黒板消しの汚れは床に落ちる

yayuyo3

1、黒板消しの汚れは床に落ちる

「足で消しても、広がるだけだな。」

熊切は、床を見ながらそう思った。


 白、黄、青、ピンクのチョークの粉だけではなく、砕けた破片も落ちている。短くなったチョークはまめに捨てなければ、溜まっていく一方だ。なぜ、そんなに黒板に絵を描くのが楽しいのだろう。彼にとって、それは手が汚れるから、できる限り触りたくない代物だった。


 仕方がないので、濡れ雑巾で床を拭く。もう捨ててしまう予定の、使い古した雑巾に水を含ませ、床に放り投げる。触りたくないので、足の裏で雑巾を踏みつけながら、端から端まで綺麗に粉を拭き取った。そのままにしてはおきたくなかったのだ。ぐちゃぐちゃのままだと、頭の中までぐちゃぐちゃになるから。


 お誕生日おめでとう。


 それが黒板に書かれたメッセージだった。みんなで、書いた。翌日、きっと彼らは喜ぶはずだ。自分たちが祝われることを、期待しているから。まだ、幼く、認めてもらうことに悦びを見出すことができる年頃なのだ。


 その日、帰りの会が終わった後に、教室で黒板にメッセージを書いていたのは、染谷くん、野村さん、そして佐々木さんたちだった。彼らは小学三年生で、熊切のクラスの「児童」であった。学校では児童という言葉を他の世界よりもたくさん使う。児童朝会、児童指導、児童管理、児童理解、児童の事態把握。それは、病院で使われる「患者」という言葉や介護事務所で使われる「利用者」という言葉と同じように、私たちの世界を、私たちの関係を知らぬ間に構築している。


 児童とみなされた染谷君たちには、ルールが適応され、そのルールには床を汚してはならないというものがあった。


 床は汚してはならない。

 床は汚してはならない。

 床は汚してはならない。


 熊切は雑巾を手に取り、それが十分に汚れていることを確かめた後、洗うことを諦め、ゴミ箱に捨てた。佐々木さんの机の上には、作りかけの折り紙が何枚かおいてあり、持って帰るのを渋ったために溜まったランチ袋が机の横のフックにいくつもぶら下がっていた。熊切は雑巾と一緒に、その折り紙を捨ててしまおうと思ったが、思いとどまり、彼女の机の中に静かにしまった。 


 佐々木さんは、ものを片付けるのが苦手な小学3年生の女の子であった。机の中に、大量のプリントが発見されたことがあった。授業参観のあと、彼女の父親はお手紙が家に届かなくて困っていると話した。管理することになっているのは、熊切であり、きちんと持って帰るように声をかけるようにしますと彼は答えた。


 黒板消しは床に落ちると、白く後に残る。彼女はなぜそれをそのままに残して、帰ってしまったのか。友だちの誕生日は祝いたいという気持ちがある。黒板に絵を描くのも楽しい。でも、掃除をすることは好きではなかったのかもしれない。

 

 彼女は通級指導に通っていた。自閉症スペクトラム、ADHD、学習障害、高機能自閉症、情緒障害。様々なカテゴリーが生み出され、言葉が流通し、また、私たちの世界を作っていく。今まではなかったことが、対処すべき対象とされ、誰もが「診断」の対象になる。あの子はグレーゾーンだとか言われ、その特徴を「児童」にどうにか探し出そうとする専門家たちがいる。


 佐々木さんは、その言葉の網に引っかかった。熊切は彼女が一週間の火曜日に午前中の4時間、別の教室に移動し、そこで個別の学習プログラムに沿って勉強をしていることに、一方で安堵の念を抱かずにはいられなかった。教室で彼女がしたいことと、熊切がすることになっていることは、折り合いが悪かった。授業妨害という言葉がある。


 授業は妨害されてはいけないのだろうか。


 そんなことを、熊切は考えることもあった。言葉は誰が生み出しているのだろう。その言葉ができることで、誰が得をして、誰が損をしているのだろう。


 そんなことを熊切は考えることもあった。

 そんなことを熊切は考えてしまった。


 言葉の網に引っかかったのは、佐々木さんだけではなかった。染谷くんは通級教室に通うことができない小学3年生の男の子だった。彼が放課後、黒板に絵を描いているということ自体が、熊切にはよいことのように思えた。彼は大きな音を嫌い、音楽の授業には参加していなかった。好き嫌いが多く、食べられないものがほとんどだった。最近は小学3年生になり、友だちも増え、よく笑うようになった。大好きなキャラクターの絵を黒板に上手に書いてくれた。


 通級教室に通うために、彼の家族は小学2年生のときから、申請を出していた。これで今年で二度目だった。染谷君が通級に通う資格があることを証明する必要があった。疲弊するのは、家族の方だった。彼は就学時検診で校長先生のところに連れて行かれた。WISCという知能検査を受けることが勧められ、最終的には固定学級に進学するのが適応であるとの判定が出た。


 今の仕組みでは、固定適応の診断が出た場合、固定学級である特別支援学級には進めるが通級指導を通しての「福祉」の受給はできなかった。通級指導であれば、通常級で普段は授業を受けながら、週数時間、彼を抜き出し、別の教室で特別なカリキュラムに沿った学習を受けることができた。


「染谷くんは今は小学三年生だから勉強も難しくないけど」それを専門とする教員は言いづらいことを、きちんと伝えることが彼のためであると考えて、話した。「もしこれから学年が上がったときに、本人が勉強もせず、座っているだけの毎日になってしまうと、学校に来るのがつらくなってしまうと思うんです。」

 

 面談で、熊切は隣でそれを聞いていた。以前に勤めていた学校でも、同じ話を聞いたことがあった。また、熊切も同じことを保護者に話したことがあった。何を話しているのか、無自覚のまま。あるいは、気づいてはいても、気づいていないふりをしながら。


 言葉によって作られた様々なカテゴリーに沿って、私たちの居る場所は分断されてしまっていた。誰かにとっての当たり前が、隣の世界の日常とは違う成り立ちをしているということを、なぜ熊切は考えることが出来なかったのか。






【あとがき】

 8月1日 朝

読んでくださり、ありがとうございます。次は2話を少し時間をかけて、きちんと作りたいと思います。



 


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る