第3話

それからその患者の手術は無事に終わり、容体も安定していることから一時的に退院をしていき、そのわずか数日後に自分の預金通帳に千万円の報酬が振り込まれた。

内心動揺を隠せなかったがこれでもうすぐで外科医に転科できるとなると、胸が高鳴りそれまでの間は診察を中心に仕事に勤しんでいった。


ある日、一階の受付に報道関係者と名乗る人物が来て、院内で不正手術が執り行われたという情報を耳にすると、他の医師や看護士らも以前に受けたあの悪性腫瘍を患った人物の手術に関与しているのではないかと僕を疑い始めてきた。

その場を凌ぐように通常の手術と同様に患者を対応したと言っていたが、内科医である自分がなぜすぐに問われてきたのかというと、ある看護士の発言が院長の耳にとどまったようだった。


次第にその話は院内中に広まっていき肩身の狭い思いで居座るしか他がなかった。その後医局に呼ばれると自分や他の医師らとともに院長と副院長と話し合いを行ない、その中の一人の医師が多額の報酬を得たことを伝えたところ執刀した僕たちに対し謹慎処分を言い渡された。

更に僕は転科の事を晒されるとこれ以上在籍していても医師としての名誉や信頼を失う事もあると判断し、免許の剥奪を余儀なくされた。


全てが白紙になりこの世に生きている意義がわからなくなり、心身ともに狂態になりかけるような浮遊感に襲われそうになっていった。退任した後自宅へ帰ると母がこちらを見るなり腕をさすりながら涙目で手を握ってきた。


「こんなことで、のし上がろうとしていた自分が愚かだったよ」

「とにかくしばらくの間はゆっくり考えていいのよ。まだ若いんだしやり直しが効く。思いつめたらすぐにお父さんにも相談しなさい」

「気を遣ってありがとう。部屋に、入るね」


寝室へと入り荷物を置いてしばらくベットの上に寝転がっていると窓の外から雨の音が聞こえてきた。嵩を満たさないほどの優しく打つ雨音がその日に限って心地が良く聞こえて、微睡まどろみが身体中を巡っていたので目を瞑り深呼吸をしていくといつの間にか眠りについていった。



それから二年ほど経ち、久しぶりに笹原からメールが届いて次の休みにバーに来れるか訊いてきたので、いつでも空いていると返答するとすぐに電話がかかってきた。


「仕事、何かあった?」

「ちょっとやらかしてしまったことがあってさ。病院辞めたんだ」

「簡単に済ませる話じゃないよな?なあ、今夜こっちに来ないか?」

「俺らとっくに別れたじゃん。今更何だよ……」

「知り合いにスナックやっている人がいてさ。最近オープンしたばかりなんだ。一緒に顔を出しに行かない?」

「そうか……いいよ。これから支度したら向かうよ。場所教えて」


教えてもらった住所を見てその場所へ向かい新宿の歌舞伎町から奥に入ったところの一角にある飲食街の通りに入ると看板が目に留まりそこから二階へ上がっていった。出迎えてくれたのは店主である着物をあしらえたゲイのママだった。


「いらっしゃいませ。川澤さまですね、お待ちしていました」

「あの、笹原という人は来ていますか?」

「ええ、カウンターにいますのでどうぞお入りください」

「……かける!こっちだ」


笹原が僕を呼ぶと早速ドリンクを注文して乾杯をすると店内を見渡していきある絵画に目が留まった。


「この作品って誰のなんですか?」

※「マルコ・オルトランという現代アーティストよ。キッシング・アンダー・ウォーターという題がついている」※

「水中で男女がキスをしている画がこっちに浮き出てきそうな感じだね」

「現代アートが好きなんですか?」

「ええ。海外から何点か購入してはこうして毎月ごとに替えて飾っているのよ」

「へえ、いいですね。僕、この絵好きだな。店内にも馴染んでいていいですね」

「絵に関心を持っていただけるのは嬉しいわ。他のお客様は私のこぼれ話に関心があるからね」

「あはは。ママは元々美大で洋画を専攻していたんだよ。その時から現代アートも描くようになっていったんだよね?」

「まあね。今は描かなくなったけどこうして好きなものに囲まれているのも癒されるのよね」


すると、ドアの向こうからまた一人の男性客が中に入ってきてテーブル席に着くと酒の酔いが回っているのが大きな声でママを呼んでいた。


「ごめんママ。先に水をちょうだい」

「なによ、また随分と飲んだね。いつものお店?」

「ああ。他の客に絡みそうになったら首の襟足掴まれてもう帰れって言われたよ」

「ここで少し休んでいきなさい。ちょっと待っていてね」


その男性は身体を思いきり伸ばして椅子に横たわろうとしたが僕らに気がついたのか、立ち上がるとふらつきながらカウンターへやってきて一緒に飲まないかと告げてきた。


「あの、だいぶ飲んでいらっしゃいますよね。大丈夫すか?」

「いや……さっきより抜けてきた感じがする。ねえ二人とも仲よさそうだね、付き合っているんすか?」

「友人です」

「いや、違うな。なんか濃い関係って感じがする。……せっかくなんで乾杯しよう。ママ、ハイボールもらえる?」

「ええ。あまり多いとあなた逆流しそうだから適量にしておくわね」

「はい、お願いしばす」


 ※TRICERA ART Cripさまより引用

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