第6話 妖精の森にある秘密

  食堂にて、メルが全員に真剣な面持ちで話を切り出そうとした。

 「みんな聞いてほしい話があるの」


 ナキがメルに尋ねた。

 「ちょっと待って、その話の前に質問なんだけど、なんでボアニーがいないの?」


 「それについての話なのよ」


 「そうなんだ……」


 「じつはきょう、ボアニーを獣医さんのところに連れて行ったの。そうしたら、脾臓(ひぞう)に腫瘍が見つかって、きょう緊急の摘出手術をしたの」


 一同はざわついた。


 最年少のハーミイは理解できていない。

 「だからボアニーはどこ? 会いたい」


 メルは、小さな子供たちにわかりやすいように説明した。

 「手術をしたから、きょうは入院なの。あす戻ってくる」


 ハーミイは不安げな表情を浮かべた。

 「手術……」


 まさかそんな大病を患っていたとは考えもしなかった。悪性なら自分と同じ部類の死の病に罹っていることになる。ボアニーには長生きしてほしい。

 「腫瘍って……どうゆうこと? 悪性なのか?」


 「はっきりしたことはわからないの。良性なのか悪性なのか確かめるために病理検査に出すって先生が言っていた。人は脾臓に腫瘍ができることは滅多にないんだけど、モフモルにはよくあることみたいなの」


 「手術って、どの程度の手術をしたの?」


 「直径五センチの腫瘍と一緒に脾臓を摘出したわ」


 深刻な表情を浮かべて愕然とした。テーブルに肘を突いて頭を抱えた。

 「全摘出……マジかよ……」


 「気づいてあげられなかった……」メルは目に涙を浮かべた。「きっと良性よ。長生きはできないかもしれないけど、良性なら生きられる」


 テルマが両手の指を組んで目を瞑った。

 「神様に祈りましょう。あの子はきっと大丈夫よ」


 全員が神に祈った。だが、ユタナは祈るふりをしただけだった。両親と死別した日に、信仰心を失っている。神は命を与えるが、容赦なく奪いもする。


 良くも悪くも避けられない何かが起きた場合、神は理由があってそうした、とよく言う。しかし、命を奪うことに意味なんてあるのだろうか……ずっとそれが疑問だった。ボアニーの無事を願うが、どうしても神に祈る気にはなれなかった。


 ユタナはふと思う。


 信仰心を失った自分が神の子にいていいのだろうか、と―――




・・・・・・・・




 消灯は九時。現在十時。一時間が過ぎたのに眠れない。ユタナは、どちらかと言えば夜型だ。今夜みたいに眠れない夜は、家を抜け出して、星を見に行くこともあった。星空を飛ぶのは好き。燦然と輝く星々を眺めていると、心が落ち着くから。


 でも、ここにはここのルールがある……わかっているけど眠れない。あの家にいたころよりも、ずっと心地よい環境だ。


 だが、ルールに縛られ、少し窮屈に感じてしまうのは、贅沢なことだ……そう考えると黙ってベッドに横になっていることができる。抜け出したいけど、妥協も必要。ここにいれるだけでありがたいのだから。


 ベッドの中で目を瞑り、ヒツジを数える。古典的なやり方で眠ろうとしたが、うまくいかない。結局は数を数えることに集中してしまうので、逆に頭が冴えてしまう。ああ……もう無理、ぜんぜん眠れない、と思ったとき、突然、背中を突かれた。


 「え? なに?」


 驚いて咄嗟に後方を確認した。するとそこにはナキがいた。同じように眠れないようだ。


 悪戯をする子供のような表情でユタナを見上げた。

 「ユタナ、起きてる?」


 背を起こして、首を横に振った。

 「眠れなくて困っていたところ」


 「俺もガキのころから消灯時間が嫌いなんだよ。トーヤはよく寝れるよ。いつでも爆睡だ」


 「うらやましい。寝付きがいいほうじゃないから」


 「なぁ、抜け出さないか?」


 「怒られちゃうよ」


 「大丈夫だよ。バレなきゃいいんだ」


 「体は大丈夫なの?」


 「病気のことなんて心配するな。俺は大丈夫。具合悪かったら誘ってない」


 「でも……」


 「見せたい場所があるんだ。この世界の秘密を教えてやるよ」ユタナのほうきを手にして、窓を開けた。「さぁ、行こうぜ」


 正直に言えば、ユタナも抜け出したいと考えていたので、ほうきを受け取った。

 「あたしのうしろに乗って」


 ユタナがほうきに跨がると、ナキも跨がった。

 「そうこなくちゃ」


 ほうきに乗ったユタナは、ナキを乗せて夜空へと浮上した。眩い光を放つ満月がふたりを照らし、心地よい風が頬を撫でる。夜空の飛行は最高だ。この瞬間はいつも魔法使いでよかったと思う。

