6.申命記32:35

 真実と、この身体に隠された秘密を確かめるべく、聖地サンヴェルクへ向かうセルジオは、まずはエルズペス領を抜ける為に国境へ向かう必要があった。

何より聖体となった身だ、腕に埋め込まれた聖遺物といい、この聖体の力といい、確かめねばならぬ事ばかりが目の前に立ちはだかる壁のように連なっているのである。

この数日、一切の睡眠と飲食行為を抜いて霧がかかっていた草原を抜け森の中を歩き続ける内に確信出来た事がある。

それは全くと言っていい程水分の補給や食事、そして睡眠の必要性が無い事だ。

かつてのように、生き抜く為に他者から奪う必要もなく、食事という生理的欲求に基づく行為は最早、あくまで娯楽か、もしくは他者とのコミュニケーションの手段の一つという物になった事は、とても有難い変化であった。

致命的な問題があるとすれば、「娯楽」の為の食事を取れる機会と、それを調理できるだけの食材と人材が、この惨状の中で巡り会えるかどうかだが。

生き抜くという点においてはこれ以上無いほど便利な身体になった事は間違いない、どのような原理でこうなっているかは全くと言っていいほど不明だ、奇蹟としか表現出来ない賜物だろう。

しかし裏を返せば、このような肉体を前提とするほどの過酷な旅が待ち受けていると考えると、手放しで喜んでもいられなかったのである。

 ふと、右を見ると鬱蒼とした森の中に、首を吊り自害した近辺の村人らしき者が、まるで巨大な果実を実らせたかのように木にぶら下がっているのが見えた。

どうかその“果実”が大地を肥やし、芽吹く新芽の糧となることを願いながら、セルジオは歩みを続ける。

暫くして歩み続け、森を抜けると村が見えた、恐らく先程首を吊り自害した者が住んでいた村だろう。

 しかし奇妙な事に、村には一切生活を営んでいる気配が感じられない。

最悪の予感が脳裏をよぎり、急いで村に訪れると、そこで目にしたのは悲惨な光景だった。

死屍累々としか表現できない屍と臓物、そして鮮血が村のあちこちを彩る様に飛び散っている。

半壊した民家に目を向けると、崩れた建物の瓦礫から女性らしき白く柔らかい手が、血溜まりと共に覗いている、啜り泣く少女の声が聞こえる方に目をやると、既に事切れた父親らしき恵体の男を優しく、だが少女にとっては必死に揺さぶっているのが見える。

男の方は右腕と腰から下の本来あるはずの人間としての部位が見当たらず、代わりに大地に曝け出している大腸らしき臓物と赤黒い血が、まるで犯人の向かった先を示す道標のようであった。

白濁化した男の瞳と酷く痩せこけ、ほぼ骨と皮だけで出来ているとしか思えない風貌の少女を見るに、この状態から数日経過している事は容易に想像できる。

そして犯人は、どのような力でこの凶行を成し遂げたか。

獣に食いちぎられた物とは違う荒々しくも鋭い切り口に、破城槌の一撃を、まともに受けたかのような堅牢な石造りの建築物を安易と破壊できる威力。

考えられる犯人は一つ、再誕者の仕業だ。

 やがて少女がこちらに気付くと、虚な瞳でよろよろと立ち上がり、今にも消えようとしている蝋燭のような声で問いかける。

「おじさん…おじさんもみんなを起こすの手伝ってよ。

おとうさんもおかあさんも村のみんなも、もうお仕事の時間は始まっているのに、何回呼んでも起きないの。」

無垢な少女の問いかけに、セルジオは男の瞼をそっと手で閉じ、アーシマの印と額になぞり祝福の言葉を囁くように述べると心苦しそうに返した。

「村の皆は死んだんだ、もう起きて仕事をする事も、君の名前を呼ぶ事もない。」

残酷な現実から目を背けたいのか、或いは本当に死という物を知らないのか、光を失った瞳をこちらに向けながら少女は問う。

「死んだって何…?皆んなわたしを置いてどこかへ言っちゃったの…?」

理解しているのかしていないのか、あやふやな問いかけに合わせるようにセルジオは答えた。

「そうだ、皆神様のもとへ行ったんだ。」

焦点の合わない瞳から、大粒の涙を零しながら少女はセルジオに願った。

「なら、私も連れてってよ、もう独りぼっちは辛いよ。

 私はちゃんと、我儘もいわないでいつも村のみんなを手伝ったよ。

なのにどうして、私だけを置いてけぼりにしたの?」

悲哀に満ちた訴えにセルジオはただ、少女の頬を伝う涙を親指で拭い、君は悪くないと慰めることしか出来なかった。

元の日常を取り戻せないのであれば、せめて仇を打って弔ってやりたいと思ったセルジオは、手掛かりを知るべく少女に問いかける。

いずれ来るルカサンテでの決戦に向けて、この聖体での再誕者との戦闘経験を積む必要性もあるからだ。

どうやら、少女が外へ木の実を拾いに行ってきた昼頃、突如爆音と断末魔が聞こえ、急いで戻った頃にはこの惨状に成り果てていたとの事だ。

その村の出口に四人の男女らしき人影が去るのを見たと聞き、セルジオは立ち上がった。

権威や政治から離れた場所で静かに暮らしていた何の罪もない者達を、何故こうも無慈悲に命を奪うことができるのか。

自身の都合や欲求の為に、無責任に与えられた力を振るい、他者の人生を捻じ曲げる鬼畜の所業と言わんばかりの行為に激怒したセルジオは、少女にそこで待っていてくれと告げると、彼らの辿った道へ再び歩み始める。

 彼らには痕跡を残す事への警戒心が無いのか、はたまた誰が襲いかかっても返り討ちに出来るという自信の表れか、行儀良く足跡は「何も金目のものは無かった、骨折り損だ。」とでも愚痴を吐きながら歩んでいるような歩幅で横一列に並んでいた。

右端の足跡は男物のブーツだ。

真ん中の二つは少し細い、女性物の靴だろうか。

最後の左端は一回り大きい、足跡の深さを見るに甲冑の足跡だ。

長き放浪生活で身についた、生き抜く為の知恵に基づき、注意深く行動する様は、最早甲冑を身に付けただけの狩人である。

 やがて複雑に分岐した道を僅かな痕跡を頼りに辿り進むと、鬱蒼とした森を抜け広場に出る。

そこには少女の証言と一致した男女の四人組が見えた。

この地の何処にも合致しない甲冑を纏い自身の背丈ほどもある大斧を持った男は、顔つきを見るに自分の行動の善悪を区別できる知能は備わっていない。

聖女の格好を模した、神に仕える者の格好をしておきながらこのような冒涜的行為に加担する白髪の女と、奇妙な帽子と杖を持った、童話の世界からそのまま出てき様な魔女の格好を模した女、恐らく全員20代前半だ。

徒党の中心的存在と思しき人物は、黒い髪に、自身の行動に自覚と責任をまるで持ち合わせていない目つきをした平坦な顔をしている。

過去にこのような顔をした男を見た事がある、記憶の奥底に閉じ込めていた苦い記憶が、再び激しい怒りと共に蘇るのを抑え、セルジオは確信する

――間違いない、奴らは再誕者だ。

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