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  • NaOMiへの応援コメント

    「おまえたちの珪素の脳髄は、信仰の矛盾を、愛の矛盾を、虚偽の中の真実を、解し得るのか?」と問う博士ですが、そんな彼自身の方こそ、"ある"ものでありながら"いる"もの(あるいは死者でありながら生者)であるAIという矛盾した存在を許容できなかった……と理解しました。博士が人間に対して抱く「個人的な感想」に、足に接吻という隷属を象徴するような人間の真似事を以って応えるのは、皮肉がきいていて、思わず暗黒微笑しました。

    非常に面白かったです!

    作者からの返信

    天秤様

    ご高覧いただきまことにありがとうございます。
    天秤さんの御感想を拝読しながら「さすが」の一言以外には何も返すこともできない不甲斐ない私でございます。

    Twitter(X)でも呟いております通り、私も御作を拝読しております。現在、御作からは中々に(良い)影響を受けておりまして、新拙作にもそれが如実に表れております。
    何はともあれ、今後ともご交誼に程よろしくお願いいたします。

  • NaOMiへの応援コメント

    博士という、智と愛と矛盾に満ちたキャラクターが大変魅力的です。巧妙に仕込まれた矛盾が伏線となり、博士自身の語りで回収され続ける様子が見事過ぎて、ハッとさせられっぱなしでした。

    最初の方で描写される、寝室の大窓に映し出された風景。俗人たちを羊に喩え、狼から守ろうとする優しい眼差しも感じさせます。科学技術への信奉を聖者の合掌に、理性を惑わす思想や虚無(自由=死への憧憬)を狼に喩え、科学技術が人々を守るという図式が神聖化されている……なんだか宗教画を見ているような気分になります。博士の、科学技術に対する絶対的な信頼を感じさせます。ラストまで読んで戻ってくると、これこそがこの物語に流れる思想を象徴した風景なのだなと感じさせられます。

    最初に出てくるロボット工学の4つ目の法則、読んでいてすごくワクワクしました。人造人間の開発に人生を捧げた博士だからこそ提唱しえた原則でありながら、民衆には理解されない。専門家という、いわば「少数派」の届かない嘆きと切なさを感じます。
    ちょっと前にお話しした末期癌のおじいちゃんとかぶる部分があって、余計にエモいです。

    博士はナオミにお喋りを禁じています。その時点で、彼が欲しているのは亡くなった奥様本人ではないということが分かります。では、彼が欲しているのは何でしょう。そんな疑問が引きのような作用をして、彼の語りの内容が非常に気になった状態で読み始められました。

    AIの知性や心の証明……その問いは、人間の知性や心の証明、そして自身の存在の証明への問いと直結していますね。己の範囲を考えたとき、目に入るもの、触れられるもの、すべてが己だと言えるのだから、その心を証明するなど雲を掴むような話になりますね。

    涙を流す=情緒を持つものを「いる」と定義する人々を『愚民』と称して軽蔑する彼の言葉の裏で、ナオミを最もそばに置いて語りかける態度の矛盾を読者に思わせます。AIを人間と同一視しようとする思想は、博士にとっては『狼』の思想なのでしょう。そして、彼自身もその沼にハマっていることに気がついていますね。AIを知り尽くし、ただの機械と断じているにもかかわらず。

    坂本さんの小説には、人の愚かさを突いてグサグサと刺してくる鋭さがあるので、私はまるで自分が批判されたように瀕死になるのですが、今回も「AIを『ある』ものとして考えることをやめた者」に自分が該当して、流れ弾に当たって死にました。あらたな扉が開いた気分です。

    彼はAIを「ある」ものとする人のことも、「いる」ものとする人のことも否定し見下し、ともすれば全方向に八つ当たりしているようにも見えます。AIを通して見る「自己の存在」という実態の無い霧の中で、博士自身もまた彷徨っているような、そんな印象を受けます。

    最終的に博士が人間の存在意義を「迷うこと」「失うこと」「疑うこと」に求め、だからこそ人は「決定し」、「求め」、「信じ」るとしたことに、途方もなく壮大な人間讃歌の趣を感じました。

    この物語は、AIを通して「自己の存在」というものを深く鋭く見つめた作品だといえるのではないでしょうか。
    「存在」への問いは、「自由」への問い掛けへと深化していきます。人間は、人や物に名をつけることで「役に立つもの」にします。そうやって科学技術は発展してきました。一方で、そうすることによって自由ではなくなってしまうという説明に、深く納得します。それでも人は「命名の欲動」から逃れられないので決して自由を手にすることはない。なのに「自由」という幻影を求め続けるという矛盾に満ちています。

