フェイクニュースにもの申す!

岸端 戌梨

かかる火の粉にもの申す!

第1話

 天立里巳あまだてさとみは酷く頭を悩ませていた。十六歳とは思えないほど大人びた顔立ちを歪めて、机の上にある点線だけの大学ノートにシャープペンシルを突き立てている。もっとも前髪が鼻根まで伸びているため、瞳から上は殆ど見えない。

 高校生である彼女が教室の机で考え事をするのはごく自然なことだと思えるが、里巳の悩みの種は勉学とは関係のないところにある。書き込みの無いノートと睨めっこしながら唸る里巳に対し、椅子にも座らず教室の中をふらふらと動き回る学ランを着た生徒の姿があった。


「どう? 良いアイデアは出たかな?」


 他は後ろへ片付けられており、二つしか出していない机を挟んだ向こう岸で、男子生徒が尋ねる。太いスクエアのフレームが存在感を放つ塩っぽい顔、一重で黒髪の短髪。外見を語ろうとすればその程度しか特徴のない男子生徒である。そのために人畜無害な雰囲気を放つが、実態は利害でしか人間関係を構築しない薄情者であると里巳は知っていた。

 急かすような、それでいてあからさまに期待を伝えてくる眼差しが里巳の思考を余計に鈍らせる。


「五分ごとに聞かないで。気が散る」


「友達の居ないきみに、数学の教科書とあまつさえ授業の内容までメモしたノートを貸して上げたのはどこの誰だっけ?」


「はいはい。錦野にしきのサマでございます」


「うむ。立場を弁えているようで何より」


 錦野幟にしきののぼりは里巳の同級生だ。現在、彼らは高校一年生の二学期を過ごしている。秋も深まり、冬の足音がする十一月。錦野の言う通り、里巳には彼を含めて「友達」と呼べるような人は居ない。

 錦野は当然、持ち上げる態度だけでは満足至らなかった。閉めきったカーテンの先をちら、とずらし覗き、広がる駐車場を睨みながら言う。


「だったら、放課後までにはボクの提示した交換条件を用意しておいてくれても良かったと思うんだけど?」


「今日は体育の授業があったのよ。疲れて寝てたんだから仕方ないでしょ」


「なら尚のことだね。きみのクラスの体育は数学の前にあったはずだ。つまり天立じょう。きみは、ボクのノートがあることにかまけて授業をサボタージュしたってことになる」


 う、と里巳は喉を詰まらせる。日頃ならこの男との舌戦に退くような醜態は晒さない。しかし今回ばかりは文字通りの「借り」があるせいで、反論に用いる言葉に毒を持たせることもできないでいるのだ。

 里巳に錦野の人差し指が突きつけられる。


「数学の教科書とノートの貸し出し。交換条件は『エックス新聞』の“ネタ一つ”。ちゃんと言質は取らせてもらっているからね」


 錦野が言う“ネタ”とは、彼が書いている学内新聞に掲載する記事のことだ。しかし彼の学内新聞――『エックス新聞』は、いわゆる情報の伝達を主とする新聞とは異なっている。里巳は鬱陶しい手を目の前から払った。


「たかだかエンタメのために、よく同級生に集れるよね」


「ただのエンタメじゃない。ボクの新聞のモットーは『人生潤すフェイク・エンターテインメント』なんだから」


 エックス新聞の記事の内容は『嘘』。ありもしない噂話である。内容は錦野が考え、執筆から下駄箱前の掲示板への貼り付けまで、全てを彼一人で行っている。里巳は言うなれば、ヘルパーとして時々ネタを出していた。

 里巳からすると、わざわざ不特定多数に対して何かを提供しようとする錦野にまったく共感できない。ましてや彼は正体すら明かさないので、直接褒められもしない行為に意味があるのかと思わざるを得ないのだ。


「マジでよくやるよ。新聞部でもない癖に」


「お褒めに預かり光栄です」


 呆れた溜め息を披露しても、物好きな新聞記者の姿勢は崩れない。見出しを考えたら後は錦野が好きに解釈しリアリティを持たせるので、里巳はとりあえず頭に浮かんだことを言ってみた。