 

 「見せたい場所ってどこなの?」


 ナキは即答した。

 「妖精の森」

 

 行き先に驚き、ほうきを止めた。

 「え!? それはだめだよ」


 妖精の森は神聖な場所だから入ってはいけない、と、子供のころ両親に言われていたので、いちども足を踏み入れたことはない。


 妖精は夜行性の神聖な生き物で、体を青く発光させて空を飛ぶ。彼らは、底なしの泉の中心に聳える生命の木と呼ばれる巨木とともに暮らす。生命の木は巨大な魔力を秘めており、周囲の聖域は妖精の住処(すみか)であり、天国に一番近い場所という言い伝えがある。


 「神聖な場所だから入っちゃだめって、おとなに言われたことがあるんだろ?」


 「うん、子供のころ親に言われた」


 「生命の木がどこへ通じているのか、どうして天国に近い場所だと古くから言い伝えられてきたのか、その秘密を知るのは俺とラーラだけなんだ」


 「ラーラさんも?」


 「ああ。ガキのころ眠れなくて夜抜け出したんだ。そのとき星空の飛行を楽しむラーラにばったり会ったんだ。で、ふたりで行ってみたってわけ」


 「うそでしょ? ラーラさんが妖精の森に入るなんて信じられない」


 「ラーラはああ見えて、好奇心旺盛なんだよ。いまでもたまにラーラと行くよ」


 「いまでも?」


 「うん、そうだよ。ユタナは真面目すぎる。たまには冒険も必要だ。早く行こうぜ。秘密の場所は、魔法が使えないと行けない場所にあるんだ」


 両親にも行くなと言われていたので気が進まない。だけれど……秘密を知りたい気持ちもある。

 「行ってもすぐに帰るからね」

 (少しだけなら……)


 「あれを見たら、ユタナでも絶対に驚くよ」


 ユタナは妖精の森へ飛んだ。街を通り過ぎ、しばらくすると、鬱蒼とした森が眼下に広がった。そこには幾千の青い光が飛び交っていた。もっとも光が集中した場所には、ひときわ高く突き出た巨木がある。それが生命の木であることは一目瞭然だったので、そこを目指して降下し、森の中へ入っていった。


 ほうきに乗っていたふたりは、草叢に降り立った。目の前には大きな泉があり、その中心には生命の木が聳える。妖精の森の上空を飛ぶことはあっても、降下したことはなかったので、ユタナは初めて見る生命の木の大きさに圧倒された。


 「すごい……」


 「ビビるくらいデカいだろ」


 太い枝には青々とした葉が茂っており、そこにはたくさんの妖精が集まっていた。葉に座っていた男女ペアの妖精が、半透明の羽をはばたかせ、地上に舞い降りた。ナキが妖精に向かって手を差し出しすと、妖精は手のひらに乗り、仲睦まじくキスをした。


 彼らは同じ種族同士が発する周波数で会話を交わす。それは人には聞こえない周波数のため、ナキとユタナには彼らの会話を知ることはできない。


 「きっと愛を語り合っているんだ。妖精は死が互いを分かつまで愛し合う。人にはエゴがあるから、愛の中で偽ることもある。でも妖精は人じゃないから、愛の中で生き、愛の中で死んでいくんだ。

 ここにいる妖精みたいに、運命の人と出逢えたら、それは幸せなことだよ。途切れることのない愛を知ることができる。それこそ死が互いを分かつまでね」ナキは、泉に向かって人差し指を向けた。「それじゃあ行こう。この世で最も天国に近い妖精の住処へ」


 ユタナには理解できなかった。目の前にあるのは、泉と生命の木、それ以外、何もない。周囲は青々と茂った木々が生えた森だ。


 「行くってどこに? ここが目的地でしょ?」


 「シールドを張って、泉の中に飛び込むんだ。そうすれば面白いものが見れる。妖精たちをよく見てごらん」


 水面付近を飛ぶ妖精たちが泉の中へと入っていく。彼らは澄んだ水辺に生息することは知っていたが、水中に棲むとは知らなかった。


 「水の中だと息ができない。苦しくないのかな……」


 「彼らにとっての本当の世界があるから大丈夫なんだ」


 「本当の世界?」


 「生命の木の幹に秘密があるんだよ。そこから妖精の住処に行けるんだ。だけど誰もが行ける場所じゃない。生命の木は人を選ぶ。俺もラーラも行けたから、ユタナも行ける」


 慎重な性格なため、少し怖かったが、手から光を放ち、魔法をかけた。

 「それじゃあ、シールドを張るよ」


 ユタナは自分たちの体を囲む円形のシールドをシャボン玉のように浮遊させて、水面に移行し、ゆっくりと潜水した。


 透明度の高い水中は、夜の色に染まっていた。漆黒の世界に漂う妖精たちが放つ光は、生命の木の幹を照らしている。底なしの泉と言われているだけあって、下はまったく見えず、幹の終わりも見えない。明るい時間帯に来ても泉の底は見えないだろう。


