第3話 思い出は苦かったり、そうでもなかったり

 由己ゆきが言う。

 「歌合うたあわせっていうとさ」

 その「歌合」のことも、橋場はしば樹理じゅりは気にしている。

 いや。

 樹理が気にしているだけではない。目下もっかのところ、部ではその「歌合」の話題は「タブー」だ。

 朝穂あさほも由己も樹理も、明珠めいしゅ女学館じょがっかん伝統の短歌部「八重やえがきかい」の部員だ。

 その八重垣会が古典文芸部という部と短歌対決をした。

 それがその「歌合」なのだけど。

 その「歌合」のイベントの枠は科学部から借りたらしく、歌の優劣を決める判定役は科学部が担当した。

 その結果、五対五で、八重垣会と古典文芸部は引き分けた。

 もしかすると、引き分けるように最初から決めてあったのかも知れない。

 そうでなくても、文芸にはうとい科学部の判定なのだから、気にしなくてもいいようなものなのだけど。

 朝穂や由己や一年生は気にしていないのだけど。

 顧問の先生と三年生の先輩二人と樹理がとても気にしているのだ。

 古典文芸部といっても、江戸時代にはやったという「五七五」や「五七五七七」を使った「ことば遊び」をやって楽しむような部活だ。おそらくまともな短歌を作る能力はない。

 いや。

 なくはないだろうけど、たぶん一般生徒並み。

 また、実際に古典文芸部がその「歌合」に出してきた短歌も、二首ぐらいを除いて、ことば遊び短歌だった。

 その二首はたしかにいい短歌だと朝穂は思ったのだけど。

 そんな古典文芸部と引き分けなんかあり得ない、というのが、先生や三年生や樹理の理屈だ。

 そこで、先生と先輩二人は「敗戦原因」の分析に躍起やっきになっているが。

 だったら、その前に、科学部が判定役なんていうのは拒否して、それこそ大学の先生にでも判定役になってもらえばよかったのに。

 「歌合っていうとさ」

 朝穂が聞いていないと思ったのか、由己が繰り返す。

 「うん」

と朝穂は今度は相づちを打っておいた。

 由己が続ける。

 「あのとき、科学部のだれかが言ってたでしょ? 鳥にとって飛ぶのは負担だ、だから、飛ぶ必要がなくなったら飛ぶ機能から退化しちゃう、って」

 「覚えてるよ」

 負けると思っていなかった朝穂の短歌のうち二つが負け判定され、これも負けると全敗、さすがにかっこわるい、と思っていたときのコメントだったから。

 ちなみに、八重垣会の内部では受けが悪い由己の短歌は、三首出して、その三首とも勝利、しかも一つも「負け点」がつかないパーフェクトな勝利だった。

 由己がさらに続ける。

 「さっきの講演で、わたし、それのこと、ずっと考えていた」

 その講演に来た明珠女学館大学の寺中てらなかという先生は、

「人間は心に翼があるから自由にどこへでもんで行ける」

を繰り返していた。

 それなのに、いまどきの若い者は、便利な生活に満足してしまってどこにも行こうとしない、それではいけない、広い世界に目を向け、世界を見渡して自由に翔んで行かなければならない、という、そんな話だった。

 そんなのを、エスカレーター式に上の学校に上がれる過保護な女子校の生徒に言うなよ、それもよりによってそのエスカレーターの頂点の大学にいる先生が、と朝穂は思ったのだが。

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