第二十五話 期待の功罪


 調査フェーズの二巡目が始まる前に昼食休憩をとることになった。今日は他学年の昼休みと重なったことで、食堂も営業中の賑わいだ。二年生がほぼ全員不在にもかかわらず、座る席を探すのには苦労した。


 普段は食堂をあまり利用しない。出てくる料理は美味しいのだけれど、量に対して価格がやや高めの傾向にある。私立高には富裕層が多いというイメージからか、庶民と違う金銭感覚の学生につけ込んだ価格設定がなされているのかもしれない。実際のところは知る由もない。


 比較的安価なチャーハンセットを購入し、カウンターで受け取ってから席に戻る。目印に置いていたぼくのハンカチを掴んでくるくる回している大人がひとり。


「こんなところで何してるんですか」

「教師が食堂に居ちゃあ悪いか」

「とりあえず、そこぼくの席なんで退いてくれませんか」


 へらへら笑いながら行方先生が椅子を引く。ぼくがそこに座ると、さも当たり前のように向かいの席に腰を下ろした。


「……だから何してるんですか」

「財布を持ってくるの忘れてな」

「貸しませんよ。あと食券は電子マネー対応です」

「マジか」


 ここの学生ってスマホ所持禁止じゃなかったか、と行方先生がこぼす。ごもっともな意見だ。


「校則では禁止されていますけど、違反を恐れるのはごく一部ですよ。最悪でも半日没収で済むんですから」

「俺は半日もスマホ没収されたら禁断症状が出るけどな」

「依存症じゃないですか」

「ははははは」


 ぼくの指摘に対して大袈裟に笑う行方先生。周囲で歓談していた他の生徒が話を中断してまで離れていく。不審人物への警戒態勢に、当然ぼくも巻き添えだ。


「で、何の用なんですか。まさか雑談しに来たわけじゃないでしょう」


 人払いも済み、三度目の正直でぼくは問う。


「あんまり目立つようなことしてほしくないんですけど」

「別に、君を揶揄いに来たわけじゃないさ」


 行方先生が頬杖をついて深く息を吐く。


「鹿野にいろいろ言われてへこんでるんじゃないかと心配になってな」

「飴と鞭、みたいな話ですか」

「……そう思う根拠は?」

「行方先生は諜報員だってひめりから聞きました」

「なるほど。もうバラしちゃったかあいつ」


 否定しない。いつかは知られると織り込み済みだったのか。


「で、君はなんでそれを信じた?」

「さっきまでは半信半疑でした。でも今は確信してます」

「俺が否定しなかったからか」

「それもありますけど」


 ぼくらと距離を取った上級生たちの視線を盗み見ながら続ける。


「三年生の教科担当というわりには、食堂であなたのことを見知っていそうな人がいないようなので」

「ははっ、確かにそうだな」


 軽薄に笑う行方先生。その目は静かにぼくを見据えている。


「鹿野がどこまで話したかは知らないが、たぶん嘘は混ぜてないだろう。俺はしがないフリーランサー、どこにでもいる普通の諜報員」

「諜報員がどこにでもいるのはぞっとしますけど」

「安心しろ。一般市民に危害を加えるような諜報員は普通じゃない」


 あまり安心できない断言だった。


「あるときは教員、あるときは会社員、またあるときは警備員。いろんな職を転々としては所属した組織の内部情報を白日の下に晒す、正義の諜報員」

「決め台詞か何かなんですか」


 一字一句同じだった。ひめり曰く正義は嘘だった気がするけれど。


 話しているうちに鳴りを潜めていた食堂の喧騒が戻ってくる。行方先生への注目が薄れてきた証拠だろう。


「まあ、そういうわけだ。俺が君らの事情を知っているのも諜報活動の賜物ってわけだな」

「個人情報保護はどうなってんですか本当」

「知らねえよ。俺らを雇ってんのは国じゃなくて法人なんだから」


 法人――学校法人か。七宝高校を含む、七宝学園グループ。


「お金で動いて法を破るのは正義のすることじゃありませんね」

「悪事を働いても金を払えば釈放されるんだからバランスは取れてる」


