ワケありオリヴィアの薬草畑

野原 冬子

1、サンザシの丘

辺境伯領ホーソンヒル牧場よりお届けします。


 開け放った窓の外、風に乗って聞こえたヒーンと高く空気をつん裂く若馬の悲鳴に、ウィルフレッドは書類から顔を上げた。


今年の秋には27歳になる。驚くほど整った顔立ちと、がっしりとした体躯を持つ美丈夫は、ホーソンヒル牧場のオーナー、ウィルフレッド・ホーソンだ。


吹き込む風に、緩くうねった漆黒の黒髪が揺れる。群青の瞳が、馬の悲鳴を訝しみ窓の外へと向いた。




 爽快な初夏の青空を、緩やかに重なって続く丘の稜線が切り取っている。


そんな窓枠の風景の一番手前。白い柵に囲まれた小さな角馬場に隔離しておいた聞かん気の強い2歳の牡馬が、柵の角に体を押し込んで首を垂れ、体をすくませていた。


精一杯体を小さくして隠れているつもりなのだろう。大した怯えようだ。さては野犬でも紛れ込んだかと、ウィルフレッドはペンを置いて立ち上がった。






 窓から身を乗り出して外を見遣ると、玄関に続く敷地内の道をこちらに向かってゆっくり歩いてくる立派な黒馬と芦毛の2騎に目がとまる。


 黒馬に騎乗するのは、白シャツに黒いズボンというラフな姿に紺色のマントを羽織った立派な体躯、精悍な顔立ちの初老の男。ウィンドワーズ辺境伯当主バートランド・ウィンドワーズだった。ウィルフレッドに気づいて、軽く手をあげて挨拶を送ってくる。声をかけてこないのは、周辺に放牧されている馬たちを驚かせない配慮だろう。


 もう一騎。辺境伯の黒馬にも引けを取らない迫力のある芦毛の馬上には、線の細い小柄な青年がいた。


濃い灰色のマントの下は、たっぷりとした白いチュニック。首から小さな皮袋のようなものを下げている。さっぱりと短く切った鳶色の髪。辺境伯につられたのか、ふとウィルフレッドを見遣った瞳の色は、初夏の森を写したような鮮やかな緑だ。


とても綺麗な緑眼だと思う。


・・・が、しかしなぁ。青年の姿をしてはいるが、ちょっと華奢すぎるんじゃないか?


なんとなく厄介ごとの匂いがした。



けれども、誰よりも自分が面倒をかけ倒している辺境の最高権力者のお出ましだ。出迎えないわけにはいかない。ウィルフレッドは窓辺から体を引っ込めると、小さな吐息一つを居室の床に落として玄関に向かった。






 ホーソンヒル牧場は、遠く南東に領主城を望む丘一帯を占める、辺境では一番大きな牧場だ。アルタイル王国の北部ウィンドワーズ辺境伯領の領都ウィンディリーヴァからは、馬を歩ませて1時間ほど。森を切り拓いてできた広大な丘陵地帯の一部で、開拓前にはサンザシの群生が目立っていたことから『サンザシ丘』と呼ばれる土地にあった。


屈強な辺境伯家騎士団の軍馬の管理を引き受ける、ちょっとした外部組織のような施設も所有する。辺境伯ウィンドワーズ本家から派生しているホーソン家は、無爵位でも領内では一目置かれる名家だった。




 ワケあって辺境伯バートランドに保護されていたウィルフレッドが、子供のいなかった先代牧場主フランク・ホーソンとその妻クレアの養子となったのは12歳の秋だった。義理の父と母ではあったが、親として本気で向き合い大切に育ててもらった。


そんな愛情深い両親を流行病で一度に失ったのが、3年前の冬のこと。深い失意と喪失感の中から立ち上がり、ようやく牧場経営も板につき始めた今日この頃なのだが。






 玄関ホールの大きな両開きのドアを開くと、初夏の眩しい光と風が一気に薄暗い玄関に満ちた。眩しさに目を細めて少しだけ顔を逸らす。



「久しぶりだな、ウィル。息災か?」



低く響く穏やかな声音に顔を向けると、陽光を背負い銀髪を煌めかせたバートランドが少しだけ口角をあげて、深い赤紫色の目を細めていた。


馬上から降りる素振りも見せない。

嫌な予感しかしなかった。



「最近です。両親の仕事をなんとか、回せるようになったかなーーーぁ、というころですね。どちらかというと、多忙極まりありません」


ウィルフレッドは、威厳溢れる偉丈夫を見上げて目の中の警戒心を隠さず、口元だけで笑んで見せる。


「うむ、よし、そうかそうか。ならば十分に息災だな。お前、以前、薬草畑を作りたいと言っておったろう? 実にいい人材が転がり込んできたのだ。少々ワケありだが、なぁにお前ほどのことはない。こちらに回すから使ってくれ」


息災かと尋ねておいて、こちらの体の空き具合など一切の配慮もするつもりはないらしい。軽く厄介を仄めかしつつ、しっかり恩を着せるのも忘れない。


まったくもって食えない。狸爺めと、心の中で罵りながら身構えようとしたのだが・・・



「慌ただしくてすまんがな。今日中に着手せねばならない予算関連の書類が山積みになっておってな。ここへの出資関連のほれ、あれもあるし。ああ、そうだ、薬草畑には、私がこの青年の言い値で投資するから心配はいらん。まぁそういうことだ。はっはっはっ では、あとは頼んだぞ」


