第19話

 そこからの時間は、まさに至福のひと時と言うほかなかった。


 なにせシオネとリリシア、そしてアルエの、いまを時めくVtuberユニット【ふりーくしょっと!】の三人が、初のユニット曲の練習で、それぞれの歌声を目の前で披露してくれるのだ。


 声出しに続いて、お手本とばかりにはじめに歌ってくれたシオネは、さすがの一言に尽きた。涼やかでよく通る歌声で、歌にかける強い意志や、三人で駆け上がっていく未来への希望を、クールに、だが情熱的に歌い上げる。自分で作詞作曲したことを踏まえても、リズムも音の取り方も完璧に仕上がっている。


 一方でリリシアも負けてはいない。演劇に一家言あるというのは伊達ではなく、彼女の声は伸びやかで朗々としている。ときに不安に襲われながらも、力強く前に進んで行こうと歌う声は、リリシア自身の心の揺れや決意をありありと伝えて、聴く者の心を揺さぶってくる。こと表現力に関しては、シオネ以上かもしれない。


 そして、アルエはと言えば。


「……~~~~っ!♪」


 とにかく元気で、明るく、はつらつとして、堪えきれずに動いてしまう身振りまで合わせて、あふれ出してくる天真爛漫さに、こちらまで巻き込まれて楽しくなってしまうような、まさしく鳥羽アルエを体現しているかのような歌声だった。「もっと歌いたい、もっとみんなで楽しく遊びたい」彼女の歌には、ひとえにそんな思いだけが籠められていた。


 なにかとんでもないものを見せられている。聴かされている。


 同時に、まざまざと実感させられる。私はシオネの作ったユニット曲の魅力を、これっぽっちも理解していなかった。


 シオネからもらった仮歌の時点でも、ユニット三人が持つそれぞれの魅力を現した曲だと思っていた。だがそれはあくまで仮歌で、極力フラットに歌われた無味乾燥な歌に過ぎなかった。ところが、練習とはいえ、三人が各々の解釈と気持ちを乗せて歌うと、まるでそれぞれが違う歌を歌っているように色を変えるのだ。


 果たして、いまはバラバラに歌っている三人の歌声がひとつのトラックに合わさったとき、どんな化学反応を起こすのか。そのジャケットイラストを私が描いて、花を添えねばならないというプレッシャーを吹き飛ばすほど、いまはただただ完成が楽しみで仕方がない。


 と、ここまでが傍で聞いている素人の感想である。残念ながら、歌っていた当人たちは、ちっともそれどころではないようだった。


「リリシア、表現はいいんだけど、所々でテンポが遅れてる。もう少しメロディに乗ることを意識して。逆にアルエは走りすぎだし、音外しすぎ。もっとオケをちゃんと聞いて」


「は、はい、すみません!」


「う~……ごめんね。ついつい気持ちが乗っちゃってっ」


 さすが、きちんと音楽を勉強してこの曲に臨んでいるシオネの耳は、私のようなただの観客とは出来が違う。びしばしと手厳しい指摘が入って、アルエとリリシアは肩を落とす。あるいは二人とも、多少なり自信があったのかもしれない。歯に衣着せないシオネの指摘は、耳が痛いだろう。


「……や、別に怒ってるわけじゃないから。ほら、練習するよ。今度は一緒に歌いながら、いま言ったところを意識してみて」


「うんっ!」


「はい、頑張りますっ!」


 シオネの操作で再び曲が流れ始め、三人の歌声が響き始める。私は思わず熱くなる目頭を拭いながら、【ふりーくしょっと!】の初の合同練習を見学するのだった。



「ふえぇ~……シオネのスパルタ鬼軍曹~……」


 広々としたリビングのテーブルに突っ伏したアルエの口から、抜ける息とともにぼやきがこぼれる。


 まあ確かに。本格的に練習を始めてからのシオネの指導は、とにかく容赦がないの一言に尽きた。音が外れてる、リズムが遅れてる、走りすぎ。わずかなミスでも即座に見抜き、次々に矯正が入って直るまで練習を繰り返させる。次第に発声が追い付かなくなると、そもそもトレーニングが足りないと手痛いダメ出しだ。


 隣で苦笑するリリシアの表情にも、わずかながら疲れの表情が見て取れる。


「あ、あはは。私も発声練習とかはしてきたつもりでしたけど、やっぱり歌になると少し違いますね」


「でもでも、わたしはリリシアの歌、すっごく心に響いたよっ! さすが演技派Vtuberって感じだったっ!」


「アルエさんだって、すごく楽しそうに歌ってて、なんだか私も頑張らなきゃって気持ちになっちゃいました」


 そういえばリリシアも、本格的な演技の勉強をしているんだった。なるほど表現力には定評があるわけだ。そういう意味では、私がかつてその道を目指して素人なりにトレーニングしていたことも、昔取った杵柄程度には、アルエの基盤になれているのだろうか。


