第23話

どうしてこんな残酷な事が出来るんだろう。

そして、どうして私はお兄ちゃんに従ってるんだろう。


母親の愛を得られなかった私の心の隙間を埋めてくれたのは、いつもお兄ちゃんだった。お兄ちゃんは私のお兄ちゃんであり、母親代わりだった。パパが海外に行ってからは、父親代わりでもあった筈だ。

長い間ずっと、お兄ちゃんは私の心の支えだった。今もこれからもずっとそうだ。



お兄ちゃんは私が「ママの顔が怖い」と言うと、毛布に包んでくれた。

毛布に包み、外れないようガムテープでぐるぐる巻きにされたママは、テレビで見たミイラのようだ。


深夜、周りが寝静まり、虫の声さえしなくなった頃。お兄ちゃんと私は裏庭に通じる勝手口から外に出た。裏庭といっても、人1人通れるくらいの広さだ。

表の庭と違って、ここには花の一輪さえ植ってない。ママが高く改築した塀に四方を囲まれ、近所の誰からも見られる心配は無い。


お兄ちゃんは物置から大きなシャベルを取ってきた。シャベルは一つしかないのでお兄ちゃんが掘る事になった。「美和は座ってろ」とお兄ちゃんが言うので、私はその場に座り込んだ。


そう言えば、お兄ちゃんはよく砂場でトンネルやお家を作ってくれた事を思い出した。

あの頃は本当に楽しかった。何故人は子供のままで居られないんだろう。何故何も知らないまま大きくなれないんだろう。


お兄ちゃんの掘る穴が少しずつ大きくなっていく。朝までに掘り終わるのだろうか。美和は少し不安になった。

夏の夜明けは早いから、今日だけはもう少しゆっくり朝が来てほしい。夜の帳が、私達の行いを隠して欲しい。


お兄ちゃんが疲れてきたのが見てとれたので、美和は手伝おうと立ち上がった。

「来るな。美和は来るな」

「どうして?手伝うよ」

するとお兄ちゃんは、手で私を制止した。

「美和の手は汚させたくないんだ。だから来ないで。そこで待っていて」

「お兄ちゃん…」

お兄ちゃんはどこまで優しいんだろう。

でもだからこそ、お兄ちゃんの手だけを汚させる訳にはいかない。

「分かった。でもママを運ぶ時は絶対手伝うからね!」

お兄ちゃんはちょっと考えてから

「わかった」

と言った。


ザクッザクッと音を立てながら、穴は掘り進められていく。

遠くでバイクの音が聞こえる。

丘の上のここは、用がある人以外滅多に人が来ないから、バイクが近くを通りがかる事も無い。


少しずつ、空が白み始めた。

あぁ、まだ朝にならないで。お願いします。神様にこんな事祈っても聞き届けられないと思うけれど、今だけはお兄ちゃんを守ってほしい。


「出来た」

その時、お兄ちゃんの声が聞こえた。

お兄ちゃんの足元を見ると、パックリと大きな穴が空いていた。それはまるで地獄に繋がっているような深さで、私は身震いした。

「やるか」

お兄ちゃんの言葉にしっかり頷いた。


家の中に戻ると、当たり前だがママはさっき見た時と全く同じ位置にいた。

本当に死んでるんだ…


お兄ちゃんが上半身を、私が下半身を持って裏庭に運んだ。

ママの体はずっしりと重い。かなり痩せ型の人の筈だが…きっと死体を運ぶというのはこういう事なのだろう。


「せーの」でママの体を穴へ落とした。

少し長さが足りず、お兄ちゃんは足の方をまた掘らなければならなかった。


空は朝日が上り始めているが、時刻はまだ5時前。急いで土を被せれば、きっと問題は無い、大丈夫だ。


お兄ちゃんはママの体に土を被せ始めた。

毛布に包まれているとは言え、顔に土がかけられるのを見るのは辛いものがあった。

ママが苦しんでるんじゃないかと思った。そうしたのは私達なのに…。


ママ、ごめんなさい。ごめんなさい、ママ。

体が完全に土に埋まると、予期せず涙が溢れた。

きっとママは怒ってる。私なんて産まなきゃよかったって思ってる。


お兄ちゃんは汗だくになりながら土を被せ続けている。その顔に悲しんでいる様子は見えなかったけれど、悲しんでいない筈が無いのだ。

お兄ちゃんは、私の為に手を汚してくれた。

あのままだったら、私が傷害で捕まっていただろう。

そうさせない為に、ママの顔にクッションを押し付けたのだ。


「お兄ちゃんごめんなさい…」


私が泣いてるのに気付いたお兄ちゃんが駆け寄ってきて、頭をポンポンと撫でた。

「美和は何も心配する事無いよ」

またそのセリフ…そのセリフを聞くと、余計に涙が溢れた。

お兄ちゃん、ごめんなさい。

そしてありがとう。

