星影のオケアニデス

知多=北落・清成

第1話

〈こちらハルディン・コントロール。針路良好、速度落とせ、推力2〉

一隻の船が港に近づいていく。

客船だ。その船室の窓から外を見る黒髪の少年が一人。

「珍しいか?」

「うん、とっても」

「なに、じきになれるさ。ここはお前の故郷と違って、全てが集まるところだからな」

中年の男がその肩に手を置き、どことなく不安をにじませていた少年を励ます。

「先生もここの卒業生だったんですよね」

「そうさ。そしてアカデミーにはお前と同じ、次の時代を担う者たちが集まっている。ここが未来の始発点だ」

窓の外、大きく見える島影の輪郭を塗りつぶすように立つ建物がアカデミーである。

自身の母校でもあるその影を、懐かしさとその他の感情がないまぜになった表情で男は見た。

「お前は俺たちの町の誇りだからな。お前より腕のいい奴はそうそういないさ」

星間歴百四年三月、人類はいまだメインベルトの内側にいる。



【ポリス・ハルデイン:メッツ・アカデミー】


「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。このアカデミーはご存じの通り、Leフレームの操縦者、ランナーを育成するアカデミーです。Leフレーム開発者、リー・メッツ博士の宇宙開発黎明期における功績を称え、次世代の俊英を育てるべく設立されたアカデミーは、地球、月、火星、各コロニー群の星間歴時代の優れた指導者や研究者を多く輩出してきました。君たちがその後に続くことを、私は確信しています」

人類圏から集められた少年少女たち、三百名。

各地の有力者の推薦に加え、試験成績、無重力空間作業機械=Leフレームの操作適性で選ばれる狭き門。ハイスクール相当の教育機関において、人類最高とされるアカデミー。

数千倍の競争を勝ち抜いた新入生たちは、その自負を表情から滲ませて校長の祝辞を受けている。

「二年間のカリキュラムの中で、皆さんには三つの試練が待ち受けています。今年で四十九回目を迎えるアカデミックシリーズ。皆さんが挑むときには、記念すべき五十回目となっているでしょう。三つのトロフィー、その偉大な栄光を勝ち取るべく切磋琢磨することを期待しています」