 一方でその鬼軍曹はと言えば、涼しい顔でゼリーを口に運んでいる。私たちがお土産に買ってきたやつだ。お洒落なティーカップに注がれた紅茶も一緒である。ううむ、こうして見るとシオネの所作は、本当にきれいだ。彼女が小さなスプーンですくうと、コンビニで買ってきたゼリーも品の良いお茶菓子に見えてしまうのだから不思議なものだ。


「けど、やっぱり一番すごいのはシオネだよっ」


「え?」


 ぽんっ、とアルエが顔を向けると、突然飛んできたボールに、シオネは目を丸くする。話を振られるとは思っていなかったのか、口元に持ち上げていたティーカップがわずかに揺れた。


「だってだって、わたしたちの出来てなかったところどんどん言ってくれるし、教え方も上手なんだもんっ」


「別に、あれくらい普通。今日指摘したところくらい直してもらわないと、人に発表なんてできないから」


 音を立てずにティーカップを下ろすと、シオネは首を横に振る。すかさず、リリシアが身を乗り出した。


「素晴らしい向上心だと思います。やっぱり、私たちでは歌のことはもうひとつ不勉強なところがありますから、指導していただけるのは本当にありがたいです。なにより、これだけの環境を整えられた意欲がすごいです!」


「うんうんっ!」


 二人に一心に褒めそやされ、シオネは目を逸らす。だがその表情は、照れているというよりも、どこか居心地が悪そうに眉根の寄せられたものであった。


「……二人はさ、それでいいの?」


「え?」


「はい?」


 シオネは、はっと目を瞠り口元を押さえるが、零れてしまった言葉は戻らない。左右に視線を泳がせ、やがて観念したように俯いた。


「私は、自分の歌をみんなに聞いてもらうために、Vtuberやってる。大学で音楽も習ってるし、本気でこの道に進みたいと思ってる。でも二人はそうじゃないでしょ」


 もしかするとそれは、彼女がずっと抱えていた不安だったのかもしれない。


「ユニット曲やりたいって言ったのも、私のわがままだし。本当は二人とも、もっと別の活動したいんじゃないかって、そう、思って」


 シオネは本気なのだ。本気でミュージシャンとして活動したいと思っている。Vtuberはその表現方法のひとつだ。Vtuberの活動形態はひとつではない。ここにいる三人だって、ユニットを組んでこそいるものの、得意分野はそれぞれに違っている。


 だからこそシオネは、自分が主軸とする活動に二人を巻き込むことが、どこかで気がかりだったのかもしれない。初の合同練習というこの日に、確かめておきたかったことなのかもしれない。


「……きつい言い方しか、出来ないし」


 なにを思い出しているのかは、聞かなくてもわかった。


 シオネが言葉を飲み込むと、静寂がリビングに舞い降りてくる。三人は同じユニットで活動しているが、それぞれが個別に活躍するVtuberでもあるのだ。それぞれに意志があり、それぞれに理想があり、それぞれに問題がある。先日の一件も、彼女たちの歩みが常に一定ではないという現実を、まざまざと見せつけている。


 だから私は、なにも心配はしていない。アルエたちはユニットなのだ。一番間近で見てきた私は、誰よりもそのことを知っている。


「知ってるよっ」


 ブロンドヘアが揺れて、いつになく真剣な声音が、アルエの口から真っ直ぐに放たれる。


「シオネが歌に本気なこと、わたし知ってる。だから厳しいこと言ったりもするって、もうわかってるもん。でもでもっ、わたしはそんなシオネが好きだから、一緒にユニット組みたいって思ったし、一緒に歌いたいなって思ったんだよっ!」


 リリシアも背筋を伸ばし、真っ直ぐにシオネを見る。そうするとリリシアもまた、育ちの良さが表に滲み出てくるかのようだった。


「シオネさんの言う通り、私は歌よりも、演技に軸足を置いて進みたいと思っています。ですから、こうしてシオネさんに指導してもらって歌うのは、演技の道を進むための、大きな糧になると思っているんです。ですから、遠慮せずにどんどん指導していただけたら、嬉しいです」


「えー、じゃあわたしとのゲーム実況はっ!?」


「もちろん、いろんな作品に触れる貴重な機会ですよ! 私、いままであんまりゲームって遊んだことなかったから、すごく新鮮で楽しいですっ」


 アルエとリリシアは笑いあい、シオネを見つめる。


 シオネは頬を掻き、目を宙に泳がせ、デザートスプーンを意味もなくひっくり返す。それから、頬をたっぷりと赤くして、上目でアルエとリリシアを見る。


「……そこまで言うなら、遠慮しないから」


「どんとこいだよっ! わたしもいままで以上にいっぱい練習して、シオネを驚かせちゃうんだからっ!」


「はいっ! よろしくご指導ご鞭撻ください、シオネさん!」


 はあああああああああああ。尊い。今回ばかりはなにも出番のなかった私は、胸の中で手を組んで、湧きたつ感情を吐き出すことしかできなかった。

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