〈11〉後宮の最下位妃、采雅国の現状を知る
♢♢♢
「苺凛様、そろそろお戻りになってください」
「え?もうそんな時間?」
宮殿の庭にいた苺凛は春霞に呼ばれて振り返った。
「なんだか早くない?」
朝の食事からまだそんなに経ってないと思うのに。
「明日の来客予定者が急遽変更になり、今日の午後からの来訪に決まったとか。その後も続けて会談などがあると聞いてますから。忙しくなる前に済ませたいのでしょう」
───困ったわ。まだ右片方しか咲いてない。
宮殿へ向かいながら苺凛はため息をついた。
左側はついさっき花びらを摘んでしまった。
右側は咲き出してはいるものの、まだ花弁が少ないせいで形が小さい。
もっと早く知っていたら摘まなかったのに。
また怒られる。
「でも勝手よね。突然すぎて……ぅわッ⁉」
声に出しながら宮殿へ入った途端、誰かの背中とぶつかりそうになった。
「何が勝手だと言うのだ」
背は向けていたが声でわかった。洙仙だ。
(もう来てるしっ)
「突然で何が悪い。わざわざおまえの予定を伺えとでも?生き残りの後宮妃にどんな予定があると……」
言いながらこちらを向いた洙仙は苺凛を見るなり眉を釣り上げた。
「なんだそれは⁉ 片方しか咲いてないぞ!」
(ほら、やっぱり怒る)
大概、いつもほとんど怒った態度で接してくるせいで幾分は慣れたが。
睨まれ、怒鳴られるのはやはり怖い。
苺凛が璃紫宮へ住まいを移してから十日が過ぎた。
食事だと言って洙仙が苺凛のところへ霊仙花を食べに訪れるのは朝昼晩の一日三回。
本当はもっと頻繁に食べたいらしい。
なぜなら苺凛が咲かせる霊仙花は不完全で不味いから。
一日三度の回数で食べても満足できない味だからと洙仙に言われている。
満足できる完璧な花が咲けば食べる回数も減るらしいのだが。
───なによ。仕方ないじゃない。
これでも以前より蕾から咲き出すまでの時間は早くなっているように思う。
味のことまでどうしたらいいかなんて、私にはわからないし!
霊仙花を咲かせる身体となって目覚めたあの日。
〈死〉という逃げ道を選ぶことはやめようと決めた。
未来を、希望を求めないまま逃げたくないと思うようになった。
けれど花を食べに来る洙仙からは逃げ出したくなってしまう。
そんなふうにいつもなら萎縮してしまうところだが。
なんだか沸々と怒りが湧いた。
今まで我慢していたものが溢れ出そうだ。
理不尽で、横暴で。
いつも不機嫌で。
この花が食べられなかったら困るくせに。
「どういうことだッ。今朝喰った後にすぐ花びらが現れていたはずだ。……まさかおまえ、摘んだのか?」
「そうよ。摘んだわ」
苺凛は言いながら速足で洙仙を追い抜き宮殿の奥へ進んだ。
「待て!なぜそんなことをする!」
洙仙はすぐに追いつくと苺凛の腕を掴んだ。
「勝手なことをするなッ」
「私に咲いた花をどうしようと私の勝手でしょ! いいじゃない、どうせすぐに咲くんだから」
「そういうことはもっと美しい大輪を今すぐに咲かせてから言え!」
洙仙は乱暴に苺凛を突き放すと春霞に向かって怒鳴った。
「春霞!おまえが付いていてこれはどういうことだっ」
「申し訳ありません!」
「ちょっと!春霞に八つ当たりしないでっ」
苺凛は春霞を庇うように洙仙の前に立った。
「なによ、短気なんだから! それに我が儘だわ、花一つ食べられないからって。あなたのような乱暴で傲慢者に霊仙花を与えたくないわ!」
「なんだと⁉ おまえっ、切り刻まれたいのか!」
洙仙が腰に佩いた剣の柄を握った。