アカデミックシリーズ=ナガサキ10マイル/エプソムトーナメント/クリサンセマムチャンピオンシップ。

Leフレームを自身の手足以上に扱えるという証明。デブリ漂う危険地帯を最高速で突破し、選抜された同期たちと競い合い、最後は地球低軌道を戦闘しつつ駆け抜ける。

この途中で事故が発生することも珍しくはなく、出場を許されるだけの実力を認められるものは三百の同期生たちの中でも十数名。

その過酷な試練で結果を残したものはその後の栄達を約束される。

特に、三冠全てを手にした者は過去四十八回の開催の内二人しかいない。

「そして、皆さんが学生として、最大の成果を獲得できることを祈っています」

「ありがとうございます。続きまして……」


校長、理事、来賓の祝辞が終わったのち、新入生たちは別の講堂に移動する。

「班編成を行います。二年間の学校生活の間、この班での行動が基準になります。生活から、アカデミックシリーズまで」

壇上に置かれたボックスの中、くじが入れられている。

「それでは、学生番号順に引いてください」

少年の順番はだいぶ後のほうだ。

同じ班のメンバー次第で今後の成績と生活が大きく変わると思えば、あまりにもじれったい待ち時間。

学生番号は推薦者の地位や試験結果などから振り分けられるため、番号が若いほど優秀であると言える。

二百番台の後ろから数えたほうが早い番号の少年と、その周囲ーーー講堂の後ろのほうに座る者たちは髪をいじり、爪を突き、静かに足踏みしながら待つ。

それでも順調に順番は巡り、ついに少年が壇上に立った。

幸運を祈りながら、箱の中に入れられた紙を手に取る。

中はまだ見ない。後ろがつかえるため、壇上では足を止めない。

それぞれの席でめいめいに紙を開く同期生たちの中を歩いて、自分の席へ戻る。

願わくば、前のほうの彼らと同じだったらいいな。

どん、と衝撃。

物理的な衝撃だ。

思わず手に持っていた紙を落としてしまった。

「ごめんなさい。ケガはない?」

「大丈夫です。そっちこそ、ケガはないですか」

「優しいのね。私も大丈夫よ、ありがとう」

後ろを歩いていた少女がぶつかってしまったらしい。

入学式と違い、メディアが入っていないのが幸運だったろう。

落ちた紙を拾いなおし、席へ。

「さっきの、テシガワラ提督の一人娘じゃね?」

「道理で見たことがある気がするわけだ」

「お前流石にとろすぎるぜ?連絡先くらい聞いて来いよ」

同じ便で乗ってきた同郷の者たちが囃し立てる。

相手は、彼らの故郷で一番の大企業のご令嬢だったのだ。

「僕なんかが声をかけても、SPに追い返されるだけだよ」


「この僕が一番じゃないなんてね」

最前列、最も右側の席=学生番号一番。金髪の少年が脚を組んで一枚の紙を見ている。

あくまでも抽選は運であり、班番号は偶然に左右されるものだ。少年もそれを分かっていたうえで、尊大に嘆いて見せる。


「班編成は四人。同じ部屋、同じ生活。男女が分けられていないのは、星間歴初期のLeフレームの運用環境をリスペクトして、という理由らしいが」

「現に今でも氷屋やヘリウム屋たちはタコ部屋暮らし。過酷な現場の環境に慣れさせておくのも悪いことじゃないけど」

「アカデミーに来る連中のほとんどは良いとこの子供たちだ」

長身の少年が近くにいる少女と話している。

当初は作業用機械の訓練所として開設されたこのアカデミーも、いまでは社交の場である。

貴族や政治家、資本家、そしてアカデミー運営たちの思惑が入り乱れ、アカデミーには最新の価値観と旧態依然とした価値観が入り交じっていた。

「三冠の父の理事の方針だとさ」

「三冠相手ねぇ」

講堂中ごろの生徒たちの視線の先、老いてもなお威厳を見せる理事が座っていた。

昔はLeフレーム作業員たちの腕比べだったレースを整備してアカデミーのカリキュラムに導入した実績がある。それ以来、Leフレームを使用する者たちはランナーと呼ばれるようになった。

「これもブランド化ってやつだろうね」

「人類圏は商業なしにやっていけない。かくいう私たちも商品さ」


新入生たちの期待と不安をよそに、班分けが完了する。

「それでは、各自宿舎に入ってください。身辺整理をしたのち、L1標準時十六時半に講堂へ集合、食事と入浴についてオリエンテーションを行います」



【アカデミー:宿舎】


少年が荷物をもって、部屋に入る。

部屋にはまだ誰も来ていない。

遠心力で1G一気圧に調整されたコロニー内部、窓の外には緩く上へ向かってカーブする地面が見える。

ラグランジュ2=月の裏側から来た少年にとっては初めての環境型コロニーである。

月面に続いて建造された人類の生活拠点、ラグランジュ1=五つある地球と月の重力の均衡点の一つ/地球と月の間を結ぶ星間物流の結節点。ここには資源と物資と人材と情報と資産が集まる。

呼吸する空気に処理しきれなかった有毒ガスが混じることもなく、反射鏡を利用して取り込まれた太陽光で植物が光合成を行い、酸素の供給に不安はない。

室内には四つのベッドと四つの机、四つのロッカー。

ベッドを仕切る衝立が壁には畳まれていた。

手近な椅子に座り、同期生を待つ。

彼の荷物は大きめのトランク一つのみ。

彼の故郷であるプリヴォルヴァ3の人々は、トランク一つで収まる程度の荷物しか持たないのだ。

だからぶつかる音とともに戸が開いた向こう、荷物の山と金色の頭が見えた時、彼は混乱した。


「やぁ、誰かいるかい?いるのなら手伝ってくれないか?」

荷物を部屋に入れようとしたら、台車が挟まってしまった。

幸運にも中にいた同期生が応えてくれたからよかったものの、そうでなければ班員揃って締め出されていただろう。

「いやぁ、助かったよ。キミがボクの仲間かい?よろしく頼むよ」

「よろしくね」

部屋の中は狭く、窓も小さい。

月面コロニーの、彼の家の倉庫とさして変わらないだろう。

庭もなければバルコーネもない。

ベッドもパイプフレームの質素なものだ。

「まぁ、住めないこともないか」

せめてマットレスは買い換えたいところだ。

そこに控えめなノックが響く。


「失礼、十四班はここでいいか?」

「あぁそうだよ、ようこそ、キミが三人目だ」

「よろしくね」

長身の少年だ。荷物はトランク三つ。

二人に倣って適当な椅子に腰を下ろす。

「コロニー内は、地上と同じ一気圧を保っているんだな」

「人間は依然として、真に地球の外には出られていないのさ」

気圧、重力はもちろん、暦すら地球に合わせている。

今の時刻は十四時、調整された日差しは中緯度の温暖な日差しとして降り注ぐ。

「しいていえば、湿度が少し足りないが」

「ボクのいた月よりは過ごしやすいよ」

「ガスの心配しないで呼吸ができるだけ、有難いね」

「月面もプリヴォルヴァも、大変だな」

再び、ノックの音が響く。

「ちわー、っす」


「それじゃぁ、自己紹介でもしようじゃないか。これから二年間、あるいはその先も仲良くする仲間なんだ」

金髪の少年が立ち上がって場を仕切る。

黒髪/長身/軽薄な少年たちはそれぞれ椅子に座って車座になった。

「ボクはミシェル・L・ラングレン。月のラングレン家の長男。席次の一番。好きなものは美味しい食事と、美女と、勝利。よろしく頼むよ、キミたち」

月の乾いた空気で育ったにもかかわらず、艶やかな髪色。

長い脚を組み、目立つ改造制服に身を包んだ貴族階級の美少年は、やや上から目線で口火を切った。

「次は俺か?俺はデイル・ハラルドソン。グリンヤルティ社の三男だ。席次は十五番。好きなものは、海とオーロラだ。よろしくな」

地球の大気と重力に育てられた長身。

不確かな地面を踏みしめ、やや窮屈そうに頭を低くしている彼は、落ち着いた声で名乗った。

「それじゃー、俺だな。ヴァンセット・ツィナー。人造人間。L5のヨコハマ・ノア製。後見人はジオローパ家。席次は三十一。好きなものは流動食でも合成食でもないリアルな食事」

