第30話 ある日のレリュード侯爵邸1

「チェルシー、今日はルマ様と一緒じゃないの?」


同僚の侍女の呼びかけに、チェルシーは窓を拭く手を止めた。そして、二つに結ったココアブラウンの髪を揺らして振り向いた。


「今日はルマ様はお出かけだそうです。なんでも、ご家族の誕生日をお祝いするとかで」

「あら、それは残念だわ……今日はあの可愛い姿が見られないのね。毎日の癒しだったのに」

「チェルシーが本当に羨ましいわ。毎日ルマ様のそばに居られるなんて。使用人みんな言ってるわよ」


チェルシーは手の甲で額の汗を拭いながら、屈託のない笑顔を見せた。


「えへへ。私、運だけはいいんですよね!」


彼女の名前はチェルシー。レリュード侯爵邸の侍女だ。実質的なルマの専属侍女を務めている。


「あなた、運がいいってよく言ってるわよね。最近は何かいいことあった?」

「そうですね〜。この間、りんごを買いに行く途中に迷子の女の子を親御さんの元まで案内したんです。そしたらお礼に有名店のお菓子をいただいたんですが、何と中から指輪が出てきたんです。どうやらそれがパティスリーのオーナーのものだったらしく、お礼にオーナーの所有するりんご畑を一ついただきました! これでりんごがいつでも食べられますね~!」

「……すごい話ね」


同僚は羨ましがるというより少し引いている。

他の人が言ったなら「冗談やめてよ」と笑い飛ばしただろうが、チェルシーの豪運エピソードを近くで見てきた同僚には、それが作り話ではないことがわかってしまった。


「じゃあチェルシーの人生で一番の幸運って何なの?」

「このお屋敷で働けていることですね!」


チェルシーは笑顔で即答する。彼女の言動にはまるで邪気がない。セオの顔面の輝きとはまた違った意味で眩しい子だ。二人はそっと手でひさしを作った。


「こういう性格を買われてルマ様の侍女になれたのかもね」

「私達に足りないのはきっと純粋さだったのね……」


そこに別な侍女が駆け寄ってきてチェルシーの肩を叩いた。


「チェルシー。奥様が呼んでいたわ」

「はい。今行きまーす!」


ササッと掃除道具を片付けるとチェルシーは駆け出す。

それを見送った侍女達は「チェルシーは今日も元気ねえ……」としみじみと呟いていた。


***


「奥様。お呼びでしょうか」


部屋に入ると、侯爵夫人はにこやかにチェルシーを迎え入れた。


「来たわねチェルシー。さっき、ルマ嬢に贈る新しいドレスのデザイン案がいくつか届いたの。だけどどうもしっくりこなくて。貴女の意見も聞かせて貰えるかしら」


侯爵夫人は数枚の紙をチェルシーに手渡す。チェルシーはそれらにさっと目を通した。


「そうですね……。どれも華やかで素敵ですが、少し装飾が多すぎるのかもしれません。この部分の装飾をなくした方が、繊細な刺繍が映えそうです。ルマ様の髪色とも合いますし……」

「言われてみればそうね。ふふ、ロシュと違って参考になるわ」

「ただ、クローゼットがいっぱいなのでこれ以上衣装が入るかどうか……」

「必要ならクローゼットを増やすわ」

「では、後ほどルマ様の衣装を整理して、容量を確認しておきますね」

「ええ。よろしくね」


(奥様はずいぶんルマ様のことを気に入ってらっしゃるんですね~)


侯爵夫人は貴婦人と呼ぶに相応しい品格の持ち主だが、贈り物を準備するときには子供のようにイキイキしている。

少し前まで、息子のエイベルのやつれた姿に酷く心を痛めていた様子だったが、そのときと比べると侯爵夫人もかなり明るくなった。


(このやりすぎなくらいの贈り物も、奥様なりの感謝の証なんでしょうね)


チェルシーは侯爵夫人の部屋を後にして、今度はルマの部屋へと向かった。小さな少女がいないだけで、部屋はいつもよりも広く感じた。

チェルシーはドレスでいっぱいのクローゼットを整理していく。ついでに棚の中も整理していると、何故か、奥からビリビリに破れたネグリジェを見つけた。


「んん? これは……?」


チェルシーは首を捻る。

もしかして、何かの弾みに破ってしまい、怒られるのが怖くて隠していたのだろうか。そう思うと子供らしくて微笑ましい。


「ルマ様が戻る前に繕っておきましょうか」


衣装の確認を終えたチェルシーは、破れたネグリジェを片手に廊下に出た。

その途中、すれ違ったエイベルに呼び止められた。


「ロシュを見なかった?」

「先ほど外に向かうのを見かけましたが……、呼んできましょうか?」

「ああ。頼める?」


はい、と元気よく返事をするとエイベルは頷く。そしてチェルシーの手元に目を留めた。


「それは?」

「ルマ様の部屋で見つけたものです。破れていたので直そうかと……」

「……」

「エイベル様?」

「……いや、なんでもない。じゃあ、頼んだよ」


そう言ってエイベルは踵を返す。


「? 何だったんでしょう」


ネグリジェを凝視したまま考え込んでいたようだった。何か問題でもあったのだろうか。


「……まあ、いっか!」


窓辺に立ち庭園を眺めると、二人の人物の姿が見えた。一人は濃紺の髪の男、そしてもう一人は珊瑚色の髪の青年だ。


「あっ、ロシュさん発見!」


ロシュは何やらセオと話し込んでいるようだ。

チェルシーは任務を遂行すべく、すぐに外へと向かった。

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