「いいわよ、どうぞ。傷口から咲いた花はさぞ美味しいのでしょうね」
「苺凛様っ……洙仙様も!違うのですッ」
春霞が声を上げた。
「苺凛様は霊仙花を地上に咲かせようと考えて、花びらを摘み取ったのです」
「春霞。言わないでって……」
約束したのに。
「苺凛様は花を増やしたいとお考えになっていて。それで……」
柄に触れた手を戻し、洙仙は大きく息を吐くと苺凛に尋ねた。
「いったいどういうことだ」
「
期待はしていない。
種を持っていた父親でさえ、生前試してみても咲かなかったと母は言っていた。
───それでも、試してみたかったのだ。
洙仙の母親である玲珠妃が采雅国の後宮で霊仙花を栽培していたという話を聞いて、興味を持ったせいもある。
「できるわけがない」
険しい顔のまま洙仙は言った。
「咲くわけがない」
「まだ埋めたばかりよ。結果が出ないうちから決めつけないで」
「無駄だ。そのように色艶が悪く出来損ないの花弁が芽吹くわけないだろ」
「な、なによ……」
───そりゃそうかもしれないけど!
「霊仙花の色は一見、白い花に見えるが、花びら一枚一枚が薄く水晶のような透明があり輝きを持つ」
〈水晶〉と聞いて、そういえば毒だと言われ母から渡されたあの種も、昔は水晶の欠片のようだったと母が言っていたのを苺凛は思い出した。
「味も飽きのない甘味で匂いも素晴らしい。たとえ同じ香りでも、おまえのその濁ったような色の花びらで霊仙花を増やすなどできるはずがない。俺を満足させる花を咲かせたこともないくせに」
「洙仙様! そんな言い方はあんまりです!」
春霞が強い口調で訴えた。
「いいのよ、春霞……」
辛辣な言葉も嘘ではないから反論もできない。
(だから泣いちゃダメ……)
そう思っても、瞳から溢れるものを止めることができない。
悔しさと切なさで苺凛は顔を上げることができなかった。
「夜までにもう少しまともな花にしておけ」
意外にも静かな口調で告げると、洙仙は霊仙花を食べずに宮殿を出て行った。
「ごめんね、春霞」
ゴシゴシと両手で涙を拭きながら苺凛は言った。
「苺凛様が謝ることなどありませんよ」
「でも洙仙はあなたのことまで怒って、叩こうとしたわ」
「苺凛様、なぜ言わなかったのですか。洙仙様のために花を増やしたいのだと」
「べつに洙仙のためじゃない」
「でも全く違うわけでもないのでしょ?」
「そうだけど……」
地上で増やすことが出来れば、そちらをたくさん食べてもらえる。
洙仙だってお腹いっぱいになるだろう。
その方が頭に咲いた花を直接食べられるよりずっといい。
洙仙が花を喰らう瞬間、たとえ目を閉じていても慣れない恐ろしさがある。
それを少しでも回避できたらいいと思い、霊仙花の栽培を試したかったのだ。
それなのに。
「なんだか腹が立ったから言わなかっただけよ」
春霞が力強く頷いた。
「苺凛様のお気持ちはよくわかります。後で
「……仕方ないわ」
苺凛は首を振り、呟くように言った。
「本当だもの。花はいつも綺麗に咲かないから」
どうしたことか、摘んでしまった左側に花弁がまだ現れない。
いつもより遅いと感じた。
「でも春霞、私うっかりしていたわ。種のことを洙仙に聞くべきだった。だって変だなと思うのよ。この花を探していたと洙仙は言ってたの。初めて会ったときも種はどこかと聞かれた。采雅国では霊仙花が咲いているんでしょ?なのになぜ洙仙はこの花を探していたのかしら」
「それは……」
春霞はしばらく無言でいたが、やがて何かを決心するように話し始めた。
「采雅国にはもう霊仙花は咲いてません。二年前に玲珠様が亡くなられてから花は枯れてしまったんです」