 ナキは、生命の木の幹に秘密があると言っていたが、すごく深い泉の中にある巨木というだけで、とくに驚くようなものではないと思った。だがそのとき、幹の側面が動いてそこに小さな隙間ができたのだ。幹の内部は仄かに光っており、暗い水中に光が差した。妖精たちはその隙間へ入っていく。


 すると今度は、その隙間が大きく開いた。ふたりは自分たちの意志とは関係なく、幹に開いた穴の中へ吸い込まれてゆく。びっくりしたユタナは周囲を見回した。内部は緑色に光る血管のような管(くだ)が張り巡っており、目の前には七色に光るトンネルの入り口が見えた。


 ユタナとは異なり、好奇心旺盛なナキは、わくわくしてきた。自分にも魔法が使えたら秘密基地にしたいくらいだ。


 「これから時空と空間を超えるんだ」


 光のトンネルに吸い込まれたふたりは、別世界へと到着した。シールドの魔法を解除したユタナの視界に飛び込んできたのは、予想を遙かに超える驚愕の光景だった。砂金や宝石を散りばめたような星空の中心に、青くて大きな天体が浮かんでいたのだ。


 天体には、植物の緑と大地の茶色が入り交じった大陸がいくつもあり、その周囲を青い海が囲んでいる。その天体は宇宙にあるわけではなく、こちら側の世界の空にあったため、ほうきに乗れば触れるかもしれないと思った。


 ユタナは大地に視線を移した。


 足下を覆う草叢の大地には、見たこともない大きな茸がたくさん生えていた。触るとまるで妖精のように光った。周囲に根を下ろす木々の葉も、蛍光塗料を塗ったかのように仄かな光を放っている。


 何もかもが現実離れしている光景に困惑した。

 「すごい……」


 「だから驚くって言ったじゃん。俺もラーラも超びっくりしたもん」


 ナキが茸の上に座ったので、ユタナも茸を椅子の代わりにした。

 「本当に信じられない……」


 「俺たちがいつも見ている夜空には、こんなにデカい天体は存在しない。つまり、あの天体は実際には近くにないんだ。だってもし近くにあったら、俺たちの世界からでも、毎晩、月と一緒に見ることができる。天体や星々に触れようとしても、実体はゴーストのように、ここに存在しない。ラーラがほうきに乗って試したからまちがいないよ。手がすり抜けて、触れなかったんだ」


 「近くにないのに、どうして見ることができるの?」


 「それがもっとも天国に近い場所だと言われている理由なんだ。広い宇宙で生命体が存在するのは、俺たちが住んでいる惑星と、あの天体だけなんだと思う。そして、いま見ているこの宇宙の向こう側の世界が天国なんだ。だから死後そこへ行く生命体が集まる天体がこの空に見えているんだ」


 「でも…生命が存在するのに太陽は見えない」


 「ここには朝も昼も夜もないし、時間の概念もない。いつ来ても同じ空なんだ。まるで宇宙にある無人島だよ。だから俺たちがいつも見ている太陽も月もここにはない。あの天体も実在している場所では、俺たちの惑星みたいに、月と一緒に太陽の周囲を回っているはずだ」


 「向こうはこっちに気づいているのかな?」


 「もしこういう場所があれば気づいているかも。だとしても、俺たちとあの天体は、想像もつかないくらい距離が離れているはずだ。

 だからたとえ向こう側が宇宙を飛べる乗り物を持っていたとしても、人の寿命は限られているから、年月がかかりすぎて来ることはできない。残念ながら交流を持つことはないだろうね」


 何年ぶりだろう……こんなに人と話すのは……と、ユタナはふと思った。

 「……そっか」


 積極的なナキは、ユタナの手を取り、もっと素敵な場所に案内しようとした。

 「そうだ、面白い植物があるんだ。俺とラーラのお気に入りなんだ」


 ナキと手を繋いだユタナは、絵のモデルを引き受けたときのように胸が高鳴った。


 これは……たぶん恋なのかもしれない……と、初恋をしている自分の感情に気づいた。


 でもナキはもうすぐ天国に行く人。好きになってはいけないし、ナキの中に希望を感じてはいけない……いつかまた独りになってしまうから…… 


 だけれど……恋をする感情を知っても、笑顔が戻らない。


 だとしたらこれは恋ではなく……恋愛に憧れているからこそ起きている感情の錯覚なのだろうか……たとえこの恋心が錯覚だったとしても、ひとりの人としてナキのことが好き。


 (ナキはあたしがかわいそうな子だから優しくしてくれるの? 同情? 本当のところあたしのことをどう思っているの?)


