第6話/理由



 二階は住宅スペースといえど、父親のこだわりによりコンロの火力は一階店舗のそれと同じだ。

 七海の意識がガチンと料理人へと切り替わる、彼の腕は父に比べまだ未熟なれど一端の料理人である。

 炒飯だ、彼が誰かに出せる唯一の品ならば、手順も火加減も味付けも何もかもが経験を積み重ねた感覚を研ぎ澄ませていざ調理開始。


(――ありがとうオトン、良い感じの二人分のご飯と食材を用意しておいてくれて……これを見越していたんだねッ!!)


(うわー、相変わらず手際がいいっていうか…………先輩、料理してる姿が超カッコイイ!! あ゛あ゛~~、どうしてこんなにカッコイイのかなぁ……!!)


 紫苑が食い入るように見つめる中、中華鍋が振るわれ食材が投入。

 手際よく炒められていくと当時に、香ばしい匂いが漂っていき。

 出来立てホヤホヤで湯気が上がる炒飯を前に、気づけば紫苑は七海の膝の上。


(――ってぇ! 流されてるっ!? 先輩に流されちゃいけないのに!! で、でも先輩の特性炒飯…………!!)


(うーん、記憶がないのに扱い方が分かるっていう不思議な感覚だなぁ)


(コングラッチェレーショオオオオオオオオオオン!! 未来が……今ッ、変わったぞご主人!!)


(――――チョロすぎない??)


 しかし、法則というには曖昧であるが何となく分かった気がした。

 佐倉紫苑と毎日一緒に過ごし、スキンシップを取ればいいのである。

 ならば今日はもう、あーんする必要がなくなった訳ではあるが。


「じゃあ、あーん」


「いえ、普通に食べますって。というか食べさせろ、食事に集中させろ」


「くっ!? 俺のロマンが!?」


「そんなロマンなんか捨ててしまえっ!! 一歩譲ってこの体勢のままでいいですから…………私に炒飯を自由に食べさせろよぉ!! いったい何日ぶりの先輩特性炒飯だと思ってるんですかもう食べれない覚悟だてしてたんですよこちらとらしかも暖かいのなんて久しぶりなんですよ私が最近どれだけ寂しい食生活を送ってると思ってるんですか全部全部先輩のせいですよ先輩があんなことになるから私の胃袋を調教しておいて酷いと思わないんですか炒飯炒飯炒飯たべるんだよおおおおおおおおおおお!!」


「あっ、はい、どうぞお好きにお食べください」


「やたっ!! いざ……いただきまーーすっ!!」


 ばくんばくん、そんな擬音が聞こえてきそうな程に大口を開け。

 実に美味しそうに、幸せそうに食べてくれる。

 それを井馬七海は何度も見てきた筈だ、覚えてなくても心が覚えているはずなのに。


(どうして、こんなに嬉しくなるんだろうね)


 料理人冥利に尽きる、と言えば簡単であるが。

 たぶんきっと、それだけじゃなくて。

 【忘れるな】【忘れるんじゃない】【二度と曇らせぬように】【油断するな】【隙をみせるな】【運命は佐倉紫苑の敵だ】【必ず勝て】

 ――瞬間、七海の脳裏にノイズが走った。


(今のは……?)


『どうしたご主人、新たな未来も、分岐の予兆もないが?』


(…………いや、きっと気のせいだったみたい)


 瞬く間に完食する紫苑を前に、七海は気を引き締めた。

 彼女と過ごした己は、何を思っていたのだろうか。

 確かめる術はない事実に、悔しさが浮かぶ。


「――先輩? どーしたんすか??」


「ああ、ごめん。ちょっと考え事をね、俺の分も食べるかい?」


「えぇ~~、いいんですかぁ? 男に二言はありませんよね? よしっ、じゃあ遠慮なく貰いまーーす!!」


「杏仁豆腐が入る余地は残しておくんだよー」


「くぅ~~、これだよこれっ、この味が食べたかったんですよ!! あ゛ーー、幸せぇ……!!」


 己の分など後で作り直せばいい、ただ彼女が笑顔で食べてくれることが嬉しくて。

 きっと、こんな彼女だから井馬七海は好きなって、だから守って、だから記憶を喪ったのだ。

 ――今、己の胸の内に沸き上がる感情を、何と言おう、形はまだなく、ボヤけた暖かな何かを何と名付ければいいのか。


「ふぅ……満腹満腹ぅ……」


 七海が優しくもどこか切なそうな顔をしている一方で、紫苑はぐったりと力を抜いて彼にもたれ掛かる。

 空腹は満たされた、心まで満たされてしまった。

 だからこそ怖くなる、――こんなに幸せでいいのかと。


(ありがとう七海先輩、私はこれで一人でも生きていけるってもんよ)


