第18話 その花の名前を知っていますか?

ハルムンと別れたユリーベルは、カイルに指定されたケーキ屋を訪れていた。

人の多い街中なのもあって、いつもよりシンプルなドレスを選び、帽子を被る。

カランカランと、扉に付いている鈴の音が鳴り響く。


「——あ、ユリーベル様!」


ユリーベルが気付くよりも早く、カイルは手を大きく振る。

パッと華やぐ笑顔で自分を迎えるカイルに、ユリーベルも笑顔で返した。

「遅くなってしまって、申し訳ありませんわ。」

カイルの目の前の椅子に腰を下ろしたユリーベルは、帽子をとって肩を下ろす。

「いえ、僕が早く着いてしまっただけですから……。それよりも、その帽子良くお似合いでしたよ。」

「そういうお世辞は好意を持つ方に言って差しあげては?」

「僕は十分、ユリーベル様に魅了されてますが……?」

相変わらずのツンケンした態度をみせるも、それはカイルには通用しないようだ。

きょとん、とした顔でカイルはユリーベルを見つめる。

さらっとその本音をぶつけられたユリーベルには完全にクリティカルヒット。

「なっ……!そういう事も軽々しく言ってはいけません!!」

顔を真っ赤に染めたユリーベルは、カイルに注意をする。

はあ……と、その意味が良く分かっていない様子のカイルは、曖昧な返事を返した。

カイルの素直さには、とことん驚かされるユリーベル。コホンと咳払いをすると、店員に向かって手を上げながらカイルに忠告する。

「貴方はもう少し本音を隠すと言う事を覚えた方がいいですわ。」

「そう、ですか……?僕は思った事を口にしているだけなのですが……。ユリーベル様から見れば、いけないことでした?」

「良い、悪いではありません。なんでも素直に言えば良いと言うわけではないんです。貴方は四代公爵家のアルファード家嫡男なのですから、今後の為にも大切な事だと思います。」

「なるほど……。さすがはユリーベル様ですね、勉強になります!」

「……本当に学習したのかしら……。」

カイルの今後を思いやられながら、ユリーベルはケーキと紅茶を注文する。

数分後にユリーベルの元に運ばれたのはチーズケーキと、鮮やかな茶葉の色が美しい紅茶だった。

カイルの元には、大きな苺の乗ったショートケーキとカフェオレが置かれている。

綺麗な装飾の皿に盛り付けられたケーキは、甘い匂いを漂わせていた。

「いただきます。」

早速運ばれたチーズケーキをフォークで切って口に運ぶ。

濃厚なチーズのコクが口いっぱいに広がった。程よく、しつこくない甘さに生クリーム。

上品な味わいに、ユリーベルは思わず言葉を零した。


「——美味しい……!」


目を輝かせるユリーベルに、カイルは嬉しそうに笑った。

「本当ですか!?良かったです、ユリーベル様に喜んでいただけて!数週間前に出来たばかりなのですが、友人に勧められてこの店のケーキを食べたら、とても美味しかったんです!それをユリーベル様にも共有したくて……。」

