第28話 「犯人」の告白

 駒込くんは元々、小学生の頃から野球をしていたのだそうだ。当時所属していたリトルリーグのチームではピッチャーを経験していたこともあったが、中学の時には自分より体格の良い人間が現れて活躍できなくなったこともあり、学校の野球部に所属していたらしい。


 そして、その時に一緒に入部したのが千駄木くんだった。千駄木くん自身は野球初心者だったので、駒込くんは経験者として彼に色々と教えた。性格の相性も良かったのだろう、やがて彼らの間には親友と言って良いくらいの関係性が芽生える。


 だが千駄木くんは駒込くん以上の才能があったようで、野手に転向した駒込くんに対して千駄木くんはいつの間にかピッチャーとして活躍するようになる。また同じ天道館高校に入学して野球部に入ってからは、千駄木くんは一年生にもかかわらずレギュラーに抜擢されるほどになった。


 駒込くんは活躍する千駄木くんに引け目を感じなくもなかったが、千駄木くんの方は変わらず親し気に接してくるので友人関係は続いていた。


 だがそんな駒込くんの生活に、小さな変化があったのは一か月前のことだ。


 少しでも千駄木くんに追いつきたい。せめてレギュラーになりたいと陰で自主的にレギュラーと同様のトレーニングをこなしていた彼は、ある日のロードワークの最中に一匹の犬が飼い主も連れずにパタパタと走っているのを目撃したのだ。


 そのモコモコした愛嬌のある小型犬は、はしゃいだ様子で歩道から車道へ走り出していくではないか。そこそこ車が通る時間帯であり、危ないと感じた駒込くんはトラックが近づいてきたのを見て大急ぎで犬を抱き上げて、そのまま反対側の歩道まで走った。


 知らない人間に抱きかかえられて驚いた犬は、最初は吠えたが駒込くんに害意は無いと察したのか、そのうち落ち着いてクンクンと鼻を鳴らすようになる。顔立ちからしてペキニーズらしい。


 そこへ飼い主の中年女性が現れる。何でも散歩中にリードひもが外れて逃げ出してしまったらしく、取り乱しながらも犬を受け取って去っていった。


 駒込くんは自分にとって印象的だったこの一件をSNSに投稿することにした。このSNSのアカウントは元々日常の出来事と趣味でやっている風景写真の撮影を掲載するために取得したものだ。自分のアカウントであることは誰にも教えていなかったし、フォローする人間も写真の閲覧者も数える程度であった。


 傍から見れば作り話と疑われるかもしれないなと思ったのだが、その後で飼い主と思しき人間がメッセージを送ってきたことでインターネット上で小さな注目を集める。そしてフォロワー数も急に百人以上にまで増えて、過去に投稿した写真まである程度注目されるようになった。


 それでもこういったネット上の話題は移り変わりが激しいものであるし、一週間もせずに忘れ去られるものだろうと考えていた。だが、数日後に自分の教室でクラスメイトの女生徒が交わしていた会話を耳にして彼は驚愕する。


「ねえ、聞いた? 野球部の千駄木くんが、ロードワークの時に車に轢かれかけた犬を助けたらしいよ」

「SNSで話題になってたやつでしょ? 格好いいよねえ」


 どうも校内の物見高い人間たちが、あのアカウントの主を過去の投稿と今回の一件から「天道館高校の野球部の人間」と当りをつけたようだ。


 しかも駒込くんは同じ野球部として練習試合や大会で遠征に行くときも千駄木くんと同行しており、また下校するときも一緒であることが多いので行動経路が重なっている部分があった。


 そのため彼らは駒込くんがSNSで投稿していた日常の出来事を千駄木くんのものと誤解し、アカウントの正体はエースピッチャーの千駄木くんであるとイメージと断片的な情報で結論付けてしまったらしい。


 あげく一時は千駄木くん自身の動画まで勝手に撮影して、例の犬を助けた投稿と関連させて記事としてまとめ掲載するサイトまで現れてしまう。



 噂は一人歩きを続け、駒込くんのアカウントのフォロワー数はさらに十倍以上に増加した。また千駄木くんのところには「ファンになりました」と部活中に押しかける女子生徒まで現れる始末だ。


 駒込くんは内心では混乱したが、それでも放っておけば落ち着くだろうと考えていた。


 だが、その「千駄木くんの人気の急増」が思いもよらないトラブルを引き起こしてしまう。


 数週間前のある日の昼休み。彼は掛け持ちで参加している写真部で自分が撮影した写真を出力して、春日さんや他の写真部員に見てもらっていた。


 露光をいじった方が良い、被写体の選択は悪くないなど寸評してもらった後で、部室を出ようとしたところで窓の外に見知った顔が通り過ぎるのを目にする。


 それは三年生の先輩、湯島と根津だった。


 そして彼らは作業教室棟の横にある雑木林に立ち入っていくではないか。あんなところで何をしているのだろう。気になった駒込くんは部室を出た後で彼らの後を追って、自分も雑木林へ足を踏み入れた。