人類のバイオ技術の結晶であるカルタヘナ・モデル特有の色素の薄い肌。

同じく澄んだ瞳孔と、細い唇は愉快そうに弧を描いている。

「僕はアキラ・ユガワラ。L2のプリヴォルヴァ3出身。労働者階級。席次は二百八十五番」

太陽光を得られない月の裏側出身の彼もまた肌が白い。

Leフレームの操作は筋肉量に影響されないとはいえ、それでも他三人より体が細かった。

配給されるカロリーの絶対量が足りていないのだ。


しかし、アキラ以外の三人の注目はそこにはない。

「どうしたの?」

「キミは不思議に思わないのかい?ボクたち四人の席次の平均値は八十三。三百の学生がいるなら中央値は百五十。勿論確率的にあり得ない話ではない。だが違和感がある」

ミシェルは眉を寄せた。

「いっそ誰かの思惑があったほうが自然だ」

「だが箱から取り出した紙、ここにあるが細工されている様子はない。電子ペーパーでもなければ、生体情報を読んでいるわけでもない。もっとも、検査しないと詳細は出ないが」

デイラは手元の紙を透かして見るが、なにかがあるようには感じられなかった。

「でもせっかく揃えるなら、二桁台を揃えたほうが良くないか?」

ヴァンセットが十四、と書かれた紙を畳んで紙飛行機にする。

はっ、と思い出したのはアキラ。

「そういえば、他の生徒とぶつかって紙を落としちゃって……もしかしたら入れ違ってたのかも」

「相手は誰だ?」

「テシガワラ家のお嬢様」

「あー……」

デイラが宙を仰ぐ。

ツバメ・テシガワラ、席次は二十三番。何かの意図があって一、二桁台が集められたのだとすれば、間違いなく彼女は選ばれるに値する。

「今更間違いでした、と言っても通じないだろうね」

「せめて首謀者が分かっていればともかく、疑いの段階じゃぁね」

ミシェルとヴァンセットも眉間にしわを寄せる。

アキラはだんだんいたたまれない気分になってきた。

「いや、アキラが気にすることはない。こうなったことで困るのは、何かを企んでいたどこかの誰かだけだ」

「だけど、思惑が頓挫したとも限らないからな」

デイラがヴァンセットが言わなかった先を告げる。

「つまるところ、アキラには二桁台の仕事が求められることになるだろう。アカデミーの成績は班の成績だ。例えばボクのところの誰か……あるいはデイラやヴァンセットのところの誰かが、ボクたちにいい成績を出させるために班編成を仕組んだのならね」

ヴァンセットは人造人間で親がいないが、性能を示すという目的で製造元が関与した可能性もなくはない。が。

「俺のところの可能性はほぼないな。だって俺、計画中止の廃番品だもん。開発チームも三年前に解散してるから、アカデミーの成績を気にする奴なんて誰もいないよ」

「……ともかく、アキラにはいい成績を出してもらわないといけない。誰かの思惑は関係ない。ボクはボクのためにいい成績を残さなくちゃいけないんだ」

「それは俺もだ。俺の成績は社の評判。社の評判は社員の生活に直結する」

「貴族も御曹司も大変だなぁ。だが俺も、ジオローパ家には恩義がある。勝利の手土産がなきゃ家にも帰れん」


「アキラ、悪いがボクたちの覇道に付き合ってもらうよ。ボクたちはただの勝利なんて求めていないんだ。圧倒的な勝利、絶対の栄冠、不動の名声。ボクたちの伝記の記念すべき第一章を綴るんだ。大丈夫、座学でも実技でも、ボクたちがついている。席次一番が親の七光りじゃないことは、このボクが保証しよう」

「うん。僕だって故郷に錦を飾りたいんだ。学園の頂点なんて大それたこと考えられなかったけど、やれるかもしれない」

軽薄でも理性的なヴァンセット/冷静沈着な声色のデイル/自信家のミシェルーーー三種三者の励ましが、自信をもてないアキラの心を動かしていく。

「そうさ。良い顔になったね。ではまず覇道の第一歩として、班長を決めようじゃないか」

渡されたレジュメの一つ、班長の選出。班長は部屋の管理をはじめ、教務の諸々で班を代表する。多くの場合、席次や生徒の関連する企業の序列で決められるが、班編成の結果次第では対立する企業同士で同班となって話がまとまらなくなることも多い。多忙の見返りに成績点を多くつけられるというメリットもある。

