第20話 風向きは変わる

‎✿ ‎


メアリがユリーベルに忠誠を誓ってから三日後の朝。

朝焼けの香りがユリーベルの鼻を擽り、眩い日差しが顔を照らす。

足元から響く振動にも、硬いこの椅子にも慣れてきた頃。

「ユリーベル様。目的地に到着しました。。」

鎧に身を包んだ一人の兵士が、ユリーベルの乗る馬車に顔を出す。

「そう、分かったわ。今行く。」

そう答えるユリーベルは、髪を一つに結び動きやすい服に身を包んでいた。

それでも彼女が貴族だと分かる、宝石の付いた紫の上着が太陽の下できらりと光る。

馬車から降りたユリーベルの足が踏んだ土は、血の匂いが染み込んでいる。


サルファに命じられ、暴動を鎮静させるべくユリーベルはシュベルバルツ邸を後にしていた。

何日も馬車に乗っていたせいか、少しお尻がヒリヒリと痛む。

ユリーベルは護衛の兵士二十名程と共に、街の中に入って行った。

建物は崩落し、地面は血の染みた跡が無数に残っている。

辺りでは炎が燃え盛り、ボロボロの建物からは人の気配がした。

恐らく、兵士達を恐れて身を隠しているこの街の住人だろう。

争いを無くす為に生まれた争いに、一体なんの意味があるというのか。

ユリーベルはその顔を堂々と上げて、その声を街に轟かせた。


「——私はシュベルバルツ家当主、ユリーベル・シュベルバルツ!帝国国王陛下の命によってこの場に参った!どうか、反乱軍を指揮している者と話がしたい!武力での介入は決してしないことを約束する!だからどうか、出てきてはくれないだろうか!」


ユリーベルの清々しい声に、兵士を含めたその場の全員が驚きを見せた。


「ユリーベル様は何を考えておられる?」

「急に話をしたいだなんて……しかも武力行使はしないと言った。」

「きっと我らには予想もつかないお考えがあるのだろう。」

「そうだ、きっとそうに違いない。」


ザワザワと、兵士達は小言を立てる。

それでも、ユリーベル様なら大丈夫だという安心感が兵士達にはあった。

そして全てはユリーベルの思う通りに、ことが運んでいるのだと確信させるかのように、一軒の小さな小屋の扉が開いた。

ギィーと、軋む音を立てながら現れたのは平民にしては裕福そうな服装に、ふくよかな体型の男。


「ユリーベル・シュベルバルツ公女様。お初にお目にかかります。私はサドラ・二ーイムと申します。」


ユリーベルの前まで歩いてきたサドラはぺこりと頭を下げる。

自分よりも年下の小娘だが、自分よりも爵位が上の人間に頭を下げたサドラはその丸い瞳をユリーベルに向けた。

「私が、この度の反乱を招いたのです。お話があると仰るならばどうか、この私めに。他の者は関係ございません故。」

「そう、初めまして二ーイム伯爵。では早速、話し合いを始めましょうか。」

「はい。ではこちらに。公女様には足元の悪い場所だとは存じ上げておりますが……。」

「構わないわ。」

ユリーベルは目の前を歩くサドラに案内された小屋に入る。

それに続こうとした兵士達に、ユリーベルは外で待っているようにと告げた。

「で、ですが、何かあった時に……!」

「なら……メアリを連れて行くわ。私の侍女なのだから問題は無いでしょう?」

「た、確かに……。」

ユリーベルの言葉に、メアリがそっと前に出る。

顔色を変えることなく、メアリはユリーベルにお辞儀をした。

ユリーベルはメアリと共にサドラの後を追う。


木造の平屋。

その中はとても貴族が暮らしている場所とは思えない程に荒れていた。

カーテンはビリビリに裂かれ、ソファーには無数の切り傷のようなものが残っている。

木で作られたテーブルとイス。

「どうぞ、お座り下さい。」

「ええ、ありがとう。」

ユリーベルが腰掛けると、イスはギイっと軋む音が響く。

ホコリっぽく、不衛生なこの場所は、家と言うよりも家畜小屋のように思う。

それでも、辺りの崩壊した家に比べれば天国のような空間なのだろう。


「……して、わざわざシュベルバルツ公爵令嬢が足を運ばれた理由はどう言ったものでしょう。——いえ、検討はついているのです。我々が反乱を企てているという事が、陛下にバレたのでしょう。」