「よし。これで七個か。もっと集めたいけどな」

「でも、あまり派手にやるとバレるだろ。あくまでも自然に失くしたように見せかけないとまずい」


 声をひそめてそんな会話をしている彼らに駒込くんはそっと声をかける。


「ええと。……何をしているんですか」


 湯島たちは驚いた顔で振り返るが、駒込くんとわかると安堵と侮蔑が混じったような顔になった。彼らはなぜか大きな植木鉢の中にボールをしまおうとしているようだ。


「何だよ、駒込か。お前ひとりか?」

「はい。……あの湯島先輩。その手に持っているボールは? 何でそんなところに保管しているんですか」

「お前も知っているだろ? 最近、千駄木の奴がSNSで話題になって調子に乗っているってよ。それでだな。あいつのサインボールとかうちのユニフォームを金を出してでも欲しがる奴が出てきているんだ」


 根津も下卑た笑顔でへらへらと彼に答える。


「千駄木の投球フォームチェック用の写真も部のデジカメに保存されているからな。コピーデータをブロマイド風に写真出力して俺たちがサインをして送れば喜んでもらえるってわけだ」

「えっ? そんなことしてバレたりなんかしたら。どんな処分を受けるかわかりませんよ? 野球部だってどうなるか」


 常識的な見解で不安を述べる駒込くんを湯島は「バーカ、バレるかよ」と一蹴する。


「SNSのアカウントでダイレクトメッセージをやり取りして売るんだぜ? 他の奴にはわからないし、仮に取引しているアカウントが判ってもそれがどこの誰かなんて特定できるわけねえだろ」


 だが、駒込くんには危ない橋を渡っているとしか思えない。もし買った誰かがSNSなどで自慢したらどうなるのか。そこから部の備品が売られているとわかったら、誰が持ち出しているのか厳しく調べられるに違いない。少なくとも最初に疑われるのは野球部員のはずだ。


 なおも反論しようとした彼に対し、湯島と根津は威嚇するように迫る。


「そもそも、千駄木のせいで校内の女子が部活中に押しかけて迷惑してんだ。俺たちがこういう形で恩恵を受けたって良いだろ?」

「大体、お前に俺たちを責める資格があるのか?」

「何のことです?」

「お前だって、千駄木のおこぼれで部活を楽しんでいるじゃねえか。あいつとつるんでいるから部内の立場を保てているんだろ?」


 違う、そんなことはない。


 とっさにそう言い返そうとしたが、その言葉はどうしても彼の喉でつかえて声にならなかった。


 野球部では実力があれば一年生でもレギュラーになれる。逆に言うと二年生や三年生でもレギュラーになれず、裏方の二軍に回っている者もいる。そういう人間は見くびられ、周りからもおざなりな扱いを受けることが多いのだ。


 だが自分はなぜか、二軍に居ながらもそれほど周りからあしらわれることもなく、さりとてレギュラーのような重圧も負わずに部員としてそれなりに楽しく活動していた。それがなぜなのか、自分は敢えて深く考えてこなかった。


 いや本当はわかっていたのに、目をそらしていたのではないか。


 実は一年生もマネージャーも「エースである千駄木くんと親しくしているから」自分に一目置いていた。自分は千駄木くんに追いつけないばかりか、彼の友人という立場を無意識に利用していたのではないか。


 根津の言葉はそんな駒込くんの心の痛い部分を鋭く突きさした。そして、彼はその瞬間、つい湯島たちの勢いに呑まれて黙ってうつむいてしまったのだ。


 その態度を「肯定と黙認」というニュアンスだと考えた二人は「それじゃあ、余計なことを言うなよ」「下級生のお前が下手な真似をしたら部内でどんな扱いを受けるか、わかるよな?」と脅迫めいた発言を残して去っていった。


 だが、その後で家に帰った駒込くんに懊悩と不安が押し寄せてくる。


 このまま放置して良いのだろうか。もしも備品を私物化して外部に売ったなんてことが知られたら、野球部全体が活動停止になるかもしれない。


 しかし今さらどうやって止めればいいのだろう。


 ここで顧問の先生や学校側に伝えようものなら、明らかに「自分が密告した」と気づかれてしまう。何とか他の誰かにそれとなく気づかせる方法はないだろうか。


 ふと、そんなときに駒込くんの脳裏をよぎったのはSNSに掲載している写真だった。千駄木くんと誤解される前に掲載していた写真は大した閲覧数でもなかったが、今では数千人以上に観られている。


