第3話 月影

…………はぁ…」

パーティが終わり、風呂へ入ってからパジャマに着替え、いつもの様に部屋の窓を開いて月が浮かぶ空を何かに見惚れる様にじっと見上げている。

「……シルフ…」

ポツリとその名を呟く。


彼の事が頭からずっと離れない。

今まで城の人達とすらあんなに話をしたことは無い。

事務的でも義務的でも、下心や野心でもない、純粋であり、心から溢れる国への賛美…それを私は僅かとはいえ正面から浴びてしまった。

久しぶりに人とまともに話した…気さえする…

彼との数分間を経験した後だと、今までの外交パーティなど全てが無意味な茶番にしか思えない。

彼と言葉を交える事が出来るなら、残りの人生を捧げても良い、この無意味でつまらない人生を彼との思い出に費やせるなら、私は消えて無くなっても良い。


気がつけば私は手を合わせ、遥か遠くを見つめながら、そよ風に吹かれる全身を焚べる様に、窓の縁へと足をかけて、立ち尽くしていた。


この先、どうせ何も変わらない人生。

恐らくシルフとも会うことは無い、そんな退屈で腐った人生。

彼との甘く濃密な数分の記憶が時間という不条理によって風化してこの世界から無くなるくらいなら、今終わらせても良いのでは無いか。

目に見えない何かに壊されるくらいなら、私が終わらせても良いのでは無いか?

今、この場で…

一歩踏み出せばそれが叶う。

あらゆる物が手に入って手放せないこの世界において唯一私自らが手放せる物。

それは私自身。

何時でも殺せる、唯一の相手。

思い出も、心も、そして命も。

全てが私の想いのまま、ある意味最も自由に操れる駒であり、思い通りに動かないデク人形でもある。


合わせていた手を解き、腕を大きく広げて目を瞑って思いっきり息を吸う。


この世界は私には広すぎた、この両手では抱えきれない程に、一呼吸では味わいきれない程に私の世界は私にとっては大き過ぎた。

どうやら生まれる世界を間違えていたらしい、そう考えると色々と納得してきた気がする。

だってそうだ、器も、思想も、心も…私の全てがこの世の幸福からズレている。


だからこれが正解、私の求めた答え。

破滅という名の、失う事を求める無欲な願望。


心なしか風が強く、私の体を部屋に戻そうと私の体に吹き込んで来ていた。

無駄だ、そんなものでは止まらない、この世界を限界まで抱えた私を押し返せるほど程強くは無い。

どうだ参ったか、最後の最後にこの世界に一矢報いてやった気分だ。


一歩、無い筈の地面へと足を伸ばす。

ああ、空が広い。

物凄く広い。

みたい、みせて、みれる、この世界の果て


私もそこに…風と共に

連れていっ――――


バサァ!!

目の前に大きく靡いた影が昇る。

月明かりを逆光に、私の目の前へとその影が現れた事に、思わずビックリして部屋の方へと倒れてしまった。

「きゃっ…!」

ドサッ…!

「……いったた…」

倒れた表紙にぶつけたお尻をさする私を値踏みする様に、ボロボロの布を纏った影が土足のまま部屋へと入ってくる。


「…………」

死に損なった私にある僅かな安堵と僅かな悔恨の心。

しかしその思いの大半はローブの男へと向けられていた。

その思いの正体を必死に探る。

恐怖?焦燥?後悔?悲観?懺悔?

いや違う、全く違う。

こんなにも浅ましい負の感情なんかじゃない。



だって私の胸はこんなにも


「先程ぶりですね、エリーゼ王女…」

「………シル…フ…?」

「……やはり今夜は…月が綺麗だ」


憧れの人に、高鳴っているのだから。

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