「それじゃ、せーので指さしで決めよう。民主的な多数決だ」

「貴族がそれでいいのか?席次一番だろうに」

「ボクは民の声をよく聞くようにしているのさ」

胸を張るミシェル/アイコンタクトを取るデイル+ヴァンセット/よくわかっていないアキラ。

「自分を指すのは無しにしようぜ」

「あぁ、それがいい」

「ふん……仕方ないね」

「それじゃ、せーの」



【アカデミー:食堂】


「それでは、ついてきてください」

学園生活に関するオリエンテーションが終わったのち、アキラは班の皆とともに食堂へ案内されていた。

「へぇ、広いんだね」

「五百人が収容可能です。二学年のほか、教員や整備士も利用しますので、長時間の利用は控えてください」

列に並んで、トレーを手に取る。

「こういう食事、憧れてたんだ」

思い出すのはプリヴォルヴァ3の生活。

「プリヴォルヴァ系列は外宇宙開発の前線基地。居住環境はかなり力を入れていると聞いていたが」

後ろにいたミシェルは培養肉のステーキをトレーに乗せながら聞く。

「1と2はそうだね。研究と観測がメインだから。でも3と4は造船所と工場区画なんだ」

合成タンパク質のチューブと各種ビタミン剤、そして再生水。明るい食堂は存在せず、休憩室に仲間と浮かびながらそれらを流し込む。

「味は?」

「添加された香料の薄い味」

「酷いな」

アキラのトレーにも培養肉のステーキ。初日ということでアカデミー側も良いものを出してきたのだと思う。

「でも進水式や、式典の日なんかは僕たちのところにも上のほうから食料が届けられるんだ」

「月の裏側はそういう世界なのか」

一、二か月に一度のハレの日だ、と先生が言っていたことを思い出す。

「そんな環境、辞める人も多いんじゃないのかい?」

「うーん、でもプリヴォルヴァ3に定期航路はないんだ。メディアのお陰で陽の当たる世界があることは知ってるけど、そこに行く方法はなくて」

何処まで行っても灰色で、狭く息苦しい世界。

「これが本物のステーキなんだ」

ほんの昨日までいた世界と比べてここはどうだろう。

分厚くて赤い肉ーーーそれも切れ端ではない。

陽の当たる世界にはこんな色があるんだ。

口に含む。噛み切れないほどの肉厚。

まだ残る熱に舌を火傷する。

初めて嗅いだ匂い。

鼻の奥にまだ残る鉱油と錆の匂いとは違う、生きた匂い。

「地球に来たら、畜肉のステーキを御馳走しよう。本物の生きた牛の肉だ。これよりもさらに旨いぞ」

「アキラ、ナイフの持ち方はこうだ。テーブルマナーも今度教えよう」

「培養肉もいいが、野菜も食べなよ。水耕栽培で育てられた新鮮な野菜だ。ビタミン豊富で、なにより味が良いぜ」

「みんな、ありがとう」

間違った班にきてしまったと知った時はどうしようかと思った。

半日と滞在していないのに、穴倉のような故郷には戻りたくないと思ってしまうほどアカデミーは清潔で開放的だった。

それでも、皆は自分一人だけ低い席次を気にすることなく、しかも学業を手伝うと言ってくれた。

「僕は、ここで頑張りたい」


ステーキをフォークで吊ってナイフで切ろうとしていたアキラに斬り方を教えながら、ミシェルはそっと周りに聞き耳を立てる。

アカデミーの学生は、貴族や事業化、政治家といった有力者の推薦を得なければならない。

だが実際にナイフとフォークの使い方を知らない生徒は僅かながらいるらしい。

「L2、L4、火星組か……」

「アファーマティブアクションだな」

隣にいたヴァンセットがアキラに聞かれないように声を低めて返してくる。

「労働者階級のための推薦枠。非公式に用意されているとは聞いていたけれど」

「意義はあるだろうさ。多くの上流階級は下流民の生活を知ることがない。肉の切り方すら知らない階級の存在なんて、予想すらしないだろう。その存在を可視化することは、”民の声をよく聞く”ことにつながる」

「それに、開発が遅れている火星や失敗したL4の若者を教育して指導者にできれば、開発コストを抑えられる」

アキラに勘付かれないように、にこやかな顔を崩さないままの会話。

「彼は知らないことが多いが、頭の回転は早い」

「分かっているとも。キミたちを仲間だと言ったのは本心だよ」

貴族と労働者階級、おなじ年とはいえ見てきたものが違いすぎる。

それでも、見識のなさだけを責めて稚魚の小さいを嗤う真似だけはするまい。

「分かっている。ボクは誇り高い月面貴族だから」


「それはマッシュポテト、芋だ」

「これが本物の……」

デイルは向かいの席でなにやら話している二人を見る。

アキラには聞かせたくないらしい話、その間彼の意識を引き留める役をいつの間にか押し付けられていた。

「水耕栽培の設備もなかったのか?」

「水耕栽培って?」

ため息を耐える。アキラはただ知らないだけなのだ。

「地球時代、人類は土に種を植えて植物を育て、そこから人類の文明が始まった。それが繁栄に従って畑が潰され街になってしまったんだ。そこで水耕栽培だ。土の代わりに、養分を溶かした水に植える。やり方はいくつかあるが、病気や害虫を気にせず、工場内で生産できるのがメリットだ。コロニーの植物は全て水耕栽培だな」

