を探し、泣いている顔を見てしまった。


 いつもと違う違和感なんて無視すればよかったのに。

 ほんの少しの不安要素さえあってはならないのに。

 多くの人々と同じようにそのまま通り過ぎればいいのに。


 罪悪感だってさほど感じはしない。

 自分の将来の方が大事だ。他の人間のために、自分の人生を棒に振って何の得があるのか。


 カイトはパンをじっと見つめた。あまりにもまずすぎて、手が止まってしまったのだ。いつもなら気にせず食べられるのに。


 今日は大事な試験の日。絶対にミスは許されない。

 こんなにもまずいパンを食べてしまったら、試験前に気分が悪くなってしまうかもしれない。そう考え、カイトは深くため息をついた。


「まったく、パンのせいで俺の頭まで青臭くなっちまったか……」


 カイトはパンの最後のひとかけらを何とか口に放り込むと、人々の流れに逆らって歩き始めた。一歩一歩、今までの努力を踏みしめるように。


 口の中ではとんでもない青臭さが溢れ、脳にまで染み渡っているような気さえする。


 人々がカイトの前を通り過ぎていく。中にはカイトに怪訝な目を向ける者もいた。

 それでもカイトは歩みを止めず、通りすぎる人にぶつかりながら進んでいく。

 そしてもう一度深いため息をつき、カイトは空を見上げた。


「俺って本当にバカだよな……」


 自分の愚かさに反吐が出る。

 今まで必死で積み上げてきたものを、自らの手で壊そうというのか。

 自分がこんなにバカな人間だとは思わなかった。


 いつの間にか、人々の足音が後ろから聞こえる。

 目の前からは悲しげな音。

 こんなに天気が良い日なのに、カイトは日陰でたたずんでいた。


「日の光が当たらねえと、こんなに冷えるんだな」


 カイトは抱えていた紙袋に手を突っ込み、残っていたもう一つのパンを手に取った。


「うっ……ううっ……」


 涙で濡れた瞳。そのぼやけた世界の先に、ピカピカの黒い靴が見えることに少女は気付いた。


 そっと顔を上げると、突然、口の中に硬い感触を感じた。

 香ばしく、少し青臭い。


 少女は驚きながらも、恐る恐るそれを噛み締める。パリッとした食感とともに、草の匂いが鼻をついた。


「どうだ? あんまり美味くはねえけど、毎日食べてるとだんだん癖になってくるんだぜ」


「……おいしくないです」


 少女はぼそりとつぶやくと、一口かじられたパンを見つめ、それを持つ手をたどって目の前でぎこちなく笑うカイトの顔を見た。


「やっぱりそうだよな……。でも最初だけだ、たぶん。そのうち、だんだん慣れてくる。まあ、薬みたいなもんだな。それに栄養価は高いんだぜ。露店のおっさんが言ってたから、間違いない!」


 なんだか余裕がなく、わたわたと喋るカイトの様子を見て、少女はくすりと笑った。


 誰もが通り過ぎていき、声などかけてくれなかった。少女をちらりと見た後、すぐに視線を戻して見ない振りをした。


 それが悲しくて、少女は気付かれないように声を抑えて、日陰の隅で泣いていた。

 だというのに、カイトは気付いて近づいた。


 涙の止め方を知らないから、声をかけるより先にパンを放り込んだ。

 そして、どうしたらいいのかわからず、必死にパンの説明をしている。

 その不器用さに、少女はくすりと笑ったのだ。


「なんで、声をかけてくれたんですか?」


 少女の問いに、カイトは少し驚いたような顔をしてから、ニッと笑った。


「このパンに涙は合わねえんだ」


 少女はその返答にまた小さく笑った。

 悲しげな音はもう、聞こえなかった。

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