「じゃあこういうのは? ……『校舎裏にてタバコの吸い殻発見! 外部から投げ込まれたか?』」


「ありそうなラインだけど、仮に本当に起きたら問題だから、却下かな」


 デタラメ新聞記者の評価に下品な舌打ちが響く。エンタメを求めるなら噂話になる程度の絶妙な「本当っぽさ」が必要だ。しかし仮に『嘘から出たまこと』を書いてしまうと、エックス新聞は途端に週刊誌と化してしまう。

 そうなった時に始まるのは、犯人探しと情報をリークした者に対する報復行為である。だから完全に面白おかしく終わる話でないと記事としての採用は厳しい。それが錦野の矜恃だったし、里巳としても悪質な冤罪は望まぬことだった。


「さすがの天立嬢も、体育の日は頭が回らないか」


 体力面のことを除いて、錦野は天立里巳を高く評価していた。それを知っている当人は本日何度目かの溜め息を吐く。


「あんたが私のことを過大評価するのは勝手だけど、アイデアがポンポン出てくる宝の山だと思うのはやめて」


「わかっているよ。でも約束だからね」


 里巳はむぅ、と小さな口を不服げに歪ませる。月末には期末テストが始まるので、塾にも通わない里巳としては早めに対策をしておきたく、無駄なことに時間を割くのは不合理だ。定期テストのことを思い出した里巳は、ふと新しい記事のアイデアが浮かんだ。


「じゃあこれは? 『進路指導室には過去テストの答案が眠る金庫がある。立ち寄った者にはヒントが与えられるかも?』」


「良いね。あの教室にはちょうど赤本があったはずだ。あながち間違いじゃないし、あそこで進路相談をしている乙部おとべ先生も、退屈な時間が多いって言ってた」


 錦野はスクエア眼鏡を押さえながら少し悩んだ後、指をパチンと鳴らしてから気障ったらしく言う。


「採用で」


「よっし」


 里巳は惜しげも無くガッツポーズを作ると、空のままのページを畳み、ノートをバサバサと仕舞い始めた。


「それじゃ、本日はこの辺でおいとまさせていただこうか。『開かずの間』の制限時間もそろそろだ」


 彼らが『開かずの間』と呼ぶこの教室には、他の教室とは明らかに異なる特徴があった。それは教室と廊下の間の扉とは別に、かつては非常口として使われていた、駐車場へと繋がる扉があることだ。

 厳重に閉められている鉄製扉には学校のマスターキーが必要だが、錦野はとある理由でこの部屋の合鍵を所持していた。

 彼が言った制限時間とは、放課後から最終下校時刻の三十分前までの時間を指す。彼らは無断かつ無許可でここに立ち入っており、誰かにバレたら二度と自由に出入りすることは叶わなくなるからだ。

 錦野がさっきのようにカーテンの端に指を入れて外の駐車場を覗く。部活の顧問をしている教師たちがこの時間に帰らないのはリサーチ済みだ。


「さ。出てしまおうか」


 扉を慎重に開けると、二人は下駄箱から持って来ておいた靴を履いて外に出る。

 彼らが通う私立鯉ヶ谷こいがや高等学校は、L字型の校舎であり、折れ目にある吹き抜け廊下で教室棟と特別教室棟に分かれていた。『開かずの間』は特別教室棟一階の最奥にあるので、教室棟の人間に見つかることはなく、さらに扉の位置は止めてある車からもちょうど死角になっていた。

 誰に見られることなく正門に回り込んだ二人は、別れの挨拶もせずに帰路を歩む。里巳は右、錦野は左へ。お互いの関係は何の変哲もないただの同級生であり、それ以上でもそれ以下でもない。



 里巳がエックス新聞のネタを提供した翌週の月曜日、下駄箱の前にある掲示板には人集りができていた。理由はエックス新聞の最新号が発行されたからである。

 学校という閉鎖的な空間を利用した謎のコンテンツ。娯楽の少ない学生にとって、エックス新聞はその内容も然ることながら、話題の種としても有益だった。

 里巳はある程度の内容を知っているので、興味のない生徒と同じようにスタスタと教室へ行こうとした。すると前から歩いて来た一人の男性教員が、ひらひらと手を振るのが見えた。里巳は軽いお辞儀で返す。


