高嶺の花が入り浸る

ゆー

見守る瞳

第1話 うちの高嶺の花

真鶴凪沙は我が学園が誇る麗しのマドンナである。

…いや、マドンナというと流石に語弊があるか。別にそんなに漫画的な存在ではなく、あくまでもその美貌は話題に上がりやすいというだけで。


長く伸ばされた流れる様な黒髪。容姿端麗。眉目秀麗、頭脳明晰、品行方正清純可憐。清廉。妖艶。乙女。強い。色々並べられすぎて最早キメラと化しつつあるが、つまりは高嶺の花である。


対して自分、藤堂蓮といえば、容姿平凡、眉目平凡。成績平凡。地味。眼鏡。並べるまでもない、自他共に認める素晴らしき凡人である。


高嶺の花と雑草。そんな二人の間に繋がりなど有ろうはずが無い。












「真鶴先輩」

「んー?」


…だというのに、何でその話題の人物が自分のベッドでくつろいでいるんですかね。

一応、一人暮らしの男の家で悠々と人のベッドを丸ごと占領する高嶺の花を背に、自分は死んだ目で小説を読んでいた。

これには海よりも深く、語るも涙な事情がある、と言ったらまぁ微妙なところだけど今は取り敢えず一旦割愛するとして。


「真鶴先輩、起きてます?」

「……ん〜…」


手に持った小説から目を離さないまま、もう一度声をかけてみる。変わらず返事は無い。無いけれども背中から感じる僅かな振動が、彼女が一応覚醒していることを伝えている。


「…藤堂くん」

「はい」


呼ばれて少しだけ目を向ければ視界の端で緩やかに手が上げられる。

うつ伏せに寝ているからか、少々くぐもった声が耳に届いて。


「凪姉」

「………」


何とも簡潔な一言。

…これはもしかしてそう呼べということだろうか。

対して自分は無言。ペラリと、自分が持っていた小説をめくる音だけが室内に無機質に響き渡る。

緩やかに上がったままの細い手が握りしめられると、ベッドにドスンと無造作に叩きつけられた。


「…可愛くないわ」

「可愛くないので」


拗ねたような、恨めしいような可愛らしい声が届くのもいつものことだったりする。

そのまま叩きつけられた拳が開き、こちらにゆっくりと伸ばされる。そしてきゅっと自分の袖を握りしめると、漸く動いた顔が自分の方を振り向き、ニコリとぞっとするほど綺麗な笑顔を向ける。


「なら特別にいいわよ。ナギナギでも」

「ハードル上がった…」


たとえ仲良しでも中々呼ぶ人いないと思うんですが。

無論、ナギナギ自身大して期待してもいなかったのだろう。伏せていた身体をおもむろにひっくり返すと、彼女は天井を静かに見つめ始める。


「…疲れたわ。とても」

「………」


虚ろな顔に、虚ろな目。本当に疲れているのだろうな。


「今月に入って何人目かしらね?告白」

「…まぁ、両手じゃ足りないでしょうね」


指折り数えてみれば、早々に足りなくなったのでアホらしくなってすぐやめた。

自分の立場に置き換えて考えてみよう。話したこともない、何処の誰ともしれない馬の骨達が、毎日毎日ヘラヘラしながら身体目当てに擦り寄ってくる。はい地獄ですね、吐きそう。いや、無論全員がそうではないだろうけど。

うん。これだけおモテになっておられるのだから、やはり麗しのマドンナ様というのはあながち間違いでもないのだろう。


「いっそのこと、お試しで付き合ってみるのも悪くないのでは?」

「…本気で言ってる?」


何故だろう。声のトーンが若干低くなった、ような。


「付き合ってみて初めて分かることもあるのではないかと」

「………そ」


そうすればこんな奇妙な状態も改善されると思うし。

そんな淡い期待を込めて発した言葉は、しかしまさかの事態へと発展することとなる。この時の後悔というものを、自分は生涯忘れることはないだろう。いや、大げさか。


「なら、よろしくね」

「……………は?」


何て?思わず彼女の方を振り向けば、それはそれは楽しそうな笑顔を浮かべていらっしゃって。

そこらの男子であれば秒で虜になるのだろうが、こちらは生憎とそうはいかない。

ここで引いたら今後の学園生活もれなくバッドエンド待ったなしだ。主に妬みと僻みで。


「いやいや。それはおかしいですって」

「分からないじゃない。付き合ってみなければ」

「…………」


何てこったい。自分の台詞がそのままブーメランとなって返ってきた。


「アイシテルワ、ダーリン。チュッチュッ」

「自分もっと可愛らしい子がいいです」

「チッ」

「キスに見せかけた舌打ちやめてください」


不貞腐れた様に壁に背を向ける真鶴先輩。制服姿のまま何度も身体を翻すものだから乱れたスカートが大変アブナイことになっていらっしゃるのだが、ここで安易に指摘

などしてはいけない。これすら計算してやっている可能性もあるのだから。…いや、質悪いな。


「…可愛くないわ」


また言われた。そもそも可愛さを売り出していないので別にどうでもいいのだが、自分自身、中性的な顔つきは気にしていることもない訳ではないのであまり突かれるのも気分のいいものではない。ここは一つガツンと


「昔はあんなに凪姉凪姉って可愛かったのに」

「……………」

「まるで他人を気取っちゃって。言葉遣いまで」


…さて、件の高嶺の花が何故こうも遠慮なく寛いでいらっしゃるのか、その理由が垣間見えたところで、ここらで一旦CMとかあれば喜んで入りたいところだけれど、生憎とスポンサーなどいるわけもなく。


