降嫁 -数宮様御下向記-

嵐山之鬼子(KCA)

【起ノ章】

 宮古みやこの野菜売りの子として生まれた少年・フウタは、数えで十二の歳に両親を流行り病で亡くすが、幸運なことに両親が御用商人として出入りしていた久家くげの屋敷に下働きとして雇ってもらうことができた。


 下々の生まれではあるが、利発で可愛らしい顔立ちのフウタは、同じ召使い仲間はもちろん、ふたりの娘が既に嫁ぎ、手元に子供のいない屋敷の主らにも可愛がられ、暇な時には、文字の読み書きや手習いなども教えてもらうほどの厚遇を受けることになる。


 両親を亡くした心の傷は未だ完全には癒えてはいないが、フウタも自分が同様の境遇の子らに比べて信じられない程恵まれていることは理解していたし、主にその御恩を返すべく、懸命に働き学び、それなりに満ち足りた毎日を送っていた。


 そのまま何事もなく成長した暁には、フウタはこの家の馬飼童うまやばん、あるいは主の引きたてで雑色めしつかいにまでなれたかもしれない。そうなれば庶人としては、かなりの出世と言えただろう。

 しかし、時は後の世に言う幕末の混乱期であり、千年の歴史を持つキョウの宮古も歴史の流れから無縁ではいられなかった。


 さて、久家──貴族としては、中の下くらいの位階を持つ橋元実明だが、彼が宮中でそれなりに重きを置かれている理由は、彼の妻が時の御帝ミカドの三番目の娘である数宮 楓子(かぞえのみや ふうこ)殿下の乳母であったことが主な要因である。


 数宮は、一昨年の裳着を経て成人した今も乳母である藤乃を頼りにし、何かあると彼女及びその夫である実明へと相談するのが常だった。

 しかし、その日、数宮から届いた相談事の手紙には、実直な藤乃も老獪な実明も、すぐには対処方法を見出せなかった。


 「将軍家に降嫁──楓子様がですか?」

 「ああ、すでに官伯かんぱく様にまで話が通っておる以上、今更どうにもならぬ」

 「そんな! ただでさえ、函根の関の向こうは鬼の棲む土地と言われておりますのに、最近は栄都えどの街は何かと物騒だと聞いております。そのような野蛮なところへ楓子様が嫁がれるなんて……」


 幕府の宮古所司代の役人と折衝・供応する役目を任されている関係で、実明・藤乃夫妻は久家にしては武家への理解はあるほうだが、いくら制異せいい大将軍相手とはいえ、やんごとなき方の実の娘が嫁ぐというのは、やはり抵抗感がある。


 それを抜きにしても、乳母夫婦として幼い頃から面倒を見てきた数宮が、この話を心底嫌がっているとあっては、好意的になれるはずもなかった。

 さらに言えば、久家のあいだでは、潜在的に数宮に同情する向きが大半でもあった。


 「貴方、なんとか御帝と幕府の両方の面子を保ちつつ、楓子様が下向せずに済む方法はないのでしょうか?」

 「そのような妙案、簡単にあれば苦労はせぬわ」


 ふたりは額を寄せ合って夜遅くまで相談した結果──ついにひとつの抜け道、それもイカサマと言ってもよい手段に思い至る。


 「やむをえぬ。我が家に伝わるあの秘宝を使おう」

 「!! 貴方、まさか……」

 「ああ、「夢交わしの枕」だ」


 「夢交わしの枕」とは、橋元家の蔵の奥深くにしまわれた紅白一対の箱枕のことだ。百十数年前、遣籐使として隣国“トウ”へと赴いた五代前の橋元家の当主がかの地で手に入れた舶来の秘宝で、伝承によれば真仙の類いが作ったのだと言う。


 この枕を使って同時に眠りについたふたりは、目が覚めると名前や立場が入れ替わる──より正確には「周囲には甲が乙に、乙が甲に見える」ようになるらしいのだ。


 「相方はどうします? あまり宮様と背格好や歳回りが違う相手だと、さすがに不審に思われるでしょう」


 そう、あくまで「甲を見た人が、甲のことを乙だと思い込む」だけで、背の高さや年齢などの見た目自体は、そのまま認識される。衣裳などの関係もあるので、最低限体格などは近しいものが望ましい。


 「──我が家のフウタを使おう。宮様は十五、あやつは十三だが、背格好はほどんど変わらぬ。フウタも我が家に恩がある故、厳命すれば従うであろう」


 非情な決断を下す実明。

 こうして、本人の預かり知らぬところで、少年の未来は何人たりとも予想だにしなかったであろう方向へと進むことになるのだった。

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