感心しているアキラ。聞く限り、プリヴォルヴァ3の生活環境は極めて悪いらしい。

「プリヴォルヴァの出資者は、たしかマルドゥック社だったか」

「うん、僕が働いてた造船所も、マルドゥックのグループ企業だったよ」

「まて、働いていたのか。学校は?」

「仕事終わりに、先生が教えてくれたんだ」

アカデミーの一年生は原則として十六歳。飛び級制度はあるにせよ、同い年であることは疑いない。

「プリヴォルヴァに学校はあるのか?」

「初等学校はあるよ。そこから実業学校に進むか、就職するか。僕はランナー適性があったから就職してたけど、先生がいろいろ教えてくれたんだ」

デイルは幾度目かのため息をついにこらえきれなくなった。

「地球の多くの地域、それから宇宙でも、中等教育までは義務付けられていることが多いんだ。実業学校は中等教育に当たるが、それすら飛ばすのか」

「仕方ないよ、働ないと食べていけないんだ」

労働者階級がこのアカデミーにいる意義がこれだろうか、と頭を抱えるデイル。

しかしプリヴォルヴァ系列を持つマルドゥック社は、彼の実家のグリンヤルティ社とは競合他社である。人道支援の計画を持ち上げたとして、他社の縄張りには手を出せない。

「一応、グリンヤルティに連絡は入れておこう。企業連の会議で非人道性を指摘させる」

プリヴォルヴァ3の環境を改善するには、相当な手回しが必要になるだろう。

企業連の序列においてもマルドゥック社は上位だ。

どれほどの効果があるかは不明だが、実家への得点稼ぎには良い案件ともいえる。

「月の裏側の生活、辛くない範囲で教えてくれると嬉しい」


「いや、そろそろ出たほうがいい」

どうも長話の雰囲気になってきた。

ヴァンセットはそれを断ち切って入口を指さすーーー人の列。

「長居するなって、オリエンでも言われたからな。それに浴室も身に行かなきゃならん」

既に皆食べ終えている。ヴァンセットは口元を拭った。

「どうだろう、班長?」

「そうだね。出ようか」

班長=アキラの一言で皆が席を立つ。



【アカデミー:宿舎】


「本当に僕が班長でよかったの?」

「民主的な多数決の結果だ。問題ない」

「そうそう、人類の英知である民主主義のね」

「毒が隠れていないぞ?」

ヴァンセットはデイルとともに苦笑しつつ、部屋の椅子に座っていた。

班長決めはすぐに終わった。

ミシェルを指したアキラと、アキラを指した三人に分かれたからだ。

ヴァンセットがデイルを見た時、彼もまたこちらを見ていた。その視線の意味はーーー「ミシェルに主導権を取られるのは避けたい/でも面倒も負いたくない」

班長はたしかに成績点に影響するが、毎日教官室へ向かったりシミュレーターのスケジュール調整をしたり、他班と打ち合わせするなど雑務が多い=やりたくない。

ミシェルであれば確かに間違いはないが、そうなった場合二人に貼られるレッテルは月面貴族の腰巾着。

班の発言力が低下することを含めても、アキラのほうがいいと無言の合意に至ったのだ。

互いに指名して潰しあうよりも、揃ってアキラを指名すれば半数を取れる。アキラとミシェルが揃ってどちらかを指名した場合は引き分けとなるが、ミシェルにしても地球企業の太鼓持ち扱いは避けたいはず。そしてアキラがヴァンセットに対して寄せる信頼は今日一日見た限り三人の中で一番低いという確信。

自己推薦を避けたのも、ミシェルに二票が流れることを避けたため。

さらに言えば、ミシェルがアキラを指すにあたり同じような思考を巡らせていることも織り込み済み。

貴族の前で多数決をする無作法に隠して、互いの警戒心を確認。

「まぁ、貴族の政治なんてそんなものだけどね」

毒を正しく共有することが共通理解の第一歩。こんなやり取りが日常になれば、アキラにもいずれ分かる日が来るだろう。

ベッド割りはミシェルの意見を全面的に飲んで詫びに変えた。

貴族とも、企業とも関わりを深く持つヴァンセットは、このやり取りで二人に自分の存在感をアピールできて良しとした。


一連のやり取りがよくわかっていない顔のアキラだが、時計を見やると十八時過ぎーーー入浴の時間である。

「原則は三日に一回なんだね」

「コロニー内は気候が安定している。地上のように熱い寒いがない分汗もかきにくい。そして、宇宙居住者は大なり小なり代謝を抑える処置を受けているからな。なにより真水は宇宙で最も価値ある資源の一つだ」

