〈2〉後宮の最下位妃、頭に花が咲く


 ♢♢♢


 目覚めると天蓋の紗が揺れているのが見えた。



(風が吹いてる……)


 苺凛メイリンはぼんやりと思った。


 天蓋に付けられた珠飾りが陽の光を受けて風に揺れるたびに、きらりきらりと輝いている。



 あれ……?


 私、なにか大切なこと忘れているような……。


 揺れる珠飾りの輝きに、あの夜見た光景が重なった。


 満月の光に反射していた珠飾り。


 毒を飲み、死の間際に美しいと感じた光景。




 ───私、あの晩……。───ええッ⁉



 私、死んでないの?


 それとも夢?


 ……いいえ、違う。夢じゃない!


 ここは宮殿の奥の間で私の寝室。



(私、生きてるの⁉)



 身体を起こした苺凛は自分の鼓動をはっきりと感じた。


 私、死ななかったの⁉ ───毒が効かなかった?


 それともあれは毒じゃなかったの?


 母さんの言ってたことは嘘だったの……⁉


 頭が混乱する。


 落ち着かなくては。───でも。


 苺凛は異変に気付いた。


 風が優しく天蓋を揺らしている。


 毒を飲んだ夜、窓を開けておいた覚えはない。


 それなのに、月明かりが差し込んでいた小窓も、寝台から少し離れた位置にある窓も部屋の戸も開け放たれている。


 苺凛は乾いた唇をキュッと窄めた。


 無性に喉が渇く。水が欲しい。


 毒を飲んだときに使った湯飲みに手を伸ばしたが中に水はなかった。


 おかしい。まだ少し残っていたはずなのに。


 苺凛は寝台を降り、ふらつく足取りで中央の卓に置かれた水差しを覗く。


(やっぱり変だ)


 ここにはまだ半分以上の水が入っていたはずなのに。水はかなり減っていて僅かしかない。


 蒸発した?一晩で?


 もしかして、あれから幾日か経っているとか。まさか……。


 喉の渇きが限界となり、苺凛は水差しから直接飲み干した。


 水は生温かったが、渇きから解放されると気持ちは落ち着いてきた。



(……なんだかとても静かだ)


 窓が開いているというのに。鳥のさえずり以外、何一つ聴こえない。


 ざわめきが届いてこない。


 宮殿がほったらかしだった頃に戻ったみたいだと苺凛は思った。


 外は、王城はどうなっているんだろう。



(……どうしよう。私は死ねなかった。毒はもうない。いっそ短剣で胸を刺そうか)


 考えていると、どこからか甘酸っぱい香りが漂ってきた。


 良い匂い。花の香り?


 それは杏の花と朝露を纏った薔薇が混ざり合ったような瑞々しい香りだった。


 風が運んでくるのだろうか。


 香など焚いてないのに、それは苺凛の身体に纏わりつくように感じた。


 苺凛は外が見たくなり窓辺に寄ろうと歩いた。


 途中、鏡台の前を通ったとき、そこに映る自分の姿に苺凛は驚愕した。



 ───な……に、これ。


 花……?



 左右の耳上の辺りに真っ白い花が咲いていた。


 小ぶりだが形は牡丹に似ている。


 髪に花飾りを着けたように見えるが、触ると皮膚にくっ付いているのがわかる。───ぷちぷちと花びらを取ってみるが、すぐに生えてくる。


 ぷちぷち取るとちくちくと痛いが、花ごと抜こうと引っ張ればそれ以上、かなりの痛みが起こる。



「な……な、なっ……」



 なにこれ───ッ!


 死ねると思ったのに、頭に花咲かせてどうしちゃったのよっっ、私!



 脳裏に浮かぶのはあの赤茶けた毒の種。


 考えたくない。とても受け入れられる話ではない。


 種を飲んだから?毒のせい?


 種の〈毒〉は『死』ではなくて、こんな奇怪な現象をもたらす毒だったというの⁉



(でも、もしかしてこの花。お父様が咲かせたかったという花?)




「目覚めたようだな」



 突然声がしたかと思うと、風が急に強く吹き込んだ。



 見ると白い花びらが舞う部屋の出入口に、見知らぬ男が立っていた。



 年齢は自分よりいくらか歳上に思えた。


 長身で艶のある黒髪が肩まで伸び、麗しく端正な顔立ちだった。


 蘇芳色の生地に銀糸で繊細な刺繍が施された美しい衣装が目を引く。


 ゆったりとした長袍に身を包んでいるが、立ち姿からは堂々とした身体つきが窺える。


 男は振り向いた苺凛と目が合うや否や、大股で近寄り苺凛の腕を掴んで引き寄せた。


 近くなった男の瞳は陽に透かしたような琥珀色で、その鋭さに背筋が寒くなる。


「宗葵国の王族と聞いたが」


 低く響く声音も冷たく感じるものだった。


「髪も瞳の色も、おまえは系統が違うようだが。……その眼色は東方のものか?」


 苺凛は異国の出生だった父親似だ。


 けれど父の祖国がどこなのかは知らない。

 母には「遠い異国」としか聞いていなかった。

 苺凛の髪は栗色で瞳は薄い萌葱色。宗葵国では珍しい容姿だった。


 質問に答えることのない苺凛をまじまじと見つめ、男は言った。


「顔は人並み。もう少しマシな姫がいたろうに。コレを同盟の証に献上されてもな。カタチだけの取り引きだったというわけだ」


 

 冷たい眼差しと男の纏う気配が恐ろしくて、苺凛は目を逸らした。



「その花……」


 男は苺凛の両耳上に咲く花をじっと見つめて言った。


「匂いはいいが見た目が悪いな。貧相で濁っている。だが間違いない、それは俺が探し求めていたものだ。おまえ、なにを飲んだ。あれはどこだ?」



(あれって……。あの毒の種のこと?)



「我々がここへ来ておまえを見つけてから五日経つ」



 ───い、五日⁉


 でも私が毒を飲んだのはそれよりも前。


 いったい何日くらい眠っていたんだろう。



「この部屋で眠るおまえを見つけたとき、湯呑みにはまだ水が残っていたから、せいぜい二日足して七日ほど眠っていたことになる」



 まるで苺凛の心の声に答えたかのように男は言った。



「おまえが眠っている間、この宮殿の隅々まで探したが見つからなかった。残りはいったいどこにある。答えろ!」



「ぅ……い、痛いッ」



 掴む腕に力が込められ、あまりの痛さに苺凛は呻いた。



「声が出なくなったわけではなさそうだな。答えなければこの腕を千切るぞ」



 苺凛は声を震わせて答えた。


「た、種なら……あなたが言ってるのがあの毒の種のことなら、もう残ってない。一粒しかなかったから。それを猛毒だと教えられたから。だから私……」



「飲んだというわけか」


 苺凛が頷くと、男は眼差しを険しくした。


「だがおまえは死ななかった。死ぬどころか花を咲かせるとは。……なぜおまえが。いにしえの奇伝と同類のものか……?」



 台詞の語尾は苺凛にではなく、自身に問いかけているようだった。


(この人、あの種やこの花について何か知っているんだ)



 何者なの……?



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