ユリーベルの対面に座ったサドラは、俯きながら話をする。

しかし、その話の続きをするにはこの場所は悪すぎる。

木の板一枚、その向こうにはシュベルバルツの兵士が立っているのだ。

ここで話した事は、全て筒抜けになるだろう。

「——ハルムン。」

ユリーベルがそう呟くと、

それまでいなかったはずのユリーベルの隣のイスに、ハルムンが座っていた。

「——!?!?」

サドラが動揺するのは分かるが、何故メアリまで……と、そこでユリーベルはやっとメアリにハルムンの存在を明かしていない事に気が付いた。

「お、おおお、お嬢様、これは……!?」

「心配しないで、メアリ。彼は仲間よ。それよりハルムン、お願い出来るかしら。」


「おう。——『グリーパクト』。」


ハルムンが唱えたのは音声を遮断させる魔法だ。

結界の中に居る者にのみ、話をする事が出来る。ハルムンはこの魔法で、この部屋を覆った。

つまり、これでここから先の話を兵士に聞かれる事は無い。

「さて。これでやっと準備が整いました。」

「あの……ユリーベル様、彼は……。」

サドラの問いかけに、ユリーベルはああ、と横にいるハルムンに手を向ける。

「彼はハルムン。大賢者にして、私の協力者です。」

「だっ……大賢者!?」

サドラが驚くのも無理は無い。メアリなんて、口を大きく開けたまま、パクパクと魚のように動かしている。


「はい。そして私は、彼と……ハルムンと共に、この国を滅ぼすつもりです。」


ユリーベルはあっさりと自分の目的をサドラに話した。

その真っ直ぐな佇まいに、サドラは思わず席を立つ。

「滅ぼす!?それはつまり……」

「ええ、貴方方と同じ考えです。しかし、我々が起こすのは反乱なんて生ぬるいものではありません。——私はこの国に反逆するのです。」

ユリーベルはそれが当たり前だと言うかのように、あまりにも堂々と宣言した。

サドラはその言葉に、額に汗を滲ませる。

あの公爵家の人間が、国に反逆を企てているのだ。

焦りと驚きと、混乱が混ざった顔で、サドラはユリーベルに問う。

「何故、……何故そのような事を?貴女は公爵家の人間です。国を滅ぼすというのは、公爵家のユリーベル様にとって不利益になるのでは?」

その質問は真っ当だ。

お偉い貴族が、王に背くなどありえない。

そんな事をするのは、世間の厳しさを知らない大馬鹿者か、頭のネジが外れた狂人のどちらかだろう。

ユリーベルは、その質問に真摯に答える。


「なら、平気で人を殺し、自らの欲の為に他人の人生を壊すあの王に屈したままで良いと?それで本当の幸せが手に入ると?私はそうは思いません。この国は今、たった一人の王によって崩壊しかけています。民は数え切れない憎しみを抱き、いつ殺されるか分からない不安を抱え、息を殺すようにして生きる。そんな日々を、ずっと強いるのですか?それが貴族として正しい在り方だと、イーニム卿は仰るのですか?」


ユリーベルの真剣な眼差しに、サドラは口を閉じる。

ゆっくりとイスに腰を下ろした後、サドラは今のこの街の状態を教えてくれた。


この街は二年ほど前、帝国の領土となった地域だった。

武器を作るための素材が手に入り易いという理由で、サルファはこの地域を自分のものにするべく兵士を送り、侵攻した。

「元々この地域の人間達は武器を作る技術を他国に売る事でなんとか生き延びていました。しかし国王陛下は、それを全て独占する為に、武器を作れる者は捉え、そうでない者は殺すように兵士に指示を出したのです。」

武器を作る技術はあっても、戦う術のないこの地域の人間達はあっという間に殺され、残された道は帝国の軍門に下るという選択だけ。

そうしてサルファは、武器を大量生産する為だけにこの地域を占領した。

その後、サルファからこの地域の領主として指名されたのがサドラだったという。

「最初は、陛下の望み通りに領主として金と武器を巻き上げていました。しかし、初めて視察に訪れた時、この場所の悲惨さを目にしたのです。ろくに住む家も無く、食べる物も無い。今にも飢え死しそうな者たちばかりの集まりでした。その時です。私が初めて陛下のやり方に疑問を覚えたのは。」

そこで抱いた疑念は、やがて彼の中で大きな炎に変わる。

何故、民がこんなにも苦しんでいると言うのに、それに目を向けないのです!

彼らは救いを待っている。どうか、彼らに救いの手を……!

「そして私は、陛下に謁見した際に懇願しました。彼らは飢え、貧困に苦しんでいます。ですから彼らからこれ以上奪うのは辞めて欲しいと。ですが、陛下はこう言いました。」


——それが、どうした。


そして、グラッサムに失望したサドラは考えた。

このままではいけないと。

そしてイーニム家の資産をほぼ全て使い、貧困に苦しむこの地域の民に食料と水、そして武器を配った。

「もう、こうするより他に道は無かったのです!彼らの為にも、私は……!」


ここまでの話を聞いて、ユリーベルが何を感じたか。

グラッサムへの怒り?サドラの優しさに対する賞賛?それとも王に全てを奪われた民への同情?

……否。その時ユリーベルが感じたのは、ただ。


——手ぬるい。


全てを話し終えたサドラの目は涙で揺らいでいた。

彼が話した内容は全て真実であり、彼の気持ちもまた、嘘偽り無く本心なのだろう。

だが、だからと言って、彼が行おうとしている行動はとても素晴らしいと手を叩いて褒めるべき行動では無い。

ユリーベルは、淡々とサドラに告げた。


「——それで、貴方は残った民すらも殺すのですか?」


ユリーベルの鋭い視線が、サドラに突き刺さる。

「殺す……!?とんでもない、私は……!」

「貴方が武器を渡したのは、ただの平民です。戦闘経験の無い彼らが、兵士相手に勝てるとでも?」

「そっ……それ、は……」

「貴方の考えている事は、陛下に筒抜けです。だから此処に私が来ました。今、貴方が反乱を起こそうとしても、そこに勝ち目などありません。玉砕覚悟?そもそも貴方達の反乱など、あの王からすればアリを足で潰すようなもの。」

そう。

人を人とも思わないあの王は、こんな反乱など欠伸が出る程退屈な事だと考えているのだろう。

優しいだけでは、世界は揺るがない。ただ武器を持つだけでは、国は変わらない。

「しかし……もうこれ以上黙っている訳にもいかないのです!どれだけ無謀でも、今行動しなければ……」

「——いいえ。行動を起こすのは、『今』ではありません。」


ユリーベルは、ゆっくりと立ち上がる。

一つに束ねた髪を揺らして、真っ直ぐに立ったユリーベルはサドラの前に手を伸ばす。


「——私と共に、この国を変えようではありませんか。イーニム卿。」


ニコリと笑うユリーベルの瞳は、自信に満ち溢れていた。

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