この班でただ一人の地球人であるデイル=北欧同盟/安定して寒冷な気候出身者の答えは簡潔だ。

「プリヴォルヴァ3じゃほぼ毎日だったよ」

工業水をろ過した水を機械の廃熱で温め、機械油に汚れた身を洗っていた。

「無重力環境でシャワー?なかなか危ねぇな」

「流石にシャワー室は重力ブロックにあったよ」

無重力空間に漏出した液体に頭を突っ込んでしまい窒息する事例は、宇宙開発が進んだこの時代でも発生する。

「排水も再利用だったのか?」

「うん、トイレとかで」

初期のコロニーで見られた構造だと、アキラは先生から聞いていた。

シャワーで流れた皮脂や髪がサニタリーでつまりを起こす不具合も多かったが、水資源の節約のために見逃されていた。

今ではほとんどのコロニーで汚水の転用はされていない。

汚水は蒸留し、再生され、純粋となって農業、工業、そして生活用水と飲用水になる。

フィルターで濾された不要物は各コロニーごとに集積→肥料化されるほか、再生不能なものは大気圏で焼却される。

「詰まった時、修理しようとしたら配管に圧が残ってたせいで吹き出しちゃってね……頭からかぶった時はかなりきつかったよ」

「うげぇ、そいつは勘弁だな」

ヴァンセットが心底いやそうな表情をする。

消臭粉を頭からかけられしばらく隔離されたのは良くない思い出だ。

「安心しろ、ここは1G環境だし、事故に備えて密閉型のシャワーだ」


服を脱ぎ、並んだブースの一つに入る。

そこそこ混みあった浴室の中、ヴァンセットとアキラは隣り合ったブース、他二人は離れたブースに入った。

首から下をブースに入れた状態で身体を洗いボタンを押せば、ブースの中に多数設置されたシャワーが勢いよく吹き出し身体を洗い流す。

「たしかに、水の節約になるね」

「頭は自分で洗うんだぞ」

流量調節に失敗した他班の生徒が向かい側で悲鳴を上げる。

「まぁ、その辺は慣れだ」

首元から噴き出した飛沫が顔を濡らす。

万が一この瞬間に動力が停止してもしばらくは惰性で遠心力が働くし、建物はそれぞれ気密構造となっているためすぐに酸欠となることはない。

それでも浴室内にはいくつかのマニホールドが備えられていて、非常時には酸素マスクを接続することが可能だ。

「プリヴォルヴァ3はそこまで立派な設備なかったな。一応マスクはあちこちに置かれてたけど、数が足りないしメンテも不十分だし」

「本当に……大変なところだな」

酷いところだ、とは言わない。

アキラの郷土への想いがどれほどか、まだ見えない。

少なくとも、プリヴォルヴァ3には行きたくないとだけ思った。



【アカデミー:宿舎】


ミシェルはベッドに身を横たえていた。

既に照明は落ち、非常口と非常ボックスの位置を示す緑色が室内を静かに照らす。

パーテーションで区切られた向こうの仲間たちは、それぞれ静かにしている。

(少し、腰に来るな)

月面の低重力に慣れた身体には1Gの負担が重く感じられる。

マットレスに沈み込めない頭で考えるのはこれからのこと。

(デイル・ハラルドソンも、ヴァンセット・ツィナーも単純な相手じゃない。少なくとも席次以上に厄介な相手だ。実力が伴っていればこの上なく頼もしいが……ボクの速さについてこれるかな)

来週には早速実技が始まる。Leフレームランナーとしての腕はそこで見せてもらおうか。


デイルはベッドに身を横たえていた。

夜風はコロニーの回転に合わせて一方向から緩く吹いている。管理された気温のお陰で寝苦しさはない。

故郷の寝具に比べれば薄く、軽いシーツにいささかの心もとなさを感じ寝返りを打つ。

寝る前に窓から見た景色は、閉じられたコロニーの内壁だった。

(星の海の只中にいるのに、何も見えないか)

考えるのはこれからのこと。

辺境出身のアキラも、月出身のミシェルやまだ素性が知れないヴァンセットも、宇宙生活者だ。無重力空間での身の振り方については彼自身が一番下手であることに疑いはない。

(フレームの操作はシミュレーターで無重力から高重力まで叩き込まれている。やれるはずだ)

実際に入試における適正は極めて高いと認定されている。素養はあり、まだ結果がないだけだ。


ヴァンセットはベッドに身を横たえていた。

班員はこれ以上を望めないほどのメンバーだ。アカデミーの成績はここで決まると言っても過言ではないと聞いていたが、この調子では主席班になれるだろう。

(どうやら死なずに済みそうだ)

右手を掲げるーーー天にも地にも向かずに彷徨う手のひら。

まくれた袖から白い腕が見える。

ヒトではないが故に、ヒトであることを求められる身。頭の先からつま先まで、人の意思が介在しない部分がない身体。

恩恵は大きいが、勧められる人生ではないと自覚する。

(ヴァンサンクたちは無事だろうか……伯爵は……)


アキラはベッドに身を横たえていた。

熟睡している。

健やかな寝息だ。



【アカデミー:講堂】


アキラはタブレットとノート、教本を睨みつけていた。

「……Leフレームはクラフトと呼ばれる出力制限が設定されています。推進剤の燃焼レベルは試験用のクラフト1では推力10まで、貴方たちが使用する訓練機はクラフト2、推力20まで。クラフト6、高重力環境では100まで。なお実際に推力100に耐えられる機体は今のところ存在しません。加速度に人体が耐えられないためですね」