「しかも何を遠慮したのか知らないけど、私が高校生になる頃には完全に距離を置くし」

「……それは」

「…寂しかったわ。凄く」


顔は壁に向けているから分からないけれど、その声色は一瞬で分かるほどに消え入りそうな程で。…そう。前述した通り、ここまで悠々と寛がせているのにもそれなりに理由はある。それはただの自分の負い目ということに他ならないのだけど。




…そう、運命というものは数奇なものである。

前世で果たしてどの様な徳を積んだのかは知らないが、自分は彼女の幼馴染としてこの世に生を受けることになる。


一つ歳下の弟の様な存在。一人っ子だった真鶴凪沙は大層その子を気に入り、幼少時代はいつもその子と共に過ごしていたのだという。

気弱でおどおどとした内気な少年は、何でも出来るお姉ちゃんにいつも手を引っ張られていた。彼にとって、まさにお姉ちゃんは全知全能と言っても過言ではない存在だっただろう。


『…凪姉は凄いね』

『ありがとう、蓮。お姉ちゃんもっともっと頑張るからね』


そんな少年の子供らしい憧れに応える様に、真鶴凪沙はめきめきと頭角を表す様になる。テストは常に満点。周囲の誰にも別け隔てなく接し、小学生の頃から年齢にそぐわない問題集を暇つぶしに解くような、そんな空恐ろしい頭角を。


それは弟に胸を張れる立派な姉であろうという、子供特有の可愛らしい姉心みたいなものもあったのだろう。小学生を卒業して、中学生となって、高校に入って。

いつだって彼女は真っ直ぐと、ただひたすら前へと歩いていた。


前へ。前へ。


『どう?蓮。すごいでしょう?お姉ちゃんまた──』


後ろを振り向いた時、とうにその手に弟は付いてきていなかったというのに。




真鶴凪沙は高嶺の花である。少なくとも、雑草たる自分にとっては。


『真鶴さんはあんなに凄いのにそれに比べて…』

『あの子はどうしてあんなに気にかけられているのかな』

『何か弱みでも握られているんじゃ…』


どれだけ頑張ったところで、彼女の光が強ければ強くなる程へばりついた影は徐々に、徐々に濃くなっていく。

膿の様に曝されたそれは、真鶴凪沙の輝かしい功績に到底見合ったものではない。


だから少年はいつしか歩みを止めた。前を歩き続ける姉の手をするりと抜け出して、横道へと逸れていった。迷子となった自分を探しに来てくれるのかと期待でもしていたのだろうか。独りになった少年は幾度も投げられる石から身を隠す様に隅で縮こまる様になった。


いや。違う。


単純に逃げたのだ。

周囲の期待に笑顔で平然と応え続ける彼女にいつしか恐怖を感じる様になった少年は、自分は彼女の隣に相応しくないからなどと都合のいい言い訳を重ね続け、現状を打開する気もなく、背を向けて逃げ出した。


それが彼女をどれだけ傷つけるのかを深く考えもせずに。


そして少年は高校生になった。


距離を置いたくせに完全に姿を眩ませる決心もできず、何目線なのかも知らないが中途半端に彼女を気にかけてその周囲をふらふらして、終いには彼女を追いかけるようにして同じ高校へと入学した。












声をかけてもそっけない。そのくせ、何故か後悔したかの様に去っていく。さて、そんなどっちつかずのクソガキが視界の端でいつまでもちょろちょろしていたら、果たして皆さんはどう思うでしょうか。

はい。真鶴凪沙さんの場合は至極単純でした。




キレました。




『いい加減にしなさい、蓮』


『可愛くないわ』


『私の事が嫌いならそうと言いなさい。はっきりと』


『君がそんな中途半端だから諦めきれないの。私も』


宛名の無い手紙で人気の無い屋上へと呼び出された矢先、何の遠慮も無しに振るわれた拳に唖然とする自分を他所に、彼女の口は堤を切ったが如く止まることを知らず─


『君がまだそれを貫くというのなら、もういいわ』


ああ、今度こそ完全に見捨てられたな。そう思った。あれからどれだけ努力しても、結局距離は埋められなかったのだと、彼女はもう手の届かない場所まで行ってしまったのだ。


けれど次の瞬間訪れたのは、予想に反した柔らかな温もりだった。背中に回された手は先程の拳が振るわれたとは思えないくらい、どこまでも優しくて。耳元で囁かれる声は昔と何も変わらない、憧れのお姉ちゃんのままで。


『だったら、もう二度と逃さないから』


『傍にいて』


『また新しく、始めましょう』











…真鶴凪沙は我が学園が誇る麗しのマドンナである。

容姿端麗。眉目秀麗、頭脳明晰、品行方正清純可憐。清廉。妖艶。乙女。強い。色々並べられすぎて最早キメラと化しつつあるが、つまりは高嶺の花である。


だがそれよりも、何よりも。


真鶴凪沙は自分の大切な幼馴染で、寂しがり屋の、ただの普通の女の子である。…いや、ちょっぴり歪んでしまった様な気がしなくもないけど。


そして運命とは数奇なもので。


これまでの人生で徳を積んだ覚えなどないが、再び自分は彼女の隣で歩むこととなる。ただし己の意志とは一切関係なく。


これは、ただの雑草のはずの自分が高嶺の花たる彼女と過ごす、他愛ない、そして極たまに刺激的な日常を切り抜いた話である。…多分。

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