「えっ、なんですって⁉」
───死んだ⁉
洙仙の母親が……。
「なぜ亡くなったの?」
不死ではない。けれど長寿と治癒の霊力があったはずではなかったのか。
「宮殿が火事になり逃げ遅れたということでした。でも真実は違うのです。当初は事故と言われていましたが、事故に見せかけた暗殺だったのです。
仕えていた女官たちも皆、犠牲になって……。私の姉もその中の一人でした。姉は燃え盛る炎からなんとか助け出されたのですが、身体中に酷い火傷を負って……。苦しんだ末、翌日に死にました。でも死の間際、玲珠妃に何があったのか、洙仙さまに真実を伝えて息を引き取りました」
「真実?」
「暗殺は宮廷内の陰謀によるもの。そして洙仙様の異母兄である
「そんな……。だって霊仙花は半龍でもある洙仙の糧なのでしょ?それじゃあ洙仙は花がなくなってからどうやって糧を得ていたの?」
「僅かに残っていた種を砕いて、少しずつ摂取していたようですが……」
洙仙が種を食べていたことに苺凛は驚いた。
あれは猛毒の種だと聞いているのに。
半龍人に種の毒は効かないのだろうか。
けれどそれも
「種が宗葵国に……?」
宗葵国は采雅国との戦いに敗れ征服されてしまったが、久しぶりに聞く祖国の名に苺凛は動揺した。
「───けれど種の情報は信憑性に欠けるものだったようです。そして調査は止まったまま戦が始まり、戦場は宗葵国から瑤華国へと移りました。でもこの地で洙仙様はやっと探し求めていたものを見つけられたのです。……苺凛様、あなたを。ですからこれはもう、運命ですわ」
苺凛を見つめ、なぜか瞳を煌めかせ声に力の入る春霞だった。
運命、などと言われても。
洙仙が見つけたのは種ではなかったのだ。
出来の悪い花を咲かせて死にたがっていた後宮の生き残りだったのだ。
「そうか。洙仙がいつも機嫌が悪い理由が判ったわ。玲珠妃はきっといつも美しく花を咲かせていたのね」
けれど私が咲かせる霊仙花はいつまでたっても不完全だから……。
「玲珠様は采雅王の寵愛を受けていました。でもその分、周りから妬まれ、嫌がらせも多かったと聞いてます。種が奪い去られたのもそういったことが関係しているようです」
「采雅王は?息子に自分の妃を暗殺されたこと現王は知らないの?」
「玲珠様が亡くなられたとき、采雅の現王は
「そうだったの。だから洙仙は霊仙花やその種を探していたのね。どんなに小さな手掛かりでも求めながら諦めずに」
春霞は頷いて言葉を続けた。
「きっと羅苑は自分が采雅の王になるために邪魔な存在を排除するべく虎視眈々と計画をしていたのでしょう。半龍である洙仙様の霊力を妬んでもいたようです。酷い王子です。幼くして母親を亡くした羅苑王子に玲珠様は我が子同然の愛情をかけていたというのに。
玲珠様はいつも笑顔を絶やさず、お優しい方で侍女たちにも慕われていたと聞いてます。姉もそんな玲珠様が大好きだったのです。姉は……」
春霞は声を詰まらせた。
「両親が早くに亡くなったので。姉はたった一人の私の家族でした。……守りたかった。生きていてほしかった……」
春霞の瞳から涙が溢れた。
春霞の想いが苺凛の亡くなった母に対する気持ちと重なった。
「春霞、ごめんなさい。辛いこと思い出させてしまったわね。もうこの話はいいから。部屋へ行きましょう」
苺凛は春霞の背中を優しく撫でながら支え、ゆっくりと歩き出した。
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