喪失勇者は埋めていく
百里緑福
第1話 勇者と怯える瞳
魔族の体から大剣を引き抜くと、血にまみれた刃は柄ごと霧散した。
剣の強度が落ちている。今日はいつも以上に何度も剣を生成したのだから無理もない。
俺は制帽を深く被り直すと、あたりを見回した。
死屍累々。その言葉で表現するに違わない光景だった。ショッピングセンターの駐輪場には、魔族たちが倒れ伏していた。ある者は自転車を薙ぎ倒す形で、ある者はショッピングセンターのテラスへと続く階段に身を預ける形で、総勢五匹の魔族たちが昏睡していた。
黄昏時の赤い空間の中で、蝉の声だけがやけに重く耳に残る。
俺は少しだけ息苦しさを覚えた。暴力の残影にまみれた世界を閉ざすように目をつむる。
今日もまた生き残れた。それは喜ばしいことだ。でも、と心が違和感を告げる。自分に必死な形相で向かってきた魔族たち。生き残るために戦っているのは魔族も俺たち勇者も同じだ。それなのに、お互いに手を引くことはない。それはなぜだ?
考えても仕方がない。そっと目を開けると同時に思考を切り替える。あとはオペレーターに任務が完了したと伝えるだけだ。
左腕に嵌めた小手を見る。左腕を覆うフォースメモリは、その真ん中に鎮座したコアと呼ばれる宝玉をどんよりとした重い色合いに変化させていた。
フォースが生成されている時はコアが燦然とした黄金色に輝いているのだが、この様子を見るにフォースを限界まで生成してしまったのだろう。この分だともう武器の生成はできないな。このあたりの敵はあらかた倒したから大丈夫だろうけれども。
通信機能を呼び出そうとしたが、ふと違和感を覚えた。
その子を見つけたのは偶然だった。
ショッピングセンターの入り口の前にある柱。そこから、女の子が小さく顔を出しているのが見えた。
こちらを窺うその顔は青ざめていた。きっと、魔族がショッピングセンターを襲撃したときに逃げ遅れたのだろう。
女の子はじっと俺を見ていた。その目は、同じ人間を見ているとは思えないほど恐怖に染まっていた。
その目を前にして、俺はハッと我に返った。
胃が締め付けられ、背中に重い何かがのしかかってくる。
自分は正しいことをしたはずなのに、なぜこんな気持ちになるんだろう。
フォースメモリについたタッチパネルを押し、通信機能を呼び出す。
「高洲英生です。西入り口、掃討完了しました。逃げ遅れた市民を見つけたので、指示を願います」
オペレーターは冷静な声で応答した。
「了解しました。救護係がそちらに着くまで、市民の保護をお願いします」
「わかりました」
俺は通信機能を切ると、女の子の方へ向き直った。
俺はためらった。安心させなければならない、ということは分かっているけれども、どうしたら良いのかわからない。
さっきまで魔族を半殺しにしていたというのに、今度は子供に優しくしなければならないなんて。
誤って傷つけてしまうのではないか。そんな不安が頭をよぎる。
俺は軽く息を整えると女の子の方へと歩みを進めた。
「ひっ」
女の子が小さく息を呑んだ。怖がっている。その明瞭な拒絶に思わず足を止める。
女の子が柱の影に引っ込んだ。激しく揺れる心を押さえつけ、なんとか頭を働かせる。
制服の詰襟と首の間に指を差し込む。汗で肌に張り付いた生地を少しでも離そうとした。
この黒い詰め襟の学生服は防火も防寒も防水も兼ね備えているらしいが、どうにも着心地が悪い。その上、この季節に暑苦しいことにマントまで羽織ることになっている。しかも、こちらのほうは単なる飾りらしい。
嫌になるな。ため息をつきたくなる。
ふと思い出したのは、ズボンのポケットに入れておいた飴のことだった。
ごそごそと右ポケットに手を突っ込みつつ、女の子が隠れた柱の方に近づいていく。
柱の裏側を覗き込むと、女の子が身を震わせながらこちらを見た。がくがくと全身を小刻みに揺らすその姿は、毒を喰らった小動物のようで胸が痛んだ。
女の子の目尻には涙が浮かんでいた。その左足があらぬ方向へ曲がっているのを見てハッとした。もしかしたら魔族に折られたのだろうか。自分の中に湧き出した怒りを抑えつける。今は彼女を落ち着かせるのが優先だ。
俺は唾を飲み込むと、意を決して女の子に話しかけた。
「もう大丈夫だよ。悪い奴らはやっつけたから。すぐにお母さんとお父さんのところに帰してあげるね」
精一杯の笑顔を作ったつもりだったけれど、女の子の体の震えは止まらなかった。彼女は少しでも俺から離れようとするかのように、必死に片方の足で地面を蹴っていた。
その様子に、俺は自覚した。この子は、魔族ではなく俺のことを怖がっているんだ。
ざっくりと心を切り裂かれた気分だった。俺は、どうしたらいいかわからなかった。迷いながらも、ポケットに入れていた右手を出し、手の内にある飴を見つめる。
どうしてハッカとミルク味なんて、マイナーな飴を好んでしまったのだ、俺は。いちごミルク味だったら、まだマシだったのに。
俺はため息を堪えて、女の子の前に屈んだ。
「ふぅっ、うっ、うっ」
今にも過呼吸を起こしそうな女の子を見て、俺は自分という人間が嫌になった。
きっと、この女の子は先程の戦闘を見ていたのだろう。そして、俺が魔族にした酷い仕打ちも。
魔族が相手だとはいえ、腕を切り落としたり首をぶった切ったりしているのを見たら、そんなの怖いよな、怖いに決まっている。
ぐるぐると胸に渦巻く重苦しい感情で息が詰まる。
俺はどうしたらいいかわからず、飴をポケットに戻した。ちらりと女の子の足を見る。膝からあらぬ方向に曲がっているその左足が痛々しい。逡巡したのち、俺はそこに触れようとした。
びくん、と女の子の体が跳ねる。
「大丈夫、大丈夫。君を傷つけたりはしないから。ちょっと様子を見るだけだから」
俺が彼女の脚を柔く掴むと、彼女は悲鳴をあげ、震えながらすすり泣いた。
あまりにも不憫なその様子に、必死に「大丈夫、大丈夫、落ち着いて」と繰り返す。
女の子の脚は、膝の関節から無理やり折られたようだった。骨を砕かれたわけじゃない。これぐらいなら、俺のフォースを注ぎ込んで自然治癒を加速させれば、少しはマシになるかもしれない。
いや、でも彼女は一般人だ。俺たち勇者のように、自分でフォースを操って体を直せる体質ではない。俺の中に残っている微力なフォースを注いだところで、無意味になるかもしれない。
女の子はびくびくと震えながら目を瞑っていた。その目尻からほろほろと涙が溢れているのを見て、俺はますます心が痛んだ。脚が折れているというのに、叫ばないなんて強い子だ。
俺は自分の手にはめた黒い手袋を右手から脱がすと、女の子の脚に触れた。
女の子の体が大きく跳ねる。俺は右手に意識を集中させると、彼女の皮膚に、筋肉に、骨にフォースを染み込ませるイメージを描いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます