過ちの代償

遠野子

除霊依頼

「はじめまして。私はN県M市在住の高橋裕太と申します。私の住んでいるアパートで起こる奇妙な現象についてご相談させて下さい。」


twitterのダイレクト・メールに一通のメッセージが届いた。@rei_kamisakiのプロフィールを読んだのだろう。


「この四月から大学生になり、今のアパートに引っ越したのですが、毎晩私がベッドに横になると、私の顔を覗き込むようにしてベッドの横に立つ何者かの気配を感じるのです。怖くて目を開けた事がないのではっきりとは分かりませんが、女性のような気がします。また、部屋の中から子供の笑い声や走り回る足音が聞こえてくる事もあります。私の住むアパートは単身者専用なので、子供は住んで居ないはずです。入居した日から毎晩のように続くので、もし心霊現象であるならばぜひ除霊をお願いしたくてご相談させていただきました。」


よく聞くパターンの心霊話だ。心霊現象の大半は体験者の思い込みや精神疾患による妄想であったり、あるいは金縛りのように科学的に説明がつくものだったりするのだけれど、中には霊の存在を認めなければどうにも説明のつかない場合もある。そのようなケースを解決するのが現役女子高生かつ霊能者たる怜の「お仕事」だ。修行中の身ゆえ表立った活動はしていないが、こうしてSNSを通じて相談者の依頼を受けている。


「……一応、霊視してみるか。」


ゆっくり息を吐くと、怜は目を閉じて意識を額の先に集中させた。

朧げな像が焦点を結び始める。

細い路地の両脇に古びた二階建ての木造家屋──これは小料理店だろうか、それとも古い旅館だろうか?──が立ち並ぶ。その向こうには赤い鳥居と狐の石像が見える。どうやら稲荷神社のようだ。

続いて、質素なアパートの一室の様子が浮かび上がった。古着屋で見かけるような、どこかレトロな柄物のワンピースを着た女が、部屋の隅に俯いて立っている。その傍で五歳ほどの男の子が走り回っているのが見えた。

相談者の説明のとおりのようだ。

男の子からはそれほど邪悪な気配は感じられない。恐らく相談者の住まいの側を霊道が通っているために引き寄せられ、偶々道を外れてしまったのだろう。この子なら今すぐにでも祓うことができる。

問題は女の方だ。こうして離れた場所から霊視しただけでも強い恨みの念を抱いているのが感じ取れる。こちらは一筋縄にはいかないだろう。


「はじめまして。神崎怜と申します。DM拝読いたしました。こちらで軽く霊視してみたしたところ、高橋さんの仰る通り、部屋の中に女性の霊と子供の霊が居るようです。子供の霊はこちらで除霊致しますが、女性の霊の方は一度現地に行ってみなくては、簡単には除霊ができないかもしれません。もしご都合のよろしい日がありましたら、そちらに伺ってお話を聞いてもよろしいでしょうか?」


ダイレクト・メールの返信を書きながら、怜はこの仕事を引き受けるべきかどうか、微かな不安と躊躇いを覚えていた。


祖父母の家が四国地方に代々続く由緒正しい真言宗の寺であるため、怜は幼い頃から真言に馴染みがあった。真言の持つその不思議な力に惹かれ、祖父に教えを受けながら真言への理解を深めた。十六歳になった今ではある程度の除霊もできるまでになっている。


霊を視るのはそれこそ幼い頃から日常茶飯事だった。母が言うには、まだ喋ることのできない幼児の頃から、虚空を眺めては何かを語りかけるような素振りをする子供だったそうだ。が、怜が初めて霊を視たと記憶しているのは四歳の頃、祖父母の家に泊まりに行った時の事だ。

祖父母の住まいは寺の敷地の中にある。入口の門をくぐり本堂に向かうと、左手に檀家の墓が並んでいる。

夏の日の夕暮れから夜に差し掛かる時間に特有の、薄明りとも薄闇ともつかない薄紫色の空気が辺りを覆っていた。

ふたつ歳上の従兄の崇とともに、寺に程近い場所にある小川で水遊びを楽しんだあと、そろそろ家に帰らねばと言うことで、怜は崇と連れ立って本堂に向かって歩いていた。

ふと墓の方に目をやると、正面から三列ほど奥まった場所にある墓の脇から、白い腕のようなものがひらひらと動いているのが視えた。二の腕から手の先までしか見えない“それ”は、虚空を掴んでは再び掌を広げるような動作を繰り返していた。


「ねぇ、あれ何だろう?お墓の裏に誰か居るのかな?」


不思議に思い崇に尋ねるが、


「どこ?何か居る?」

「え?あそこ……」


指を指して伝えてもどうやら崇には視えていないようだ。

気にならないことはないが、態々正体を確かめに行くのも躊躇われ、そのまま本堂の脇にある祖父母の住居に向かった。

祖父と祖母、現役住職である伯父、伯母、そして崇と崇の兄二人、怜の父と母、そして怜。漸く全員が食卓に揃い、賑やかな夕食を終えた。風呂を済ませて従兄たちとともにゲームに興じていると、


「そろそろ子供は寝る時間よ。」


と母に窘められた。

いつの間にか時間は午後9時を過ぎていた。

怜たちの布団は客間に敷かれている。母と一緒とは言え、馴染みのない和室で寝るのはなんとなく心細い。

まだ眠くないんだけどな、と思いながら、怜はひとまず布団に潜り込んだ。

怜の隣に寝そべる母にぽん、ぽん、と軽く背中を叩かれながら、早く眠らなくては……と固く目を閉じるが、眠ろうと意識すればするほど目が冴える。

寝つけないまま、どれほどの時間が立ったのだろうか。いつの間にか怜を叩く母の手が止まっていた。


ふと、布団の左脇にある押入れに目が向かう。押入れの引戸が僅かに開いている。引戸の向こうには漆黒の闇が覗く。その細長い暗闇の中から、“それ”が伸びてくるのが視えた。虚空を掴むような、例のひらひらとした奇妙な動きをしている。その指先が、たった今その存在に気付いたかのように引戸の縁を掴んだ。すす、すす……と、少しずつ引戸が開いて暗闇の幅が拡がっていく。

底知れない恐怖が怜を襲った。


『……お母さん!』


叫び声を上げようとしたが、声にならない。

母を揺り起こそうと必死で藻掻くも手足に力が入らない。

そうこうする間にも、暗闇は拡がりを増していく。その漆黒の闇の向こうから、項垂れるような格好で長い黒髪を垂らした女の頭と思しきものが覗くのを、怜は視界の端で確かに捉えた。


『誰か!助けて!』


「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン!」


その時、凛とした声が響き渡った。

同時に、“それ”の気配が消えたのが分かった。

手足の自由が戻ったことに気付き、怜は布団から飛び起きると、声の主である祖父に駆け寄った。


「おじいちゃん!い、今……!」

「大丈夫じゃけん、落ち着きぃ。悪い霊は祓った。」

「霊?今のってやっぱり幽霊なの?」

「そうじゃ。なかなかタチの悪い霊じゃったようじゃな。」

「怖かった……。」


そう呟き、怜は深く息を吐き出した。

ふとさっきまで寝ていた布団のほうを見ると、母はまるで何事も無かったかのように眠りこけている。


「さっきおじいちゃんが言っていたのはなぁに?」

「あれは真言いうてな、仏様の言葉じゃ。悪い霊が現れたときは真言を唱えるといい。どうやら怜は“視える”ようじゃからの。」


これが怜の生まれて初めての心霊体験だった。

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