第11話 握り締めた手

「エイベル様、こっち! 早くー!」

「待ってよ……」


ドレスを翻して庭園を駆ける少女に追いつけず、エイベルは立ち止まる。

エイベルが着いてきていないことに気付くとアルマも足を止めた。


「きついですか?」

「足がちょっとね……。でも、ゆっくりなら大丈夫だと思うよ」

「じゃあ私の肩に掴まってください」

「それじゃ君の方が倒れるでしょ。それならこっちの方がいいかな」


そう言って、エイベルはアルマの手を取る。突然のことにアルマは真っ赤になった。


(私今、エイベルと手を繋いでる……!)


それだけでキャパオーバーなのに、エイベルの大きな手がアルマの手のひらをするりと撫でてきて、アルマは一瞬意識が飛んだ。


「怪我、治ったんだ。跡も残ってないみたいだね。よかった」

「……」

「ルマ?」

「…………」

「おーい。聞こえてる?」


(ただのお散歩なのに、私、死んじゃうかも……)


世話の甲斐あり、近頃のエイベルは少しずつ食事を摂るようになってきた。とはいえ、怪我のせいで落ちた体力はまだ戻っていない。

そこでロシュと相談の元、庭園を散歩させることにしたのだが――


「ルマ。歩くペースが早いよ」

「……」

「待ってってば。本当にこけそうなんだけど……」


アルマはエイベルの手を引いてずんずん進んでいった。

心臓の鼓動に比例して歩くペースもどんどん早くなってしまう。


「……あっ」


そのとき、見覚えのある花が目に入り、アルマはようやく足を止めた。繋いだ手を解き、アルマはその花を食い入るように見た。


「バタフライローズの花だわ!」


バタフライローズは薔薇の一種だ。一見普通の薔薇と変わらないのだが、近くで見ると花弁の表面がキラキラと輝いている。

この名前は、花弁に付いた光の粒を蝶の翅の鱗粉に見立てて付けられたものである。


「好きなの?」

「はい。大好きなんです」


そう言ってアルマはにこりと笑う。

エイベルはぼそりと呟いた。


「……花の好みまで同じなんだ」

「エイベル様?」

「ううん。なんでも」


アルマは首を傾げた。

それにしても、色とりどりの薔薇とエイベル。何とも絵になる光景だ。アルマは花を見るふりをしながらエイベルを鑑賞した。


「ところでエイベル様は好きな花はありますか?」

「そうだな……。俺もバタフライローズは好きだよ。特に紫が好きかな」

「へえ、紫。この花壇には見当たりませんね」

「実はバタフライローズの紫って咲かせるのが難しいんだよ。昔は優秀な庭師がいたからこの庭にも咲いてたんだけど、今は引退しちゃって。いい庭師を探してる最中なんだけど見つからないってお母様が嘆いてたな」

「そうなんですね」


アルマが残念そうな顔をしたのを見て、エイベルは遠くを指さした。


「紫はここにないけど黄色も好きだよ。ほら、向こうに一本だけ咲いてる」

「本当だ!」


アルマは立ち上がるとそちらへと向かった。

エイベルもその後を追おうとしたが、急な眩暈に襲われ、その場に蹲った。


「くっ……」

「エイベル様!」


アルマが大慌てでエイベルの元へと戻ってくる。エイベルは蹲ったまま答えた。


「ごめん。ちょっと貧血かも」

「誰かー! 誰か来てくださいー!」

「大丈夫だから……」


そのうちにアルマの声に気付いたロシュがすっ飛んできて、エイベルは肩を支えられてふらふらと部屋に戻っていった。

その背を見送りながらアルマは溜め息を吐いた


(まだ、元気になるには時間がかかりそうね……)


そろそろ屋敷に戻るか、と考えながらアルマも歩き出す。そのとき何かにぶつかり、ボキッ、と音がした。


「……えっ」


何故だろう。嫌な予感がする。

アルマは恐る恐る視線を落とした。

そこには、折れた黄色のバタフライローズの花が一つ。

それを目の当たりにした瞬間にサーッと血の気が引いていった。


(どどどどうしよう……!)


脳裏にエイベルの失望した顔が浮かぶ。


『ルマ。僕が好きって言った花を折るなんて見損なったよ。屋敷から出ていってくれ』


残酷にもそう告げて、イマジナリーエイベルはアルマを門の外にぽいと投げ捨てる。


(そんなの絶対にイヤ!!)


アルマはブンブンと首を振って、その幻覚を振り払った。


元通りにする方法はないだろうか。紐でテープでも何でもいい。何か補強できるものを探さなければ。


(とにかくやるしかないわ)


アルマは折れた花をポケットに突っ込むと、全力で走り出した。


庭園のはずれには三角屋根の小屋がひっそりと佇んでいる。中には誰もおらず、園芸用品が無造作に置かれていた。


(そういえば今は庭師がいないんだっけ……)


扉を閉めると、窓もない簡素な作りの小屋は光源を失い暗くなる。

適当に辺りを漁っていると、すぐに良さそうな紐が見つかった。


「よし。エイベルに見つかる前に元通りにしなきゃ!」


アルマはドアノブに手をかけた。しかし、扉はびくともしない。


「……アレッ?」


押しても引いても無駄だ。蹴ったりスコップを振りかぶっても変わらない。


「まさか……閉じ込められた?」


衝撃の事実に気付き、アルマは真っ青になったのだった。


***


小屋に閉じ込められてどれくらい経ったのだろう。暗い小屋の隅でアルマは体操座りしていた。

ぐう、とお腹が鳴る。ポケットを漁っても出てきたのは紙屑と折れた花一つ。


「おしまいだわ……」


アルマはハハ……と力なく笑った。

最初から素直に謝ればよかった。変なことをしようとするから罰が当たったのかもしれない。


それに、そもそも今のアルマの状況だって、無理を言って押しかけているだけだ。

亡き幼馴染の親戚。四捨五入したら他人だ。エイベルが気にかける道理はない。


(私、何か勘違いしてたのかも……)


エイベルも屋敷の人もアルマを受け入れてくれたから、必要とされているのだと思い込んでいたみたいだ。

でも実際はこうだ。暗い小屋に何時間も一人きり。姿を消しても誰も気にも留めない。


「はあ……惨め」


アルマはそっと目を閉じた。



「……マ、……ルマ……」


どこかで聞き覚えのある声がする。

誰だろう。

どうしてこんなに懸命に名前を呼ぶのだろう。


「――ルマ!!」

「へ?」


アルマはぱちりと瞼を開く。

目の前にエイベルの顔があって、アルマは動揺した。


(ウッ……顔がいい!)


起き抜けにこの美貌は心臓に悪い。思わずサッと目を逸らしたアルマを見て、エイベルは眉根を寄せた。


「ルマ。こんなところで何してたんだ」


(あ……そうだった。小屋に閉じ込められてたんだっけ)


ちらりと顔を上げると、扉の外には青空が広がっていた。


「えっ……朝!?」


ほんの一瞬目を閉じただけだと思っていたが、まさか、ここで一晩を過ごしてしまったのだろうか。


「ルマ」


エイベルの言葉にアルマはびくりと肩を揺らす。視線を戻せば、エイベルが怖い顔でこちらを見ていた。


「どうして怒ってるんですか」

「怒ってる?」

「違うんですか?」

「……。そんなつもりは……」


エイベルは髪を乱暴に掻き混ぜた。その顔からは困惑と苛立ちが見て取れた。まるで、自分の感情にたった今気付いたとでもいうように。

エイベルは深く溜め息を吐くと、やがて静かに口を開いた。


「怒ってはいないよ。ただ……。……心配したんだ。君まで消えたんじゃないかと思って」


赤い瞳は不安で揺れている。

その瞬間、暗い小屋でうだうだ考えたことはどこかに消えていった。

エイベルは何者でもない自分を心配してくれていた。その事実だけでもう十分だ。


アルマはエイベルにぎゅっと抱き着いた。


「お世話係なのに、心配かけてごめんなさい。……私は消えたりしませんから」


そして安心させるように、その頭を優しく撫でた。エイベルはされるがままになっていたが、やがてほっとしたように小さく笑った。


「ところでこんなところで何してたの。ここ、立て付けが悪くて使用禁止にしてたはずだけど」

「あ、えっと……」


アルマは視線を彷徨わせる。

エイベルは目敏く床に落ちた黄色いバタフライローズの花を見つけると、ひょいと拾い上げた。


「これ、折ったの?」

「あっ。いや、そのぉ……」

「ルマ」

「……ごめんなさい」


エイベルの圧に負け、結局アルマは白状した。全てを聞き終えた後、エイベルは呆れ顔になった。


「……はあ。人騒がせなんだから」

「すみません……」

「花一つで怒る訳ないだろ。そんなに心の狭い人間だと思われてたなんてショックだなぁ〜」


わざとらしく悲しげな顔をすると、アルマは慌てて「そんなつもりは」と弁明を始めた。

その慌てっぷりが気に入ったのか、エイベルはプッと笑う。そして、手のひらを差し出した。


「ほら、帰るよ」

「! ……はいっ」


アルマは笑顔でその手を取った。

両脇にバタフライローズ花が咲く道を二人はゆっくり進む。行きはエイベルの手を引いて歩いた道を、今度はエイベルに手を引かれて歩いていく。


朝の日差しと吹き抜ける風の心地良さに、アルマは思わず目を細めた。

繋いだ手が決して離れぬよう、アルマは小さな指先で懸命に大きな手を握り締めていた。

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