黒猫先輩

第11話 黒猫

 大学という場所にはいろいろな人がいる。


 講義そっちのけで麻雀をしている人もいるし、部活だけやっている人もいる。毎日のようにパチンコをしている人もいれば、恋人探しのために学校に来ているような人もいる。


 この大学には変人と呼ばれる人が何人かいるが……お目当ての人物はそのうち一人。


 名前からして変わっている。私の名前もかなり珍しいと思うが……彼はフルネームでインパクトがある。


 黒猫、と呼ばれる先輩である。


 それは彼のあだ名であり、フルネームでもある。


 くろが名字でねこが名前。当然くろねこと呼ばれている。


 呼ばれている、といっても……彼は孤立しているので彼に話しかける人なんて数えるくらいしかいない。


 当然私も面識なんてない。入学してすぐにオンラインになってしまったし、とくに接点もなかった。


 しかし噂はよく聞く。

 頭が良いとか、変人だとか、関わりたくないとか話したくないとか頭がおかしいだとかデリカシーがないとか……


 ともあれ噂だけで人を判断するのは良くない。というわけで私はその先輩についてなんの感情も抱いていないのだが……


 ……そのくろ先輩に協力をしてもらおうか……話しかけたこともないのだけれど、他に頼れそうな人もいない。


 幸いにも今日の講義……くろ先輩は同じ講義を受講している。講義終わりに声をかけてみよう。


「えー……」講義が始まって、教壇に立つ教員が話し始める。「いろいろありましたが……対面授業が再開されましたね。皆さん慌てずに……いつも通りの行動を心がけてください」


 ……教員側も大変そうだな。アホのTさんが怪しいとかチャットの内容とか……明らかに学生側がマスコミの取材に答えてるからな。


 とにかく久しぶりの対面授業だ。私はノートを取りながら、くろ先輩の動きを見てみる。


 彼の机にノートはなかった。教科書もない。それどころか……筆箱一つなかった。まっさらな机で頬杖をついて、静かに講義を聞いているだけだった。


 ……あれで理解できているのだろうか……くろ先輩が落単したという話は聞いたことがないので理解できているのだろうけれど……


 私と言えば……しっかりノートを取っていても理解できない。重要な部分を書き取る必要があるのだろうけれど……その重要な部分がわからない。


 しかもオンラインに慣れきった結果、手書きがかなり遅くなっている。漢字も思い出せないし、なんならひらがなも怪しい。


 結局ほとんど理解できないまま、講義が終わってしまった。


 ああ……これはまた家庭教師恭子きょうこ先生の出番だろうか……少しくらい私のほうで理解して恭子きょうこの負担を少なくしてあげたいけれど……


 結局気合いを入れたところで私の脳みそには重要な情報が入ってこない。頭の良い人とは脳の構造が違うのだろうか。


 勝手に気落ちしながらノートをカバンに入れて、立ち上がる。今日の講義はこれで終了だから、さっさと帰って……


「……?」あれ……? なにか忘れてるような……「あ……」


 そうだくろ先輩に冤罪を晴らすための協力をしてもらおうと思っていたのだった。講義に集中してすっかり忘れていた。


 慌ててくろ先輩が座っていた席を見るが……


「いない……」


 もう教室を出てしまったようだ。


 私のアホ……なんで本来の目的を忘れるんだ。くろ先輩に話しかけるという簡単なことを忘れるなアホ。


 急ぎ足で教室を出る。そして左右の廊下を見回すが、くろ先輩の姿は見当たらない。


「あ、あの……!」私は教室から出ようとしていた教員に話しかけて、「くろ先輩……どっちに行ったか知りませんか?」

「……あぁ……」教員は怪訝そうに、「あっちに行ったと思うけど……」

「ありがとうございます……!」


 教員の指さした方向に走り出した瞬間、


くろくんと話すつもり? だったら、やめたほうが良いよ」

「え……?」私は急ブレーキで立ち止まって、「なんで、ですか?」

「なんでって言われてもね……あの子、なにを考えてるのかわからないし……デリカシーないし……顔で選んだのなら後悔するよ」


 顔で選んだわけじゃないけれど……


「とにかく教師として忠告。あの子に関わらないほうが良い」

「……そんなこと言われても……」

「ほら。よく言うだろう? 黒猫は不幸の象徴だって」私は迷信の類は信じないのだが……「なんか不気味だし……それにあの子は、世間が言うほど賢くないと思うよ」

「……」なんでこの人は、そこまでくろ先輩に詳しいのだろうか。「くろ先輩とお知り合い、なんですか?」

「知り合いってほどじゃないけど……なんか気取ってて気持ち悪いじゃないか。そりゃ成績は良いかもしれないけど、あんなのじゃ世間では生きていけないよ。それを賢いというのは――」


 途中で教員がなにかに気づいて、言葉を止めた。


 何事かと思って教員の視線を確認すると、


「あ……」


 くろ先輩が教員の横をすり抜けて、教室に戻っていった。


 ……


 この距離感は……

 明らかに、聞かれてたよな。

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