四本目の道

 僕の家の前は三叉路になっていて、玄関を出て左へ向かう道と奥へ向かう道の間の股の部分には石像があった。別に全然立派なものじゃなくて、風化してざらざらになった石にお地蔵さんみたいな人の形が浮き彫りにされた、小さな道標みたいな岩だ。ばあちゃんはその石をサエの神様と呼んで、水やお菓子を供えて毎日拝んでいた。


 ばあちゃんが熱心に話しかけるそれが僕には何だか気味悪く思えて、あんな古い像なんかなくなっちゃえばいいと思っていた。そんな時、石像の後ろにある草地に新しい家が建つことになって、像も撤去するという話が出た。


 ばあちゃんは激しく抗議して、開発に反対する仲間を集めようと町内を一軒一軒回ったが、まあまあとなだめられて怒りながら帰ってきた。そうこうするうちに持病の心臓病が悪化して、ばあちゃんはぷりぷりしながら死んでしまった。


 石像の周りの草木は刈られ、サエの神様もどこかに移された。平らにされた土にコンクリートが流し込まれ、木の柱が並び始めた頃、学校で変な噂が流れ始めた。


 死者が帰ってきている。


 ずっと前に亡くなったはずの祖父母や親戚、犬や猫やハムスターまで、目撃したという人が相次いだ。死者を見たのは一人や二人ではなく、死んだはずの父親を迎えて家族全員で食卓を囲んだという子までいた。


 興奮しているクラスメイトたちの話を僕は半信半疑で聞いていたが、学校から帰ると家の前の三叉路の真ん中にばあちゃんが立っていて、いよいよ噂を信じるしかなくなった。


「じゃけぇ言うたじゃねえか。サエの神様がおらんなったけぇ、あの世とこの世がつながってしもうた」


 ちょっと透けたばあちゃんは相変わらずぷりぷり怒っていて、なんだかとても元気そうだった。ばあちゃんはそのまま家でご飯を食べてお風呂に入って布団で寝て、朝になると道と道の間からあの世に帰っていった。




 そのうち噂を聞きつけた人が全国から集まるようになり、僕の家の前でも死人と感動の再会を果たした人が泣き崩れたりして、小さな田舎町は異様な雰囲気に包まれた。ついに東京のテレビ局の人も現れて、金槌や電動ドライバーでやかましいサエの神様跡地を背に僕はマイクを向けられた。


「亡くなった人には会いましたか?」


「ばあちゃんに会いました。生きてるときと一緒でした」


 僕は胸を張って答えた。




 町に来る人はどんどん増えて、占い師や霊媒が即席の屋台を構えたり、宿を取れなかった人がそこらの空き地でテントを張ったりするようになった。役場の人が途方に暮れた顔で行ったり来たりしていたが、死者に会いに来る人たちを止めることはできなかった。役所もそのうち「黄泉帰りまんじゅう」とか作って観光地化を進め始めた。


 困ったのは石像の跡地にできた家に越してきた家族だった。家が完成すると同時に、死者たちが家の玄関を通ってあの世と行き来するようになったからだ。引っ越しの挨拶に来た時も「ずっと玄関がバタバタ鳴ってて眠れなくて、でも鍵を閉めておくと玄関の内側にも外側にも亡くなった人たちが溜まってしまって……」と嘆いていた。一週間もすると家族はまた引っ越してどこかへ行ってしまい、無人の家の玄関がひっきりなしに開け閉めされるだけになった。




「ばあちゃんはなんで怒ってんの? いいじゃん、死んでも今までとおんなじように生活できるんだし」


 僕が訊くとばあちゃんは怖い顔をして僕を睨んだ。


「なんもようねえ。ええか、今のばあちゃんは、ほんとのばあちゃんじゃねえ。生きとるように見えとっても生きとらん。思い出が見えとるだけなんじゃ。虚しい幻じゃ」


「ええ? ばあちゃん、消えんの?」


 ばあちゃんは考える時にいつもするみたいに目を細めて僕を見た。


「消えんよ。おめぇが覚えとる限りは」




 死者が現れ始めてから半年が経った冬の初め、良くないことが起こり始めた。この辺りの住民ではない、外から来た人の遺体が見つかるようになったのだ。警察によると全て自殺で、わざわざこの辺りまで死にに来ているようだった。


 あの世に「移住」しようとしている人が増えているのだとローカルのテレビ番組で言っていた。この町では死者も生者も同じように暮らしているように見えるから。何も代償を払うことなく老いや病から解放される希望があるから。


 でもテレビに映った移住志願者たちの顔は、その後も近所で見かけることはなかった。ばあちゃんの言うことを信じるなら、その人たちのことを知っている人がここには誰もいないから。


 移住のつもりで死んだ彼らは、本当にただ死んで、そのまま死に続けていた。




 とうとうあの世との自由通行は阻止するべきだと大人が決めたらしく、サエの神様が戻ってくることになった。死者を交えた連日のお祭り騒ぎに大人も子供も疲れ果てていた。


「ばあちゃん、また来るよね?」


 あの世への道を塞ぐのは賛成だけれどばあちゃんにはこのまま居てほしいなどと、僕は勝手なことを思っていた。


「いんや、来ん。けどここにおる。見えとっても見えとらんでもおる」


 ばあちゃんとはお別れしなければならないのだという実感がようやく追いついてきて、僕はしくしく泣いてしまった。


「なんじゃ、葬式でも泣かなんだのに」


 ばあちゃんは歯の抜けた口を開けて笑い、乾いた温かい手で僕の頭を抱き寄せた。




 実家を出てばあちゃんの残り香から離れ、思い出も薄らいだが、今でも盆や正月の帰省では塞の神様に必ず供え物をするようにしている。都会の洋菓子が古い神の口に合うかはわからないが。


 パワースポット巡りの客が時折訪れる以外は、実家の前の道はすっかり元通りだ。例の家は取り壊され、野生の草地を貫いているはずの黄泉への道は小さな石像で塞がれた。


 子供の頃は恐ろしかった石像の顔に、ばあちゃんの面影が重なって見える。塞の神様の背中で、ばあちゃんはきっと今も笑っている。

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