横を見るーーーミシェルは涼しい顔をして聞いている。

左を見るーーーデイルは知っていることだと言わんばかりの顔。

その奥ーーーヴァンセットはあくびをかみ殺した顔。

「Leフレームの製造はグリンヤルティ、マルドゥック、大瀋航空公司、KiTa、台南航空開発、ネルガル、エレクセオン、明石工房、ハインツ&トムソンがシェアを分けています。各コロニーに採用されたLeフレームは作業用、警備用の用途で使用されています」

一番に名をあげられたグリンヤルティ、その本家の者にとっては習うまでもないことなのだろう。

「……このアカデミーでは主にKiTa製レンジャーを標準として採用しています。また、一部の学生は各企業の新標準機のテスターとして持ち込みを認められています。これらも学内ではクラフト2、つまり訓練用出力に抑えられていますので、性能としてはレンジャーと差はありません」

「そうとも限らないんだよな」

「え?」

小さな声でミシェルが呟いた。

「レンジャーは良い機体だ。癖がなくて整備しやすい。だが言い換えれば反応速度が鈍く、無駄が多い」

「出力は同じで、宇宙空間では空気抵抗を無視できる。確かに理論上は台頭だ。だが現行機、さらに言えば型落ちのレンジャーでは思考伝達効率、反応速度、ともに次世代機には及ばない。次世代機では磁場の抵抗や太陽風の影響が設計に取り入れられている。数値化が進んでいないところだが、間違いなくレンジャーでは次世代機に勝てない」

デイルが補足する。

「……以上で本日の講義を終了します。明日は教本の続きから始めましょう」


「みんなよくついていけるね」

講義が始まって数日、アキラは次々と詰め込まれる知識に溺れかけていた。

毎日三人から補習を受けている。

「そうでもないさ。アキラはよくやっている。既に教育を受けていた僕たちでもこのペースは速いと感じているよ」

そうだ、とミシェルは立ち止った。

「せっかくだ、僕たちのフレームを見に行こうじゃないか。昨日搬入されたばかりだというしね」



【アカデミー:格納庫】


敷地を渡るバスに乗り、デイルたちは格納庫エリアへやってきた。

コロニーを一つ使ったアカデミーの三割の容積を占める格納庫エリアでは、各社から派遣された整備員たちが賑やかにしている。

「……よーしお前ら。これがKiTaのレンジャーだ。バカが扱っても壊れない頑丈さだけが取り柄だが、お前たちヒヨッコの童貞卒業にはいい相手だ。これからバラし方を説明していくから、しっかり覚えて行けよ。お前らの恋人より長く過ごす相手になるからな」

デイルたちと同世代の作業服の若者たちーーー整備課の生徒。

「彼らはここで整備を学び、企業に就職していく。大手に採用される近道の一つだな」

整備課の生徒を指導しているのは大瀋のクルーらしい。

機械油の染みがついた作業服に安全帯をつけて、軽々と機体をよじ登っていく。

寝かせられたレンジャーの上で、整備課の教官はしわがれた声を出す。

「……Leフレームの操作は神経接続。このサイズの機械をスティックとペダルだけじゃ動かせんからな。地上で人が行う建築作業を宇宙でやるために、人の形をそのまま大きくする必要があったんだ。胸に座ったランナーの思考を動作に反映する神経系が、この首の部分に集中している。或いは、動力炉が腹。推進剤が太もも。人体と同じ構造で作られたから、弱点も人体とおおよそ同じだ。そして推進部と胴を繋ぐ腰、足首。壊れやすい箇所も人体と同じだ」

デイルたちの授業でもやった所だが、より実践的な内容になっている。

「……このレンジャーの良いところは、お前たちヒヨッコでも足首の交換ができるということだ。良しやってみるぞ」

実習を眺めるのもそこそこに、先に行くミシェルたちを追いかけ格納庫エリアのさらに奥へ。


扉の奥は関係者以外立入禁止地区だ。

入室記録を書き、カメラ付き端末の類をすべて預けて中へ。

まず訪れたのは、月面開発企業エレクセオン社=ミシェルの支援者。

「見たまえ、これがエレクセオンの標準機、LF5アルペイオス。僕の脳波を漏れなく拾えるようカスタムされた専用機だ」

純白の機体が四機。

「この機体のデータを反映した新標準機も来年には完成する予定さ」

それも僕が乗るんだ、とアルペイオスの前で身を回すミシェル。

「つまり、月の最新型を相手にトロフィーを競うことになるのか」

「そのために作ったからね。推力20の制限の中でデブリ群を突破するために」

「低重力下での使用を前提とした足回り。繊細でありながら強度を維持するために改良型ルナメタルを多く採用している。一機でレンジャーが十機は作れるコストだ」

「流石、目が早いね」

口にこそ出していないが、デイルの視線は関節部に注目していた。

なるほど、こういう機構か。

レゴリス対策のカバーで隠されているが、配管の接続で構造が類推できる。

「ヒントは十分かな?それで、君たちの機体はどんなのだい?」


次に入ったのは明石工房のブロック。

並ぶ機体は98式ユキカゼ。

「明石の本社がL5のヨコハマ・ノアにあってな。ミシェル同様、次世代機のデータ取りで機体をもらったんだ。アルペイオスと比べてさらに機動性に振っている。無重力空間での使用がメインだから、脚の強度はかなり弱いかもね」

ヴァンセットは自嘲するように言う。

だがその目が笑ってないことにデイルは気づいている。

手前の一機、彼が乗るといった機体は他の同型機と比べて顔つきが違うことを見抜いていた。

センサーを多数組み合わせた複眼に変わりはないが、数が多い。

彼が知るどの機体よりもセンサーが多い98式ユキカゼだが、ヴァンセット機はさらに多いのだ。

「そういえば視覚処理系の最大手は明石のグループ企業だったな」

「ご明察」

カメラの性能がどこの社でも似たり寄ったりなのは、扱う人間の性能がそこで頭打ちだからだ。しかし、ヴァンセットは普通の人間ではない。

「実際の性能は、飛ばした時のお楽しみだよ」


最後にグリンヤルティのブロックへ入る。

案内しようとする整備長に断りをいれ、機体が並ぶ一角へ。

「Type13ランドグリーズ。低軌道軍に採用された標準機で、ここに並ぶG型は加速に優れたバージョンアップモデルだ。レンジャー同様、拡張性と汎用性で採用実績が多い。低軌道軍のクラフト6仕様は現行モデル最強と謳われて」

「素敵な商品説明だ」

「すまん」

実家で何度も聞いた宣伝文句がつい口を出てしまった。

「皆から見て、どう思う」

「装備の組み換えで色々な仕事できる点では、間違いなく優れた製品だ。ただ惜しむらくはレンジャーのほうが軽くて安い」

「兵器としての汎用性はトップだろ。問題は、この数十年Leフレームを使うような戦争が起きていないので需要がないってことだが」

「なかなか厳しいことを言ってくれる」

ミシェルとヴァンセットの言こそ、グリンヤルティの悩みどころであった。

だが実際、軍事用途では売れないのだ。

地球上でLeフレームは重力に負ける。宇宙では安価なレンジャーに負ける。

「月の新型開発も、正直行き詰まりの感はある」

ミシェルは手をあげ息を吐く。

「月はこれ以上開発の余地がない。低重力環境よりコロニーの1G環境のほうが人類の生活適しているからだ。資源採掘は月の裏側で行われているが、これ以上の投資の対象にはならないだろう。だからこそ、アルペイオスみたいな競技用の機体を開発して技術力を維持しようとしているけれど、正直採算が合ってるとは言い難い」

ヴァンセットも手すりにもたれ掛かる。

「コロニーだって同じような物さ。安定したL1にこれ以上のコロニーは建てられないし、L3は太陽の向こう。L4はレグザゴンが失敗したせいでデブリだらけ。星屑採掘だってできやしない。L5もナガサキ・ノアが砕けて使用可能なスペースは減ってしまった」

L4、L5と相次いだコロニー事故は、これまで順調に進んでいた宇宙開発の歩みを止めるに十分すぎる衝撃を人類に与えた。

「まぁ十万人も亡くなってしまったからね」

フランスをはじめ南欧、アフリカ諸国が出資し建造したデパルト系列コロニー。

トロヤ群ーーーL4に漂う小惑星から希少資源を採掘する目的で作られたデパルト系列だが、事故で軌道がずれたコロニーが竣工済みのコロニーに接触、デブリが飛散した。

「それ以来、コロニー事故対策が強化されたんだけど」

L5、ノア系列コロニー出身のヴァンセットはそれでも起こった事故に苦々しい思いがあるような顔をしていた。

「ナガサキ・ノアは崩壊。連鎖的な破壊は免れたけど、ナガサキ・ノアの周回軌道には今でも立ち入り制限がかけられている」

「そこでレースするっていうんだから狂ってるよ」

努めて笑い飛ばすような表情に切り替わる。

「まったくだ」

ミシェルも行き詰まりの空気を好まない。

「それで、三機の標準機か。アキラはプリヴォルヴァ3では何に乗ってたんだい?」


「エンデバーだって?」

デイルは耳を疑った。

「エンデバーといえば、Model7レンジャーの二世代は前の型じゃないか。設計は四十年くらい前だぞ」

「製造もKiTaがノースカロライナで結成する前に終わったはずだ」

つまりとんでもない旧式である。

「思考伝達率は脅威の三十パーセント。レバー操作のほうがまだマシだ」

「そんな骨董品、宇宙線で朽ちたものだと思っていたが」

ミシェルもヴァンセットも言いたい放題に言う。

「うん、気密は信用できなかったから船外服を着てたよ」

「それでよく動かせたな……」

感心しきりといった二人。デイル自身、そのような環境で作業ができる自信はない。

「もしかすると、俺たちより操作が上手いかもしれんぞ」

実機での訓練は、来月からだ。

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