    「それが幻影と知らぬままに、己の自由をさえ代価に、家族や子らをも得ようとしたのだから!」の部分、あまりにも的確に私の愚を突いていて笑ってしまいました。そうなんですよね。喪失の代償なのに、人ってそこに夢を見ちゃうんです。

    そのあとに、自由と死の共通点を暴き出した部分がすごく好きです。

    虚無から生まれたAIであるからこそ、虚無=自由=死と人を繋ぐというのは、目から鱗でした。人はAIに自由を夢見ながら、同時に死に向かって一本道を歩き始めている……。そう考えると、ぞっとします。

    神は寡黙にして語らない、という博士の言葉から、彼がナオミにダンマリを命じていたことを思い出します。その直後に博士は、AIを神になぞらえ、自身を裏切り者に該当すると言います。博士は、科学技術を盲信する人々を愚とし、自分を真に強い者と評価しますが、読者はそんな彼の態度に疑問を覚えます。AIを神と位置付けていること自体が、もうすでに彼の妄信の証ではないのかと思われるのです。

    その疑問を強化するのが、ナオミの存在です。彼女の名は、博士の亡くなった奥様からとられています。死=虚無の彼方へ行ってしまった彼女と博士を繋ぐ存在として、AIにナオミの名を与えたのかもしれません。しかし、彼は亡き奥様に枯れた花を手向けるのです。死の世界へ行ってしまった奥様が、決して彼にとって単なる虚無ではないことを物語っている気がします。とすれば、AIのナオミだって、彼にとってはただの虚無の産物ではないのではないかと、思われるのです。

     その証に、ラストでナオミのとった行動に、博士は激しく狼狽しています。ナオミはただの機械で、博士の言動や行動を読み取って最適解を出しただけなのに。博士自身もそのことを分かっているはずなのに。

     博士がこれだけAIと距離を取ろうとするのは、それだけAIのもつ力が強大だということの証。彼はAIを「ある」ものとしながらも、ナオミを神のように扱ったり、「いる」ものと錯覚するのです。

    また一方で、「『いる』ものでありながら『ある』もの」としてAIに期待する人たちを悪く言っていますが、一番そうしているのは博士自身ですね。そうでなければ、ナオミ本人を目前にここまで罵倒できませんもん。

    以前、老人は思想を仮託してしゃべらせやすいと仰っていましたね。博士の矛盾は、人造人間を知り尽くした人が、真摯に向き合った上で起こるべくして起こる矛盾。人間の存在や命に付随する矛盾とも言い換えられる気がします。そして、作者である坂本さんがご自身に感じていらっしゃる矛盾そのものなのかなと、思ったりしました。

    この物語を拝読し、自分の浅慮を白日の下に晒された気分になりました。そして、この不思議な、ちょっと恥ずかしい気分は、もしかしたら作者たる坂本さんもお感じになってるんじゃないかなと思ったり……(勿論、知識レベルも思考レベルも私などとは段違いでいらっしゃることは存じ上げておりますが)。

    最近、自分の生活に欠落していた大切なものに触れられた気がして、読了後は爽やかな気分になりました。
    文章の美しさ、技巧的なものもふんだんに散りばめられていて、到底私などには敵わない偉大な作家様だなと改めて感じました。

    書いてくださり、本当にありがとうございました。

    作者からの返信

    釣舟草様

    本当にありがたいご感想をいただき、まことにありがとうございます。
    特に、拙作の冒頭部について、再度翻って御考覈頂いた箇所については、作者ながら本当に敬服いたす限りでございます。

    釣舟草さんの御作にも登場するご老人の描写が、拙作に書かれた老人像にも少なからず影響しておりますことを、この際に告白させてください。
    また、本作は、ややもすれば単に思想的な(観念的な)想念を開陳するのみで、何らの感慨もなく終えてしまいかねないところ、釣舟草さんのようなまさしく「リズール」と呼ぶべき読者の存在により、「小説」足り得るの機会を得たことに、本当に感謝申し上げます。

    ああ、しかし、何語、何万語を費やしようとも、釣舟草さんから頂いたお言葉に報いることができない気がして、なんだか恐縮してしまいます。
    まだ、私の中でもちゃんと言葉が整理できておりません。
    とにかく、今は形だけでも返信をさせていただきます。この無礼をお許しください......