「おはよう。天立」


「おはようございます。滝田たきた先生」


 ヨレ気味のシャツの上に紺のスーツを着ており、くっきりとした二重と高い鷲鼻は西洋人っぽさを感じさせる。日本人離れしたビジュアルが生徒からはハンサムだと評判だが、滝田はれっきとした日本人で、かつ国語の教員であった。

 里巳の鼻には彼が付けているシトラスの香水の匂いが届いたが、すっきりという感覚は薄かった。食べ物で例えるなら、金柑のように、食べた後に僅かに強い苦味が残る感じだ。彼女は悟られないように口呼吸に切り替えた。


「すっかり盛況になったな、この新聞。初めこそ胡散臭い貼り紙だったけど、今じゃすっかり鯉ヶ谷高校の生徒たちの娯楽だ。凄いよ。錦野も天立も」


「私はあまり関与してないですよ。それと、あまり生徒の居るところでは裏の話をしない方が錦野くんのためじゃないですか?」


 滝田は「ごめんごめん」と繰り返した。彼は里巳の他に、エックス新聞発行者の正体を知る唯一の人間だ。そして彼が『開かずの間』の鍵の所持を黙認しているからこそ、錦野と里巳はあの教室を自由に使うことができている。


「どうしてこの新聞を始めたんだろうな」


「自称エンターテイナーですからね。奇抜な発想をする人の頭の中はわかりません」


「お前、褒めてるようで馬鹿にしてるだろ」


 滝田がけらけらと笑う。本来ならば注意くらいはしても良い状況を見逃している辺り、里巳はこの先生にも錦野と同じ臭いを感じていた。


「ま、ネタに困って本当に事件を起こすんじゃないぞ」


「しませんよ。エックス新聞はフェイクニュースだけを取り扱う新聞なんですから」


「そう言えば聞いたことなかったけど、何でエックスなんだ? 匿名新聞とかでも良かっただろ」


「それは私も気になって聞いたことがあるんですが……」

 里巳は呆れられることを承知で、聞いた話をそのまま伝える。


「『格好良いから』だそうです」


 その日の午後には既に、進路指導室はいつもより盛況だったという。


 変わり映えのない月曜日が流れていく。週初めということもあり、これから五日分は繰り返す授業の日々に多くの生徒たちはげんなりとしていた。「そんなサザエさん症候群に少しの潤いを!」と息巻いて、月曜日を刊行日にしているのが錦野だった。里巳には理解不能のエンターテインメント精神だ。さらに言えば、月曜日は体育がある火曜日と金曜日に比べれば幾らかマシだと思っていた。

 週初めの七限目には必ず学年集会がある。一クラス三十人が四クラス。計百二十人が鯉ヶ谷高校の一学年だ。その人数を纏めて体育館に収容し、男女が分かれた番号順に、生徒たちが体操座りで並ぶ。

 無駄な脂肪の多い中年の男性が前に立って、月末のテストまであと少しだの、最近は掃除が全体的に甘いだのと耳にタコができそうな内容をマイク越しに話している。

 退屈な学年主任の話を聞き流していた里巳は、とある一つの内容で思考を夕飯の献立から現実に引き戻された。


「えー、次に……これは残念なお知らせになってしまいます。実は特別教室棟の裏で、タバコの吸い殻が見つかりました」


 何人かの生徒たちがザワつく気配がした。里巳も一瞬だけ体を跳ねさせたが、理由は初耳の情報に驚いた彼らとは違う。

 『校舎の裏でタバコが見つかった』――つい先週、彼女がエックス新聞のためにテキトーにでっち上げた内容と被っていたからだ。里巳は採用されなくて良かったと心底安堵した。

 学年主任の教師は嫌悪感を滲ませるように話を続ける。


「見つかったのは駐車場ですが、先生方もご存知の通り校内は全面禁煙です。車内での喫煙も、もちろんいけません。生徒ではないと信じていますが、もしそうならば立派な犯罪です。今すぐ止めなさい」


 最後の警告が誰の心を騒がせたのかは、里巳には興味のないことだ。しかし、間違いなく物好きな記者が心躍らせているという確信だけは残っていた。

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