 「ユタナ、なにボーとしてるの? 早く行こう」


 「うん」


 ナキは茸に触れながら歩いた。外部からの刺激によって発光する茸が、鮮やかな紫の光を放つと、周囲は明るく照らされた。妖精たちも青い光を放ちながら空を飛んでいる。木々の葉には羽を休める妖精たちが座っており、楽しそうに微笑んでいた。


 ふたりは不思議な茸がたくさん生えている大地を歩き、発光した高木が根を下ろす場所に出た。すると無数の高木の枝が伸びて、生き物の手のように大地へと垂れ下がった。その枝はひとつに集結し、絡み合い、大きなハンモックとなった。高木の枝は、“乗りなよ” と言っているかのように、ふたりが乗るのを待っている。


 「乗ろうぜ。あの青い天体も、もっと近くに見えるから本当に綺麗なんだ。ほら、早く」


 おっかなびっくりだ。こんな奇妙な植物を見たのは初めて。急かされたユタナはハンモックに片足を乗せてみた。

 

 それを見て笑う。

 「いつもほうきで高いところを平気で飛ぶのに、なにビビってるんだよ。まさか高所恐怖症だなんて冗談を言うなよ」


 「この木、なんか怖い」と、恐る恐る乗ってみた。足下が撓むが、意外としっかりしていた。

 

 ユタナが腰を下ろすと、ナキも飛び乗った。

 「超楽しい」


 ハンモックとなった高木の枝は、ふたりを乗せて上昇した。この世でもっとも高い場所にあるハンモックには、青くて小さな果実がたくさん実っていた。


 「だいぶ前にラーラと来たときは、もっと大きくて赤かったんだ。食べてみたら甘くておいしかった。俺があの世に逝くころが食べ頃かも。残念だな、もう一度食べたかったのに」


 “あの世に行く” ナキは死を理解している。それなのに、なぜ前向きに物事を考えられるのか……ずっと思っていたことを訊いてみた。


 「どうして……ナキは死ぬことが怖くないの? あたしみたいに死にたいと思うことがあるなら、死を恐れない理由もわかる。だけどあなたはみんなに愛されている。それなのにどうして、あなたは死を恐れないの……」


 「診療所で診断を受けたときは、正直言ってびっくりたよ。ショックだった。でもなぜか怖くなかった。誰もが行く場所に行く。あがいても仕方ない。あがくよりもいまを生きることを選択した」


 「いまを生きる?」


 「この前、言っただろ。生きた証を残したいって」星を指した。「俺たちの寿命は、星の寿命に比べれば、ほんの一瞬の人生なんだ。だからいまこの瞬間が大事なんだ。俺がやるべきことは、絵を残すことだと思ったから、それに集中することにした」


 「あたしには無理……いまだけに集中することなんてできない。どうしても過去を考えてしまう。そして、未来の不安も……」


 「未来の不安は、未来の自分が考えればいいんだ。それにどれだけ後悔することがあっても、過去には戻れない。いまを生きてこそ人は輝けるんだよ」


 首を横に振って、涙を零した。もしも、過去に戻れるなら、私を守らなくてもいいから、逃げてと言いたい。そうすれば、ふたりは死なずにすんだ。


 「後悔してもしきれないの……あたしのせいで両親は死んだ」


 「ユタナのせいじゃない。天国にいる両親からいまのユタナが見えている。自分を責め続けたら、両親が悲しむ。幸せになってほしいから、ユタナを守ったんだ」


 「あの日、あたしが街に誘わなければ、両親は生きていた」


 「俺は両親の顔を知らない。赤ちゃんのころ、神の子の玄関前に置き去りにされていた。マザーやシスターが俺の親みたいなものだ。とくにメルとは強い絆がある。あいつが俺の面倒をずっと見てくれていたから。だから家族の大切さならよくわかっているつもりだ。血の繋がりはなくても、みんな家族だ。だからユタナがつらいのはわかる。でも、両親の死を乗り越えないと……いまを生きるために」