私は一生かけて、ママとお兄ちゃんに償っていかなければならない。


全ての土をかけ終わると、勝手口の前で軽く土をはたいて、家の中に入った。

勝手口を閉める直前、埋めた穴を見た。


まだ掘った後が丸わかりなあの場所も、月日が経てば他の場所と同じようになっていくのだ。


家に入ると、お兄ちゃんはシャワーを浴びに行った。

私はソファに体育座りで背中を丸めて座った。

この座り方、ママに姿勢が悪いとよく怒られたっけ。今は、怒る人は誰も居ない。


美和は急に気になって、自分の部屋に走った。

美和の部屋は昨日のまま、日記帳が散乱していた。そこに、耳が欠けたうさぎの貯金箱が落ちていた。

咄嗟にママに当たったのはこのウサギだったか…

美和の脳に、母親の額に当たった時の感触が思い出されて思わずゾッとした。


美和はウサギの貯金箱の欠片を拾うと、本体と共に机の上に置いた。

そうして引き出しを開け、接着剤を取り出すと、耳の欠片に塗って、それを本体にくっつけた。

「細かく欠けなくてよかった。これなら見た目には全く分からない」

さらに足元の日記帳を拾い、それらを全て棚の上に戻し、最新の日記帳は開いたまま転がっていたので、それも拾い、鍵をかけ、その鍵を鍵付きの引き出しにしまい、引き出しの鍵をウサギの置物の下に置いた。


これで元通り。

この部屋でママに日記を読まれた痕跡も、殴られた痕跡も、ママにウサギの貯金箱を投げてしまった痕跡も、全て無くなった。


そういえば…思い出すと左耳が痛む。


美和は冷やそうと、冷蔵庫に向かった。


冷蔵庫の前には陽平が立っていた。どうやら冷たい水を飲んでいたようだ。

「美和も飲むか?」

「ううん、大丈夫。それより何か冷やすものないかな?」

「保冷剤が冷凍庫の中にあったけど…どうした?」

「ママにちょっとね…」

美和は左耳を押さえた。

「叩かれたのか。大丈夫か?」

「うん、ちょっと痛いだけ。冷やせば大丈夫」

美和は冷凍庫から保冷剤を取り出し、タオルに包んで耳に当てた。


ソファに座ると、お兄ちゃんが階段を拭き始めた。


「何か汚れてる?」

掃除はママが完璧にしている筈だが

「少し、血がな。でもほんのちょっとだから心配しなくて大丈夫だ」

そう言いながら、陽平はもう綺麗になった所まで一心不乱に拭き続けた。

「美和ー?」

「なーに?」

「学校行く支度しなくていいのか?」

陽平からのあまりにも意外な問いかけに美和はズッコケそうになった。

「何言ってるの?そんな場合じゃないでしょう?」

「そんな場合じゃないから、だよ」

陽平は床から顔を上げた。


「美和、誰にもバレない為には、普段通りにするんだ。」

「普段通り…ってだって…」

「その内、母さんを見かけなくなったら近所で噂になるかもしれない。だから母さんは父さんを追って海外に行った事にするんだ。そして俺は入れ替わりに帰ってきた。そうするんだ。いいな?」

「お兄ちゃん…」

美和は少し考えてから、ゆっくり頷いた。

「お兄ちゃんがそうした方がいいって言うなら」

いくらでも従うよ。だって、お兄ちゃんは私を守ってくれたんだから。



美和はシャワーを浴びると、制服に着替えた。

一人で部屋に居ると色々な事が頭を巡り、気が滅入ってしまうので、急いで着替えて陽平のいるリビングに戻った。




「行ってらっしゃい」

「お兄ちゃん…一人で平気?」

「大丈夫だよ。俺が寂しがると思ったか?」

陽平は茶化して笑った。

「もー!そうじゃなくて!」

陽平は美和の頭の上にポンっと手を置いた。

「大丈夫だよ、俺は。何も心配するなって言ったろ?」

陽平は大袈裟に片眉を上げた。皮肉にも、その顔は陽子そっくりであった。


「じゃあ…行ってきます」




学校に着いて下駄箱を開けると、メモが入っていた。誰からのかは、見なくても分かる。美和は折り畳まれたメモを開いた。

〝何かありましたか? 篠倉〟

昨日の昼休み、理科準備室に行かなかった。どんな顔をして行けばいいのか分からなかったからだ。

陽子の事を相談するには、陽平の事も話さなくてはならない。篠倉なら秘密は守ってくれるという自信があるが、うまく話せるか自信がなかった。

でも、話せばよかったかもしれない。

昨日の一件で、もう2度と話せない秘密になってしまった。篠倉にも、誰にも。


私は一生、この秘密を抱えて生きて行かなければならない。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る