 立板に水の勢いで言葉を掛け流しにした直後。王国北部の支配者であり守護神と崇められるほどの男が、それはもう呆れ果てるほどなんの気負いも躊躇いも見せずに、だ。


さっと見事な手綱捌きで愛馬の馬首を巡らせたかと思ったら。腹を蹴り軽く肩鞭まで入れて、カッカと快活な高笑いを残しながら、ドドドドドーーっ、と一気呵成に駆け出した。




「は?」

思わず開いた口から間抜けな声が出てしまう。


ありえない。威厳漲る偉丈夫、押しも押されもせぬ辺境伯閣下の、自らの立場をまったくもって顧みない、あまりにも子供じみた逃げっぷりに開いた口が塞がらない。


それで、疾走する黒馬とその主が視界から消えるまで、ただ呆然と見送ってしまった。




 ハッと我にかえったとき、置き去りにされた灰色マントの華奢すぎる青年は、いつの間にか芦毛馬から降りていた。そして、ウィフルレッドと目が合うと、実に申し訳なさそうに、エメラルドの瞳を伏せて俯いた。


「・・・もしかして、閣下のあの大人気のカケラもない逃亡策を聞かされていたか?」


この子が悪いわけではない。


あの老獪で大胆な大狸の策略を止められる人間なんて、この辺境にはいないのだから。わかってはいるけれど、眉間にシワが寄ってしまう。


「・・・申し訳ありません」


華奢な体をさらに小さくし、声を震わせる姿があまりにも不憫だった。ウィルフレッドは軽く空を仰いで長い息を吐いて気を取り直し、改めて目前の人物に向き直った。



「いや、こちらこそすまない。君が悪いわけではないよな。名前を聞いてもいいか?」

「・・・・お、オリバー・・・です」

「推定、オリヴィア、か?」

「・・・オリバーで押し切れと命じられた、と言っておけと閣下が」

「なるほど。女の子だと気づいても、気付かなかったふりをして、でも女の子として扱えというわけだ」

「・・・本当に申し訳ございません」


ウィルフレッドが心底呆れ果てたという顔になり、オリバー推定オリヴィアが、しょんぼり悄然と項垂れたときだった。






 青年な彼女とウィルフレッドの間合いに、のっそりと大きな芦毛が割り込んだ。華奢な主人を庇って立ち、真っ直ぐにウィルフレッドを見た深い緑の目がみるみる赤く染まる。同時にジリっと空気を焼くような威圧が放たれた。


重く静かな威嚇に、ウィルフレッドは瞬く。「・・・威圧」と、思わずのように口にした途端、驚愕が胸に広がってゆく。



「「おいおいおい、ちょっと待て、お前、まさか、魔馬なのか?」

目を見張ったウィルフレッドに、半眼になった芦毛が「フンっ」と鼻息で応じるではないか。


それは、言葉を理解しているとしか思えない仕草だった。




———そうか。



ウィルフレッドが悲鳴を上げ竦み上がっていた2歳馬に視線を巡らせると、相変わらずここから一番遠くの角に体を押し込んで小さくなっている。


まだあの状態にあるなら、怯えの対象はすでに去った閣下と黒馬ではない。残された要因は、青年偽装の女の子と芦毛の馬だが。見るからに非力そうな女子に怯えたりはしないだろう。


消去法で、若馬の恐怖する対象は、芦毛馬ということになる。生意気盛りのあれを、遠距離からこれほど怯えさせるとは。やっぱり、この芦毛は普通ではない。




・・・本当に、こいつ、荒地の魔馬なのか?




「こらラフ、ウッドラフっ 威圧はダメよ・・・あ、いえ、いや、だめだ、よ。ぞ?」

オリバー青年推定オリヴィア嬢が、あわあわと自分の言葉にへんてこりんな訂正を挟みながら、芦毛とウィルフレッドの間に滑り込んできた。自然と近くで目視することになった背中は華奢だ。細い首に、短い鳶色の髪の小さな頭。


ウッドラフと呼ばれた芦毛は、か弱げな主人に押されて抗うことなく、素直にウィルフレッドから離れて行く。


けれども、主人の背中を首を捻じ曲げて抱いて隠すようにして「おい見過ぎだぞ」と言わんばかりに、眉間に皺を寄せ深緑色に戻った目で凄んでみせるのだ。



 やっぱり、これは魔馬だろう。大陸の北部からアルタニア諸島北端にかかる魔素の濃い領域の、魔の森の出口に広がる荒地地帯に、群れを成さずに単体で生息しているという。


普通の馬よりも高い魔素値を持つのに比例して、人間に匹敵するほどの高い精神性を発揮すると推測されている魔性の馬。闇に紛れる青毛が特徴だと研究書にあったのに。何故コイツは芦毛なんだ?



・・・なるほど。


聡いウィルフレッドは速やかに悟った。目を赤く染めて威圧を放つ。さらに主人を庇って凄んでくる、この馬を観察したかったら、主人である華奢な青年偽装のオリバー推定オリヴィア嬢も身近に置かなければならない、ということを。



「くっ あのクソ爺閣下野郎っ」



心の底から溢れ出した低く小さなぼやきをこぼして。

片手で顔を覆ってガックリと項垂れる。





ウィルフレッドは、抗いがたい魔馬の魅力に、敢えなく陥落した。





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