第19話 つかの間の休息

「お疲れ様でした」


「ごっ、ごめんなさいっっっ……」


 由利さんの声が耳に届いたと同時に緊張の糸が切れてしまい、机に顔を埋める。


「は、恥ずかしい……あんな……」


 初めてだから仕方がないね、というレベルではなかった。穴があったら入りたい。


「そんなことはないですよ」


 今にも煙が出てもおかしくないそんな頭を抱えてうなだれるわたしに、由利さんの精一杯の優しい言葉がさらに羞恥心と胸をえぐった。


「なにより、聞いていたとおりです」


「えっ……」


「入力スキルはかなりのものですね。会話と同時に正確にしっかり打ち込めています。もともとパソコン操作がお好きだったんですか?」


「い、いえ……幼馴染みがよくパソコンに触れていたので、幼い頃からわたしにも身近にあったというか……」


 英介の影響はずいぶん大きいのだ。


 彼が遊び感覚でキーボードに打ち込む姿をずっと隣で見てきて、わたしも真似をして触れる機会が増え、そしてローマ字を覚える前には指がキーボードの場所を覚えていた。


「だ、だけど……」


 それだけでは終わる話ではない。


「と、トークがぼろぼろでした。お、お客様相手だったのに、申し訳ございません!!」


「大丈夫ですよ。こういうのは慣れですので。何度か対応していくうちに慣れていくものですよ。春咲さんの指がキーボードの位置をいつの間にか覚えたように、今度は口がセリフのように聞き取り項目を覚えていくはずですから」


「わ、わたしにできるんでしょうか……」


 いや、やらなきゃいけないのに。


「なんだか、できなかったということよりも、真剣に悩んで相談を持ちかけてきてくれたお客様に対して、あんな対応をしてしまったという罪悪感の゙方が大きすぎて」


「ああ、平気です」


「でも……」


「あれは隣の部屋の指導員ですよ」


「はっ?」


「わたしの同僚です。どうしても春咲さんのトークレッスンの第一人者は自分だと譲らなかったもので、彼がお客さんになりきって話し相手になったというわけです。本当に、無茶苦茶やってくれたようですが」


 呆れを通り越して無の表情を浮かべた由利さんはわたしの入力した画面を眺めながら唇を引きつらせていた。


「じゃっ、じゃあ、やっぱりこれは……」


「あとでもっと真剣にやるようきつくいっておきます」


「……ぷっ」


 表情には出さないものの、珍しく黒いオーラを全面に出した由利さんの様子を見ていたら思わず吹き出してしまった。


「えっ?」


「その方、面白い方なんですね。わたしもこのお話を聞いて、もしかしたらそうなのかなぁ?と思っていたんです」


 爆弾発言をしすぎたかな?と思ったものの、由利さんはさほど気にした様子もなさそうで、ついつい調子に乗ってしまった。


「でも、本当に『白百合のきみ』へ憧れを持つ方は多そうですね」


「どうでしょうね」


 肩をすくめる由利さん。


 じわじわと頬が緩む。


「次は別のものに対応させます」


「次は、もっと落ち着いて名乗るところから頑張ります」


「大丈夫ですよ。入電が入ったとわかってから、まず一息ついて、それから落ち着いて名乗ってください。電話の向こうの相手もきっと不安でしょうから、春咲さんの声で穏やかな食館を作り上げていただければと」


「はいっ!」


 単純なもので。


 口角が上がってから、なんだか少し気持ちが軽くなったように思う。


 そんなつもりはなかったかもしれないけど、笑顔を届けてくれたその指導員の方に感謝をし、わたしは再び、ヘッドホンを耳に当てた。




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