第5話 何故かヤりたがる地雷系

♢ ♢ ♢


 その日の夜、俺は悪夢を見た。

 顔を上げると目の前には空那がいる。


 その背後では大勢の人間が侮蔑するような眼差しをこちらへと向けていた。

 辺りを見渡せばどうやらここはどこかの教室らしい。一体俺は、俺たちはここで何をしている?


「なぁ空那、ここは……」

「ひっ」


 声をかけると、空那は怯えた表情で一歩後ずさる。

 同時に、後ろにいた連中が一斉に前に躍り出ると、空那と俺の間に割って入ってきた。


「綿貫さんに近づくな人殺し!」


 そのうちの一人が叫ぶ。

 いやいや人殺しって……俺は……。いやそうだ、俺は人を……。


「出て行けよ!」

「そうだここから出ていけ!」


 ああそうだった……。俺はここにいる資格がない。あんたらの言う通りだよ。どうしようもない、俺は。

 目の前の人間たちに背を向ければ、目の前にはどこまでも深い暗闇が続いていた。

 この先にあるのは天国か地獄か。いや天国なわけないか。まぁ当然の報いだな。だって俺は人を……。


――殺してないよ。


 ふと、どこからか透き通った声が微かに響いてくる。

 確かにそうかもしれない。でも殺しかけた。それだけで十分な咎だ。


「違う、あなたは悪くない」

「いや……」


 今度ははっきり聞こえたその声に言い返そうとすると、不意に目の前が羽根で覆い尽くされた。

 今の声は天使、だったのだろうか。

 そこで夢は途切れた。


♢ ♢ ♢


 今日のバイトは午前からの八時間コースだ。

 朝と言えど日向に突っ立っていれば汗ばみそうな陽気に身を晒しながら、自動ドアをくぐる。


 冷房の効いた店内にやや救われた気分になりながらバックヤードに入ろうとすると、事務室から姫井と店長がでてくるのが目に入った。


 既に姫井は制服を装備しているようだが、あろう事か下は丈の短いスカートに厚底の黒靴という頭痛がしそうなフォルムをしている。確か規定じゃ駄目だったよな……。


「あ、元宮くん丁度良かった~」


 こちらに気づいた店長が声をかけてくる。

 どうやら丁度悪い時に来てしまったらしい。


「こちら、今日から入る姫井さん。同い年だし仲良くしたげてね」

「あー、昨日の。同い年だったんですね。それでは」


 適当な相槌を打ってこの場から退散しようと試みるが、不意に漂ってきた甘い香りに遮られた。


「あんたさ」


 姫井は俺の前へ躍り出ると、勝気な笑みを浮かべながら顔を近づけてくる。


「よく見たらけっこうかっこいい顔してるじゃん」

「はい?」


 突然何を言い出すんだこの女は。


「うんうんそうだよねぇ。けっこう主婦のパートの方々からも好評なんだよ~」


 そう言いながら歩み寄ってくるのは勿論俺ではなく店長だ。

 くだらん世辞だなと肩を竦めたい気分になっていると、舌打ちのような音が目の前から聞こえてくる。


「枯れかけのババア共の話とか興味ねーし勝手に入ってくんなよ……」


 蚊の鳴くような小さな声だったが、確かに俺の耳には届いた。

 なんつー事言うんだこの女……。


「ま、とにかく。よろしくね元宮」


 姫井は顔を離すと、店長へ相槌を打つことなくこちらへと笑いかけてくる。


「まぁ、よろしく」


 一応挨拶は返しておくと、店長が髪の毛の間を掻きながら手を合わせてくる。


「それでごめんだけど元宮君、僕今日もだいぶ忙しくてさ、代わりに姫井さんに仕事とか教えてあげてくれない?」

「あー、まぁ、はい」


 断りたいところだったが拒否権がないのは分かりきっているので渋々だが頷いておく。


「ありがとう元宮く~ん、助かるよ~! あ、これマニュアル。じゃお願いね」


 店長は俺に冊子を手渡していくと、さっさと事務室へと引っ込んでしまう。


「ふーん、見た目キモいけど意外といい奴じゃん」


 こいつの良い人カテゴリーどうなってんだよ……。いやまぁ別に悪人ってわけではないだろうけども。見た目はまぁ、確かに生きていくうえでちょっと損しそうな感じではあるがキモいとまでは言ってやるなよ……。


「で、何すればいいの?」

「そうだな。その前に先に質問だ。事務室でなんか研修用の動画とか見せてもらったりしたか?」


 事前情報があるのと無いのでは方針が変わってくる。


「来たばっかだし」

「なるほど。ここに来る前バイト経験は?」

「無い」

「そうか……」


 一から全部教える必要があるという事だな。なんで見せてないんだよあの人。俺の時もそうだったが。パートの人達は全員見たって言ってたぞ。


「とりあえず店の案内からだな。ついて来てくれ」

「おっけー」


 軽い返事を背に受け歩き出すが、すぐに姫井が隣についてくる。


「ねぇ元宮ってさ、ずっとここらへんに住んでんの?」


 妙な事を聞いてくる奴だな。


「ここらへんってわけではないが、西東京には一年半くらい前に越してきたから新参者だな。ちなみにここが在庫とか置いてるバックヤード」

 案内しつつも一応質問には答えておく。


「ふーんそっか。こっち来る前はどこいたの?」

「奈良だ。で、こっちがウォークイン。飲み物を保管したり補充する場所だ」

「なるほど奈良かー」


 姫井が意味ありげに視線を宙に向ける。

 チッ、どうせ辺境のド田舎ダッサとか思ってんだろうな!