 これ以上はきっと毒だ、幸せという毒に犯されて己の不幸に彼を巻き込んでしまうのを忘れてしまう。

 もう、決して、そんな事はあってはならないのだから。

 だから言わなければならない、幸か不幸か井馬七海は佐倉紫苑の事を忘れてしまったのだから。


「――もう、いいです先輩」


「杏仁豆腐のおかわりは必要ないと」


「そうじゃなくてさ、……もう、私に関わらないでください」


「………………どうして?」


 急な拒絶に彼は動揺を隠せず反応が遅れた、何となく先程のノイズの意味を理解した気がする。

 思い出せ、彼女は自分が不幸体質だと理解ししていて。

 ならば、七海の怪我を彼女の責任だと思っている事は間違いなく。


「はっきり言ってウザいんですよ先輩、ま、ご馳走してくれたのは感謝しますけどさぁ……。私が可愛くて美人だからって怪我を理由に恋人っぽいコトをするって卑怯だと思いません?」


「なるほど、一理ある」


「だから、これからは普通の部活の先輩後輩に戻ります。サービス期間は終了ってコトで、まー、私は不幸属性ですしお互い遠巻きにするぐらいが丁度いいんですって」


 機嫌良く饒舌な台詞とは裏腹に、彼女の華奢な肩は震えていた。

 強がりは止めろ、ウソをつくな、――恋人だったんだろう? そんな言葉を七海は飲み込む。

 そうじゃない、彼女にかける言葉はそんなのではなくて。


「――――お願いだ、頼むから一緒にいてくれよ紫苑。ヘンなんだ、君はただの部活の後輩の筈で、それ以外の繋がりはない筈なのに…………君が側にいないと景色がモノクロになるんだよ」


「っ!? ~~ぁ、そ、そんな強く抱きしめないで……」


「恋人でもないのに気持ち悪いのは分かってる、一方的に欲望をぶつけてるだけだって、でも…………頼む、お願いだ、俺の側に居て、居ろ、居てください、佐倉紫苑という女の子じゃないとダメなんだ」


「どうして……どうして先輩は~~~~ッ」


 紫苑は叫び出したくなった、狡い、卑怯だ、彼は絶対に理解してると。

 彼女が井馬七海という存在から情に訴えかけられて、断れる筈がないのに。

 断れていたら、恋人になっていなかった、喪う辛さを味わう事もなかった、不幸に巻き込むことなんてなかったのに。


「お願いだよ、答えを聞かせてくれ……紫苑の本心が聞きたいんだ」


「名前で呼ぶなっ!!」


「紫苑……、どうしてだろうね、ずっと君をそう呼んでたみたいにしっくり来るんだ」


「~~~~~~っ、ぁ――――――ッ!!」


 どうして、どうしてそんな事を言うのだと紫苑は激しく苦悩した。

 心が、体が、全身全霊で彼を求めてしまう、首を縦に降って堂々と隣に居てしまう。

 そんな事なんて、あってはならない、絶対にあってはならない。


(わ、私の所為で先輩は死にかけたのに、今も右目が見えてないのに、事故の後から様子が変な時があるのに、――――私は先輩になにも返せないのにっ!!)


 許せない、側に居るなんて、幸せになるなんて佐倉紫苑が佐倉紫苑を許さない。

 一人でいれば、少しばかり生きづらい不幸な人生で済んでいた筈なのに。

 井馬七海を不幸にしないためにも、ウソを付いてでも拒絶しないと、と彼女は口を開いて。


「あ、ウソって思ったらキスして口を塞ぐから」


「どうして!? え? なんで!? なんでぇ~~!?」


「俺は紫苑と一緒にいたい、だって君って危なっかしいんだよ、なんというか俺と一緒じゃなきゃ次の日には一人で死んでそうだし。――そんなコトさせる訳ないよね?」


「私を何だと思ってんだよおおおおおおおおお!?」


「目を離したらメンヘラってすぐ死ぬ」


 瞬間、紫苑は涙目になって。

 しかして、口元をニヤけさせながら。


「~~~~~~っ、ああもうっ、あああああああああああ! もおおおおおおおおおおおおお!! わかった! わかりましたよ!! 側に居たいなら勝手にしろよおおおおおおおお!! 絶対に逃げてやるからな!! 先輩なんかにはもう掴まんないですからね!! ――――じゃ! 帰るんで!!」


「…………うーん、パーフェクトコミュニケーション?」


『邪魔しないように黙っていたがご主人、未来予知の触れ幅は綱渡りであったぞ??』


「いやそれ早く言ってくれない?? なんで終わった後で言ったの?? ねぇ、おいシステム??」


 バタバタと騒がしく帰った紫苑に、驚愕の発言をするシステム。

 七海は頭を抱えたくなったが、とりあえず自分の分の食事を作り直しに立ち上がる。

 ――そして次の日である、ようやく登校できるようになった彼を待ち受けていたのは。


「…………朝からぜんっぜん、会えないんだけど?? 昼休みだから一緒にって思ったのに、学食にも部室にも教室にも居ないんだけど??」


 昼休みの始め一年の廊下にて、紫苑の在籍するクラスから出てきた七海は呟いた。


『ご主人、学校でこのシステムめへ声に出して話しかける時はスマホで電話をしているフリをオススメする。それはそれとして佐倉紫苑は昨日言ってたではないか、――絶対に掴まらないと』


「あんにゃろぉ…………、俺は負けないぞッ!!」


 いつ彼女の死の未来が見えるか分からないし、そうでなくても不幸体質なのだ守ってあげたい。

 七海は昼食抜きを覚悟で、彼女を探すコトを決めたのであった。


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