第3章 わたしらしくいられる場所

レーヴェの過去

第12話 熱の功名?

 シエルがシャイドゥ国へやって来てから、一ヶ月が経過した。勉学や挨拶で多忙を極め、季節柄気温が低下してきたこともあってか、シエルはその日熱を出した。


「朝からふらつくなぁとは思っていたけれど、まさか熱を出すなんて……」

「姫様は、平素頑張り過ぎなんですよ。こういう時くらい、私たちに甘えて下さいませ」

「いつもかなりマオには甘えていると思うけれど……」

「足りません!」

「えぇぇ……」


 ピシャリと言い切られ、シエルはマオによってベッドに寝かせられる。今日は料理教室と勉学、そして外にもやることがあったなと考えようとしたが、シエルの思考は途切れ途切れになっておぼつかない。

 大人しく横になることにしたシエルに安堵し、マオはゆっくり眠れるようにと静かに歩く。温かなミルクを用意し、主が飲むのを確かめる。


「姫様、私は洗濯物を干してきます。大人しくしていて下さいませね?」

「わかったわ。ミルクをありがとう、マオ」

「はい」


 洗濯し終わったタオル等を籠に入れ、マオは部屋を出て行った。しん、と静まり返った部屋で天井を見上げていたシエルは、手の甲を額に置いて目を閉じる。

 飲み終わったコップはベッド横の机に置いて、もぞもぞと布団に入っておく。自分の体温で温まっているためか、熱でぼんやりしているからか、眠気はすぐにやって来た。


「……寝ているのか?」


 シエルが眠ってからしばらくして、マオにシエルが熱を出したと聞いたレーヴェが戸を開けた。部屋の主の許可なく入ることは躊躇われたが、マオが「励まして差し上げて下さい!」と背中を押すものだから来てしまったのだ。


「……」


 レーヴェは柔らかい色が多用されたシエルの部屋を見回してから、足音をたてないようにそっと彼女の眠るベッドへと近付く。傍にあった椅子に腰掛けると、ギッときしんで目を泳がせる。

 しかし眠りが深いのか、シエルが目覚める気配はない。ほっと胸を撫で下ろし、レーヴェは彼女の寝顔をぼんやりと眺めた。


(今日は急ぎの仕事がないから、ようやくこいつと長めに話が出来るかと思ったが……。この一ヶ月、まともに見てやれなくて悪かったな)


 交わす言葉といえば、シエルが作ってきたお菓子への感想くらいのものだ。その他は互いに忙しく、顔を突き合わせて過ごすことなどなかった。

 何度も兄で国王でもあるジーノから、シエルと一度ゆっくり話す時間を作れと言われていたのだが。なんとなく、シエルと二人きりでいるという自分を想像すると落ち着かない。レーヴェはその意味を深く考えることが出来ないまま、仕事に忙殺されていた。

 しかし、忙しいはコミュニケーションをおろそかにする理由にはならない。ジーノもレーヴェ同様かそれ以上に多忙を極めているにもかかわらず、正妃との時間はきちんと取っているから。


「……熱いな」


 そっと指で触れたシエルの頬は熱を持ち、わずかに息が荒い。熱が上がっているのではと危ぶんだが、一瞬でもこの場を離れるのは惜しかった。

 レーヴェは悩んだ末、シエルの頬に触れていた指を離す。そして改めて、手のひらを彼女の額に触れさせる。獣人は総じてただ人よりも体温が高いが、今はシエルの方が高いだろう。


「……早く、また笑顔を見せてくれ」


 幾分か柔らかくなった寝顔を見ながら、レーヴェはぽつりと呟く。

 実はレーヴェが近くで見られなかった分、様々な方面からシエルの様子が報告されていた。サナエラやミシェーレは勿論、講師のシゼラ、大臣や役人たちまでもがシエルを評価していた。


「妃殿下は、異種族であるわたしたちに特別ではなく接して下さいます」

「シエル様の作るお菓子はどれもとても美味しいです。炎の魔力を使いこなしておられますね」

「本当に一生懸命にこの国について知ろうとして下さり、嬉しい限りです」

「今朝、妃殿下がこの国の文化について質問して下さいました。本当に嬉しかったのですよ」

「この前、練習場に来て下さっていましたよね。その後も何度か来て下さり、お話ししたのですが……とても気さくな方で驚きました」


 等々。シエルの話をする者たちは皆、本当に嬉しそうに楽しそうに見える。そんな表情を目にする度、レーヴェは胸の奥に不可解な言い表せない思いを抱く。

 レーヴェは温まってしまった手をシエルの額から離し、彼女の藍色の長い髪を指でいた。柔らかなそれに初めて触れ、レーヴェは無意識に頬を緩める。


「……んぅ?」


 その時だった。ふいにシエルが目を覚まし、ぼんやりとした瞳でレーヴェを捉える。


「……? れー、ヴェでん……殿下!?」

「うおっ!?」


 突如覚醒したシエルの声に、レーヴェもつられて声を上げた。二人の悲鳴めいた声が響いたが、誰も部屋に入って来なかったのはある意味で軌跡であろう。

 実はマオが既に部屋の前にいたが、中の様子を察して誰も部屋に入れなかったのだが、それはシエルとレーヴェが知る由もない。

 レーヴェが傍にいたとは思いもしないシエルは、見事に混乱していた。上半身を起こし、顔を真っ赤にしてわたわたと慌てる。


「ど、どうして殿下が……? お仕事は宜しいのですか?」

「今日は、急ぎがほとんどなくてな。マオから貴女あなたが熱を出したと聞いて、見舞いに来たんだ」

「そうだったのですね。ありがとうございます……」


 嬉しいです。ふわりと微笑んだシエルに、レーヴェの心臓がどきりと跳ねる。そんな自分の変化に戸惑いながら、レーヴェはシエルに「体の具合は?」と尋ねた。


「少し寝たら、随分と体が軽くなりました。明日からまた、料理も勉強も頑張ります」

「……マオやミシェーレさんたちから、貴女が日頃頑張り過ぎているからだと言われた。見知らぬ土地で多くのことを急かしてしまい、申し訳ない」

「顔を上げて下さい、殿下。わたしがやりたいと自ら言ったことばかりですし、それに皆さんがお優しいから……もっと頑張ろうって思えているんです」

「……それはきっと、貴女が真っ直ぐだからだろう。皆、そんな貴女だからこそ、色々教えたいと思うのだろうし。——俺も」

「殿下?」


 首を傾げるシエルに、レーヴェは「何でもない」と首を横に振ってみせた。


「兎に角、今日はゆっくりとしていると良い。……もしも頭痛がするとかでないのなら、俺と話をしないか? このひと月、まともに話す機会がなかったから」

「是非!」

「とりあえず、貴女は布団を被っていてくれ」


 それから二人は、一時間程たわいもない話をしていた。シエルが今まで城で作ったお菓子のこと、学んで来たシャイドゥ国のこと、そしてお互いのことを。


「不思議だ。貴女と話していると、幼い頃のことを思い出す」

「幼い頃の?」

「ああ。……かつて、一度だけただ人の友をもったことがあったんだ」


 レーヴェはそう言うと、ぽつぽつと自分がただ人を信じられなくなったその出来事を語り始めた。


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