第28話 雨宿り

降り注ぐ雨が天井を打つ。

それに混じって少女の嗚咽が聞こえていた。


「うっ……うっ……」


街の外れ、無人の民家の軒先で、アルマは雨宿りをしていた。

気がつけばまた子供の姿に戻ってしまっていた。どうやらこの雷雨を起こしたせいで、ヨアンに分けてもらった魔力も使い切ってしまったようだ。


きっと、星の涙が魔力のコントロールに役立つというのはこういうことなのだろう。あれは使う魔力量も調節してくれていたらしい。


「うっ……。うう……」


嗚咽を抑えようとしても堪え切れず、涙がとめどなく溢れてくる。身体は冷えているのに頭の奥はずっと熱くて、ちぐはぐな気分だった。


(私、あの家の子じゃなかったんだ……)


おおらかな父。少し抜けていて優しい母。しっかりした弟。みんなアルマの大好きな家族だった。


……だけど、これまでに積み上げた日々も、思い出も、偽物だったとしたら?


アルマを構成する全てが崩れて、自分が自分ではなくなっていくようだ。言い表しようのない恐怖に襲われ、眦から絶えず涙が零れ続けた。


金髪の先からぽたぽたと雫が滴る。

雨で濡れたドレスは身体に張り付いている。

寒気を感じてぶるりと身体が震え、アルマはぎゅっと身体を抱き締めた。


暗い空からは雨が降り続けている。雨の止め方なんて知らない。だけどこの声が誰にも聞かれずに済むのなら、一生止まなくてもいいと思った。


「うう……っ」


そのときどこからか、雨音に混じってガラガラと車輪の音が聞こえてきた。

その音は次第にこちらへと近付いてくる。


アルマが顔を上げたとき、一台の馬車が目の前に止まり、中から見覚えのある男が降りてくるのが見えた。


「あれ、誰かと思ったらお嬢ちゃんか!? こんなところで何してるんだ。風邪引くぞ!」

「……おじさん?」


そこに現れたのは、以前、アルマがレリュード侯爵邸から家出をしたときに助けてくれた御者の男だった。


***


びしょ濡れのアルマは馬車に乗せられ、あれよあれという間に男の家へと運ばれていった。

一人になりたかったアルマは「大丈夫です」と何度も伝えたが、「このままにはしておけない」の一点張りで、結局アルマが折れることとなったのだった。


「着いたよ。ここだよ」


アルマは気後れしながらも男の後に続いて馬車から降りる。

男が民家の扉を開くと、中から元気な声が聞こえてきた。


「パパ、おかえりなさーい!」

「パパ、おそいよー」

「ただいま。いい子にしてたか?」


飛び出してきたのは二人の子供だった。

幼い姉弟は男に纒わり付いて肩車をせがんでいたが、アルマの姿に気付くと驚いたような顔になった。


「パパ。この子だぁれ?」

「すごくきれいだね。お姫様なの?」

「こら、ダニー! 人の顔をそんなにじろじろ見ちゃダメでしょう!」

「だって、きれいなんだもん。きれいな花や星を見るのはいいのに人を見るのはダメなの? なんで?」

「そういうのは屁理屈って言うのよ!」

「違うもん。ただ気になっただけだもん……」


二人は玄関先で言い合いを始めてしまった。

アルマが呆気に取られていると、部屋の奥から一人の女が現れた。 


「こら、騒がしくしないの。……あら、かわいらしい客さんね?」

「あの、私は……」

「まあ! ずぶ濡れじゃない。早く着替えなきゃ。こっちへいらっしゃい」


返事をするより前に女はアルマを家の中に連れていく。そしてあれよあれよと言う間に、アルマはシンプルなワンピースに着替えさせられていた。


「ごめんなさいね。娘の服だから少し小さいかもしれないけれど……」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」


穏やかで優しそうな人だ。彼女の人柄に惹かれながらも、今は愛想笑いすら上手くできなくて、自分が嫌になった。


アルマが女とともにリビングに入ると、男と子供たちが遊んでいるところだった。

男はアルマの格好を確認すると「おお、着替えたか」と声をかけた。


「名前を教えたことはなかったよな。俺はウィリス。彼女は妻のクララだ。そしてその子が娘の……」

「私はスーザン。八歳! こっちは弟のダニー!」

「……こんにちは、おねえさん」


ダニーはスーザンの後ろに隠れた。どうやら人見知りをしているようだ。ウィリスは「よく挨拶できたな」とダニーの頭を撫でた。

やがて、クララはアルマに優しく微笑みかける。


「夫から聞いたわ。貴女が夫にお金を貸してくれたって。おかげで私の病気は良くなって、子供達もお腹を空かせることがなくなったわ。本当にありがとうね」

「えっ……?」


アルマはちらりとウィリスを見た。ウィリスは深く頷く。


「前に金貨をくれたろう? お嬢ちゃんのおかげで俺たち家族はこうして平和に暮らしていけるようになったんだ。これからは真面目に生きていくつもりだよ」

「人様を騙して金儲けをしてるなんて聞いたときは離婚しようかと思ったわ。いくら私達のためとは言ったって、信じられない」

「ああ、本当に反省してるよ。もう二度としない。だから離婚なんて物騒な言葉を言うのはやめてくれ……」

「それはこの先の貴方次第ね」

「もちろんわかってるさ……」


ウィリスは妻の機嫌を取るのに必死のようだ。きっと一悶着あったのだろう。この一幕だけで家庭内での力関係が窺えた。

やがてウィリスはアルマに視線を戻した。


「あの金は必ず返すから、それまで待ってくれるか? ……利子はなしにしてくれると助かるんだけど」

「何弱気なこと言ってるの。倍にして返すくらいの気概を見せなきゃ男らしくないわ!」

「そ、それもそうか……」


ウィリスはしょげた顔になる。

アルマはくすりと笑った。素敵な家族だ。


「それでお嬢ちゃん、どうしてあんなところに一人でいたんだ? まさかまた不審者に……!?」

「違います。実は、弟と喧嘩しちゃって……」


そう答えると、夫妻は「ああ〜」という顔をした。


「そうかぁ。うちの子達もよく喧嘩するからなぁ。わかるよ」

「さっきも見たでしょう? ささいなことですぐ言い合いになるのよね」

「深く考えないのが一番だぞ。もう二度と口聞かない! なんて言ってても次の日には仲良くおしゃべりしてたりするし。……そんなもんだよ。家族なんだから」

「家族……」


本当の家族ならばそうなのかもしれない。だけど、自分は……?

今のアルマには二人の言葉を素直に受け取ることができず、アルマは感情の伴わない声で「……そうですね」とだけ答えた。


いつの間にかスーザンとダニーは追いかけっこを始め、部屋の中をドタドタと元気に駆け回っていた。それに気付いたウィリスが「あんまり暴れるなよ」と注意している。

アルマがまだ浮かない顔をしているに気付き、クララはそっとアルマの肩に触れた。


「そうだ。夕飯、お嬢さんも食べていく? お口に合うかわからないけど……」

「うちの妻の料理は絶品だよ。食べないと損だぞ!」

「私もママの料理大好き!」

「ぼ、ぼくも」


『幸せな家族』そのもののような光景に冷えた心が少しだけ温まる。

アルマは小さく笑って「じゃあ、いただきます」と答えた。

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