 言ってることがめちゃくちゃだ。雑に煙に巻かれている気がする。


「金で解決できることは極力金で解決すればいい。たまに金じゃあどうにもならないことがあって、そういうときこそ人は試される」

「食事代は貸しませんよ」

「分かってるっての」


 うんざりした様子の行方先生。


「俺が言いたいのは、君に頼んだ内容も金で解決できないことだって話だ。いくら金を積んでもそれで得られる友情や信頼はまやかしだからな」


 『間違った若者』を見つけ出すこと。手慣れた諜報員ですら暴き出せなかったその正体を、何も知らない素人に暴かせようというその目論み。金で解決できないから金の代わりに手間をかけてぼくらを操っているのだとしても、効率的とは程遠いように思える。


「これ以外に方法はなかったっていうんですか?」

「それを決めるのは君でも俺でもない。最後になって分かるもんだ」

「……投げやりですね」

「生憎俺は過程を重視しているんでな。同じ結果でもより有益な変化を経たほうが、なんか得した気分になるだろ?」


 同じ結果、か。


 とどのつまり、すべては行方先生の予定調和なのだろう。彼の管理するマダミスに不確定要素が介在しないように、ぼくに与えられた使命にも然るべき結果が最後には用意されている。


 彼が有益な変化を求めるのなら――その変化は、誰にとっての有益なのか。


「あなたの期待通りに、ぼくはやれていますか」

「それも最後に分かることだが……敢えて言うなら、期待以上を期待している」

「ははっ」


 笑ってしまう。それはぼくが今朝切り捨てたばかりのものだった。


 大人はいつもそうだ。子どもには無限の可能性があるとか都合の良いことを言って過剰な期待を寄せる。その期待に充分応えられる子どもだったなら運がいい。ベストを尽くしても応えられなかった子どもは、その経験を劣等感として抱え続ける羽目になる。なのに大人のほうは、自分がそこまで追いやったのだと省みることすらしない。


 所詮可能性は有限だ。際限がないのは、期待という他者消費の欲望だろう。


「人を見る目はあっても、人の心が分かってないですよ、先生は」


 ぼくを探偵役に選んだ理由なんてもうどうだっていい。


 今はただ、あのときの過ちを繰り返さないように努力するだけだ。


 ぼくが黙々とチャーハンを食べるのを見て、行方先生もまた黙って席を立った。もう戻っては来ないだろうと高をくくっていたぼくは、給水器でコップに汲んできた水を両手に持った行方先生に軽く面食らってしまった。


「ほらよ」

「……どうも」

「確かに俺は人の心が分からないのかもしれない」


 行方先生は直前の話題を継ぐ。


「でもな、そんな俺にも大人の責任ってもんがあるんだよ。未来のあるガキが道を踏み外さないように見守る責任がな。だから少しくらい期待させてくれよ。俺が守ったものには価値があるんだって思わせてくれよ」


 子どものような我儘だった。けれどぼくには頭から否定するような言葉が出てこなかった。


 行方先生が期待しているのはぼくだけじゃない。他の六人にも同じだけ期待を懸けている。犯罪に加担しているという一人も含めた全員に対して、大人としての責任を負っている。


 やっと分かった気がする。この人が何を期待して、こんな回りくどいことをしたのか。


 それは彼の望みが、ぼくらにしか叶えられないからだ。


 ぼくはチャーハンの残りを掻き込み、付属の中華スープで一気に流し込む。胃が落ち着いたところに冷水を飲み下すと、胸の底に沈んでいた活力が徐々に浮き上がってくるのを感じた。


「あなたの思い通りになるつもりなんてさらさらないですけど」


 捻くれた正義感を、無駄にしないために。


「最後に全部分かるっていうんなら、そのときまでは利用されてあげます」


 探偵としての役割ロールを全うする。


 犯人役が名乗り出るまで、ぼくは舞台の上で明るく楽しく踊ってやる。

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