 でも言っておくがそれは間違いだ。確かにちょっと歩けば至る所に古墳があるし鹿も歩いてるしどこ行っても緑の尽きない素晴らしい神の桃源郷だが、県庁所在地のある北部は大阪へ近鉄電車一本でいけるので実質大都会だ。なんなら大阪都奈良区なまである。


 だが一方で南部は別だ。あそこは奈良県内でも未開拓領域と囁かれており、植物が生い茂っているのは勿論、人食い族が観測されていたり新種の生物が跋扈していたりと非常にスリリングな場所だ。ちまたでは奈良公園と言えば興福寺やら東大寺の近くの緑地を指すが、奈良県民に言わせてもらえれば南部こそ奈良公園、奈良シックパークである。ちなみに俺の実家は中部にありその中でも南部に隣接している市内に位置していたため、一度その南部領域に足を踏み入って命からがら生還した実績がある。


「って事はさ」


 奈良に居た時南部に凸って生きるか死ぬかのサバイバルをした時の体験を懐かしんでいると、姫井の声が耳に届いてくる。


「もしかして一人暮らしだったりすんの?」

「まぁ一応そうだな」


 なんか我が物顔で居座ってくる奴はいるが。


「すご、羨ましいね」

「気楽っちゃ気楽だな」


 実家はお世辞にも落ち着ける環境とは言えなかった。それでも奈良という土地自体は俺にとって居心地の良い場所だったが、残念ながらそうではなくなってしまったからな。


「とりあえず案内はこんなもんだ」

「おっけー、面白かった。で、次は?」


 やる気は一応あるのかすぐに姫井は行動を促してくる。


「まだ入ってきて無さそうだから品出しは後回しにするとして、今は客もいないし先にトイレ掃除だけ済ませておきたいが……」


 と言ってもこの子掃除とかできんのかね。なんとなくそういうの嫌ってそう。


「トイレ掃除ね。りょうかーい」


 だが以外にも抵抗感は無いのか素直に頷く。


「じゃ、行くか」


 掃除用具を調達し、トイレの前へと来る。


「とりあえず教えながらやるから、そこで見といてくれ」


 うちは女性専用のトイレはあるが、男性専用トイレは無くあるのは兼用トイレだけだ。

 構造は大体同じはずなので、兼用トイレの方は俺がやりながら教えて女性用の方は一人でやってもらう事にしよう。

 スライド式の扉を開き中へと踏み入ると、ふと予想外の力が背中から加わる。


「えい」

「おっと……」


 やや押し出される形で個室の奥へと追いやられると、後方でカチャリと鍵の閉まる音が聞こえてきた。


「急に押しやがってどういうつもりだ」


 振り返れば姫井がすました顔で扉の前で立っている。


「外からじゃ見えにくかたったし」

「なら鍵まで閉める必要ないだろ」

「まぁそこはさ、二人きりの方が集中できるじゃん?」

「掃除に集中は要さないだろ」


 いったん個室から出ようと扉の取っ手に手をかけようとするが、姫井が前に立ちふさがり制してくる。


「いいじゃん。別に何かするわけでもないし。それとも……」


 出し抜けに姫井が接近してくると、背伸びして耳元で囁きかけてくる。


「何かしちゃう?」


 からかって遊んでるつもりなのだろうかこの女は。


「掃除以外の何をすればいいんだよこんな状況で」

「勿論えっちな事に決まってるじゃん」


 姫井は八重歯を妖美に覗かせると、自らの大腿をこちらに絡ませ目と鼻の先まで顔を近づけてきた。人肌の柔さと暖かさが伝わってくるのを感じる。


「お前さてはビッチだな」

「びっ……!」


 言うと、姫井が面白いくらい顔を強張らせた。


「こんな事今は誰にでもしないし、割と本気なんだけど?」


 引きつった笑みを浮かべながら姫井がそんな事を宣う。昔はしてたのかよと突っ込みたくなるが、この女には興味が無いので過去の経歴の部分には触れないでおく。


「だとしたら理解に苦しむ。なんで俺なんだ」


 密着してくる姫井を手で押し返しながら問うと、やや不満そうにしながらも腕を組み片手を上に向けた。


「ほら、あんた昨日助けてくれたじゃん? そのお礼的な?」

「なるほど」


 一応感謝はしていたのか。犯人を罵るだけ罵ってさっさといなくなったから微塵も感謝してないのかと思っていた。まぁ感謝されたくてやったわけじゃないからどうでも良かったのだが。


「それで、どうする? あたし全然いいよ?」


 後ろ手でやや前かがみになり姫井がこちらを覗き込むように見てくる。

 この期に及んでまだいうのか。欲求不満なのか? だとしても解消を手伝う義理は俺には無いが。


「付き合ってられないな。どうしても礼がしたいというなら俺が教えた仕事を覚えてそれをお礼としてくれ」


 姫井から背を向けトイレ掃除に取り掛かる。


「面白くない」


 背中にむすっとした不満げな声が届くが、素知らぬふりをして掃除の説明を始めれば一応素直に聞く姿勢は見せた。

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