 それどころか、たまたま学校内で撮影した写真の場所に女子生徒が「同じ写真を撮りたい」と集まっていたことがあった。


 これだ、と考えた彼はそれまでSNS上で「千駄木くんのアカウント」に対してメッセージを送られてもあまり反応しなかったが、以降は積極的に返事をするようになる。


 そして今までとは違い、意図的に千駄木くんの行動と合致する写真と日常の報告を発信することで、いかにも千駄木くんのアカウントであるかのようにふるまった。


 そのうえで彼は湯島たちが備品を隠していた場所で背景にさりげなく植木鉢が映るように写真を撮影してSNSに掲載した。これにより彼の目論見通り、不特定多数の人間が作業教室棟の雑木林に集まったのだ。


 その後も湯島たちが他の場所に隠すたびに、彼らをさりげなく監視していた駒込くんは写真をSNSに投稿して周りの人間に隠れたメッセージを送り続けたのだった。




「ふうん。それで千駄木くんのふりをして、注目を集めていたわけか」


 ここまでの事情を聞いた清瀬が眉をひそめた。


 語り終えた駒込くんは「ごめん、本当に」と再度、千駄木くんに頭を下げる。


「俺にもう少し勇気があれば、行動力があればこんなことにならなかったんだ」

「いや、だからさ。さっきも言っただろう。別に怒っていないって」


 千駄木くんは青ざめた顔で頭を下げる彼をなだめた。僕も見かねて口を挟む。


「千駄木くんに頼まれて君のことを調べた僕が言うのもなんだけど。そういうことだったのなら立場的に仕方がなかったんじゃないか?」

「月ノ下さんの言うとおりだよ、清司。……相手が上級生の先輩部員、しかも二人だ。その場でとっさに反論して止めさせるとか脅迫された状態で学校に報告するとか、そんなことができる人間の方が少ないって。むしろ、清司は自分なりに部活を守ろうとできることをしたんだろ?」


 だが千駄木くんの擁護に、駒込くんはうつむいて「違うんだ」と首を振った。


「確かに最初は、注目を集めて例の植木鉢が写った写真を掲載するために。不祥事を防ぐためにって思ってやっていたんだ。でも皆が俺のアカウントを千ちゃんだと思い込んで、格好いい、ファンになったってメッセージを貰うたびに、まるで自分が褒められているみたいで気持ちよくなっていた。……俺はきっと月ノ下さんが指摘しなかったら、誰かがあの盗まれた備品に気が付いた後でも、千ちゃんの真似をし続けていた」


 駒込くんの本来の目的は、SNSに掲載した写真と撮影場所に注目を集めることで、備品の隠し場所を伝えることだった。千駄木くんのふりをして人気を集めるのはあくまで表面上の目的であり、手段のはずである。だがいつの間にか目的と手段が逆転していたということなのだろうか。


「でも、そもそも注目されるきっかけになった、犬を助けた事は清司がしたことなんだろう? 写真だって俺にはあんな綺麗なものは撮れないよ。僕にできなくて清司にできることだってあるんだ。そのお陰で部活停止の危機を防げた。もうそれで良いじゃないか」

「だけどこのままじゃ、俺の気が済まないよ。……清瀬さんでしたか。俺のことを記事にしてください、野球部のエースのふりをしてSNSで活動していたのは僕だと」


 駒込くんは唐突にそう申し出るが、新聞部の少女は戸惑った表情で首を横に振る。


「いやいや。それは確かにスクープだけれども。犯罪者でもないのにSNSアカウントの個人情報を公開したらコンプライアンス的にまずい」


 ここで断る理由に「部を守るためにやったんだから」「君にも事情はあったんだから」とか情緒的なことを言わないのがいかにも清瀬らしい。


 なおも頭を下げようとする駒込くんを見かねたのか、虹村が彼に歩み寄る。


「要は駒込くんとしては申し訳なく思っていて、そのことについて千駄木くんにけじめをつけたいと思っていたってことだよね。じゃあ例のアカウントで『自分は噂になっている野球部のエースではありません』って発表したらどうかな。君のしたことで誰かが傷ついたわけじゃないんだから。落としどころとしてはこんなもんじゃないかな」


 星原が「私もそれでいいと思うわ。千駄木くんはどうなの?」と振り返る。


「はい。だって僕からしたらやってもいない善行を話のネタにして楽しんだあげく、急にわけしり顔で押しかけてくる人たちより、ずっと変わらずに接してくれる清司の方が大事ですから」


 駒込くんがその言葉に黙って頷いたところで、僕が「それじゃあ、備品を片付けて帰ろうか」と皆に呼びかけて、その場はお開きになったのだった。

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