嬉しそうと、口にするファイの方がユリーベルの何倍も嬉しそうに微笑んでいた。

純粋な気持ちをぶつけたカイルに、ユリーベルまで頬が緩んだ。

「……流石はカイル様ですね。お陰で、久しぶりに良い店に出会えました。」

「そ、そんな事はありません……!僕のお陰なんて、そんな恐れ多いです……!」

ユリーベルの言葉に、カイルは慌てふためく様子を見せる。

自分は素直で愚直な気持ちをぶつける癖に、その逆の立場には弱いらしい。

ユリーベルからしてみれば、それは不思議なことだったのでけれど、カイルが顔を赤くさせている様子を見ていたら、彼の思考に疑問を持つ事も忘れていた。


——本当、表情がコロコロ変わって、見ていてとても飽きないわ。


彼を見ていると、緊張とか警戒とかそういう事を忘れてしまう。

本当に変だ。お酒を呑んでいるわけでも無いというのに心がふわふわして落ち着かない。

知らない感覚に、ユリーベルはカイルから視線を逸らす。

ユリーベルの耳がほんのりと赤い事に気付いたカイルはそれを聞くでもなく別の話題に切り替えた。


「——そういえば、初めて会った時から思っていたんですが、ユリーベル様は甘い香りがしますね。」


「甘い……?ケーキでは無くてですか?」

「はい、それとはまた違った甘さというか……。あの時は花の香りだとばかり思っていましたが……。」

確かに王宮で出会った時は色とりどりの花たちに囲まれていたけれど……。

花の香りと言われたユリーベルは、すぐにピンと来た。

ケーキを口に含めたユリーベルは、何度か咀嚼した後ごくん、と飲み込む。


「——カイル様は、『百合』という花をご存知で?」


聞いた事も無い名前に、カイルは首を横に振る。

ユリーベルはその返答を知っていた。知っていて、わざと尋ねたのだ。

「シュベルバルツの元当主であるお父様が、私の誕生と共に作らせた花です。私の名前である『ユリーベル』にちなんで『百合』と名付けられました。」

「自分の娘の為に花を作ったのですか……!?」

「ええ。変わった愛情表現をされる方でしたので……。ちなみにお姉様の時は『マリーゴールド』という花でしたわ。」

カイルは驚いた顔でユリーベルを見つめていた。

確かに、自分の子供の為に新しい花を作るなんて考えられないだろう。

「では、ユリーベル様の香りは……。」

「ええ。その百合の花から作った香水です。私も、とても気に入っているんですよ。」

百合は夏にしか咲かない。だから一年中香りを楽しめるようにとユリーベルが作ったのだ。

ユリーベル自身もその香水はかなり気に入っているので、昔は毎日のようにつけていた。

その残り香がドレスに染みてしまったのだろう。


ケーキを食べ終わり、ゆっくりと紅茶を飲むユリーベルを見ながら、カイルはその百合という花を想像してみる。

どんな色で、どんな形をしているのだろうか。

父親が自分の娘の為に作ったのだから、ユリーベルに似た花なのだろう。

ユリーベルの周りに咲き誇る、大輪の百合の花。

きっと、目を奪われるに違いない。

「僕も見てみたいです、その百合という花を。」

「ですが、残念な事にこの花はシュベルバルツ邸の庭にしか咲いていないのですわ。」

「そう、ですか……。」

ユリーベルの言葉に、しゅんと縮こまるカイル。

まるで飼い犬がおやつを取り上げられたみたいに大人しくなるファイに、ユリーベルは心の中でくすりと笑った。

まあ、実際に犬を買ったことはないのだけれどね。

「なら……。なら、いつか見に来ますか?——私の家に。」

思わぬユリーベルの言葉に、カイルは顔を上げる。

「良いのですか!?」

「今は私が当主です。私が良いと言えば良いに決まってますわ。」

「是非……是非行きたいです!」

雨上がり、雲間から太陽の暖かな光が差し込む様な笑顔でぱあっと笑うカイル。

目の前に自分の好きなおやつを差し出された犬を思い出すユリーベルは、彼の満面の笑みにつられて口角を上げる。

偽る事を知らない人の笑顔は、どうしてだかユリーベルの心に染み込んでいく。

「いつか、必ずご招待します。」

いつか。今のユリーベルにとって、こうやって未来の約束を交わすという行為がどれくらい意味の無い事なのか。

それをユリーベル自身が理解していた。それでも彼を前にすると、明日を生きるという事が少しだけ楽しく思えてくる。

この先に待っているものがどれくらい過酷で苦しいものなのかを、ユリーベルは知っている……けれど。

「今からその日がとても楽しみです!」

この一時だけはいいだろうか。この紅茶から白い湯気が消える時までは、少しだけ夢を見てもいいだろうか。

目の前にいる、この純粋で余りにも穢れのない彼が笑ってくれる間は、背負っているものを下ろしてただの『ユリーベル』で居られる。


——これからもそんな日が来るといいわね。


そんな淡い願望を抱きながら、ユリーベルは紅茶を飲み干した。

「なら、その時までには庭を手入れして、大輪の百合を咲かせないといけませんわね。」

「きっと、美しくて真っ白な花が咲いているのでしょうね! 早く実物を見てみたいです!」

ファイは夢見る乙女の様に、遠い空に思いを馳せていた。

と、カイルの発言にユリーベルは疑問を投げかける。

「良く百合の花が白だと気付きましたね。」

ユリーベルは一回も、花の特徴を話してはいないのに。

そう思っていると、カイルは眉を下げて柔らかな笑顔を見せた。


「だって、ユリーベル様の祝福に作られたのですから、ユリーベル様にそっくりのはずでしょう?ユリーベル様は、とても真っ白で美しい方ですから。簡単ですよ!」


その話を聞いていたユリーベルは、白とは全く真逆の色で顔を染めていた。

耳まで真っ赤に染め、その言葉を百パーセント理解するまでに数秒間固まる。

さらりと、人を褒めちぎるカイルにユリーベルは怒るでも慌てるでも、焦るでも無くただ深くため息をついた。

「——貴方があまり、勉強が得意では無い方なのだと分かりましたわ……。」

度が行き過ぎた素直さは、寧ろ危うい物だと気付かされたユリーベルなのだった。


なんやかんや、そこそこに楽しんだお茶会はそれから一時間も立たないうちにお開きとなった。

迎えの馬車に乗り込もうとした時、カイルに呼び止められる。

振り返ると少し耳を赤くしながら、カイルは真っ直ぐな瞳でユリーベルに尋ねた。

「——また……また、誘ってもよろしいですか……!?」

その問いかけに、ユリーベルは一瞬驚いた後、すぐに微笑む。

「……ええ、勿論ですわ。」


友達と呼べる人間は、今までいた事が無かった。

そもそも必要無いと思っていたし、人と馴れ合うのは嫌いだ。

貴族というのはその友達という関係の糸の間に欲望を挟み込む。

それが大嫌いで仕方がなかった。

でも、ここまで裏表なくユリーベルに話をしてくれたあの子犬のような男の事を、少なくとも、もう嫌いにはなれない。


——きっと、こういうのが友達というのね。


ユリーベルは馬車の窓にもたれ掛かる。

コツンと頭をつけたその窓に反射した自分の顔が、少し赤く色付いていたのはきっと、ユリーベルが初めての友達を作れた嬉しさからだろう。

——だから、この胸の高鳴りもきっと初めて友が出来たせいだわ。


きっとそうよ、とユリーベルは静かにそっと瞼を閉じた。

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