 ラーラにも言われた……両親が死んだのはあなたのせいではないと……


 でも両親の死を乗り越えるのは難しい。未だに責任を感じてしまうから……たとえその責任がないと人に言われても……いまの自分には乗り越えられないので、この話を終わりにしたかった。それに訊きたいことがあったので、話を切り上げるためにも、思い切って訊いてみた。


 「あたしは暗いし、お喋りも上手じゃない。だから人として扱われたことがほとんどないの。ナキはどうして病んでいるあたしに優しくしてくれるの? どうしてこんなに構ってくれるの?」


 「俺の命が尽きる前に出会った人だから。俺たちの出会いには意味があるって、この前言ったはずだ。偶然に意味なんかないってユタナは言うけど、意味があるから偶然の一致によって出会えたんだ。

 もしかしたらこの偶然が奇跡の始まりかもしれない。だって、人との出会いが人生を変えることだってあるんだ。

 でも、この出会いがユタナの今後の人生にどう影響してくるのか、そんなことはまだわからないし、考えたって未来がわかるわけじゃない。人が考える領域なんて、たかが知れてるから、その未来が来たらわかるはずだ」


 奇跡の始まりは、不幸の終わり―――きっともうすぐ君の人生は救われる。なぜって奇跡の前兆で出会ったのだから。誰の人生にも生きているかぎり、奇跡は起きる。それは捨て子だった自分が神の子のみんなに出会えたかのように―――と、ナキは伝えたいことを言葉にした。


 だがユタナは、口に出さなかったが、奇跡があるならナキの病気だって治る……と思った。人生で最悪なことが起きても、運命だと思って受け入れるしかないのだろうか……


 「奇跡なんて体験したことがないからわからない……」

 

 「目に見えることだけが現実じゃない。太陽が沈むから輝く星が見えるのと同じだ。暗闇があるから光が際立つ。大事なことは目に見えないものなんだよ。

 俺ならユタナの人生を変えてあげられる気がするんだ。俺の人生は間もなく終るけど、その短い命をもっと価値のあるものにしたい。俺のしたことが誰かの役に立つなら、それって最高のことだから」


 街でレリナに攻撃され、ナキを守るために魔法を放ったとき、“ユタナは人のためになら強くなれる” と言われたが、それはナキのほうだと思った。どうして、ナキはもうすぐ死んでしまうのに、こんなにも強くて前向きなんだろう。

 「……」

 (あたしとは真逆の性格だ。あたしもナキみたいになれたらいいのに……)


 「ユタナの人生にも、いつか光り輝く星が見える。だから未来に希望を持つんだ」


 未来に希望を持つんだ―――パパと同じ台詞―――


 ラーラに出会い、神の子に来てから、生活が一変した。彼らとの出会いに意味があるのだとしたら……いまはわからないけど……その意味がわかる未来が本当にやってくるのだろうか……


 目に見えることだけが現実じゃない、とナキは言うけれど、つらいことが多かったので、暗闇の現実が目の前にあると、心の中に悲しみを映さずにいるのは難しい。


 人生に最悪なことが起きれば、目の前の現実に左右されてしまう。何が起きても心に波風を立てずにいられる方法があればよいのだが、それを知ったところで、いまの自分にできるかどうかはわからない。


 それに、笑顔を取り戻さなければ、結局は未来に希望を持つことはできない。


 だけれど、ナキには感謝している。


 「ありがとう……ナキ」


 「こっちこそ、ありがとう」


 「なぜあたしに言うの?」


 「だって、ここに来ることができたのは、一緒に悪いことしてくれたユタナのおかげだから」悪戯っぽい笑みを浮かべた。「あの大きな天体の中にもおとなに内緒で家を抜け出して夜遊びしているヤツはいるのかな?」


 「いるかもね」


 「いろいろ空想すると面白い。もうひとりの自分がいるかもしれないとか。今夜はユタナとたくさん話せてよかった」


 海に囲まれた大きな天体が放つ光は、ふたりを青く照らした。本来なら何を見てもおもしろくて笑ってばかりいるような年頃なのに笑うことができないユタナと、病気ひとつしたことがない健康的な身体だったのに余命僅かで命の灯火が消えるナキ。


 だけれど、ふたりの青春はいまここにある。


 手を繋いで互いの存在を確かめ合う―――彼も私も生きている―――


 ユタナは目に涙を浮かべた。


 もうすぐこの手は消えてしまう。ナキはこの星空の向こうへと旅立つ……いつかくる不安は考えないようにした。ずっと欲しかった心の平安を得るために、いまはナキの手の温もりだけを感じて―――

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