第7話 誘いの風が靡く時

ニタリと、妖艶に笑った男は、自らをこう名乗った。


——魔法使いのハルムンと申します。


「じゃ、無いわよ!貴方それ、偽名でしょ!」

シュベルバルツ邸に戻ったユリーベルは、大賢者である男を問い詰めていた。

朝と同じようにユリーベルの自室で、男はくつろいでいる。

ソファーに横たわり、ふああ、と欠伸をかいている。

「いいだろー?偽名でも。お前だって、名前がある方が呼びやすいだろ?つーかお前だって俺の本名知らねえくせに?」

大賢者……もとい、魔法使いのハルムンははあ、とため息を着く。

「それに、大賢者です、なんて言えねえし。普通信じないだろ?」

「私には堂々と宣言したじゃないの!それだけじゃなくて……まさかこの家に住むことになるなんて……。」

部屋の中央に置かれたソファーから起き上がったハルムンは、悠々自適にティーカップを持つ。

「仕方が無いだろー?お前の姉に勧められたんだから。あの、シュベルバルツ公女様に言われてしまえば拒否も出来ませんことよ?」

「敬語は正しく使って頂戴……。それに!!それは、貴方が恩着せがましく『行く宛てがない』なんて言うからでしょう?全く……お姉様の優しさに付け入る様な事をして……。」

軽々と嘯くハルムンに、ユリーベルは頭を悩ませる。

行く宛てがないと嘘を軽々しく口にしたハルムンに同情したマリーベルは、涙ながらに、

「助けてくださった恩人が行く宛ても無く、困っていらっしゃるなんて!宜しければ私の屋敷でしばらく過ごしませんか!?部屋なら沢山ありますので!」

と、ほぼ強引にハルムンを連れて帰ったのだ。

とはいえ、姉であるマリーベルの好意を無駄にする訳にもいかず。

とりあえず、ユリーベルの隣の部屋を貸すことにしたのだ。

夕暮れ時。空は茜色に染まり、ゆっくりと日が眠りにつこうとしている。

窓から入ってくる風は昼間よりも少し肌寒い。

けれどそれが、ユリーベルに生を実感させた。

この冷たさを肌で感じられている今は、まだ心臓が動いているのだと。


思い返してみれば、今日はとても長くそして、散々な一日だった。

自分が死にゆく未来を知り、大賢者に出会い。町での騒ぎに、ハルムンの居候が決まり。

「——何だか、今日だけで寿命が縮んだわ。」

「馬鹿を言え!お前の寿命は最初から決まってるも同然なんだ、そう易々と縮むわけ無いだろー?」

さらりと正論をぶつけてくるハルムンに、ユリーベルは眉間にシワを寄せた。

……全く、この大賢者は……。

未来での出来事が分かっているからと言って、今のユリーベルが何か出来る訳でも無い。

強いてあげるなら、自分の仕事内容がマリーベルに知られない様に細心の注意を払うくらいだろう。

と、丁度、その瞬間だった。ユリーベルの中でずっと引っかかってていた事が、言葉となって頭に思い浮かんだのは。

そしてそれは、ユリーベルにとって最も重要な事でもある。


「……ねぇ、ハルムン。未来で私を告発したのは……誰?」


未来での出来事を話した時、ハルムンはその部分を隠していた。

今朝は、それよりも近い未来で自分が死ぬという運命を受け入れる事で精一杯だったけれど、何故そんな疑問が浮かばなかったのか不思議なくらいだ。

だってその告発者がいなければ、ユリーベルが死刑になる事も、マリーベルに見放される事も無い。

ハルムンは少しの沈黙のあと、ゆっくりと息を吸った。

ゴクリと固唾を呑んむユリーベルは、ハルムンを見つめる。

そして、ハルムンは声色を変えることなくその人物の名前を口にした。


「——このグラッサム帝国の、現国王陛下。サルファ・グラッサム。」


その名前を聞いた刹那、ユリーベルの頭にはある人物の顔が思い浮かぶ。

全てを燃やす赤い髪に、エメラルドの鋭い猫目。

玉座に座るその佇まいは、無言の圧で他を圧倒する。

帝国の為なら、全ての犠牲を厭わない冷徹で無慈悲な男。

それが今の帝国を滑る国王、サルファ・グラッサム。


その名前を聞いた時、ユリーベルはああ、と納得した。

彼なら、四大公爵家であるシュベルバルツの人間を告発する事も容易いだろう。

帝国にとって、否。彼にとって不必要だと判断された人間は皆切り捨てられ、地獄に堕とされる。

それがサルファ・グラッサムのやり方なのだから。

それと同時に、ユリーベルは悟ってしまう。


——この未来を変えることなんて、不可能なのでは?


あの男以外ならば、どうとでもなった。

口を塞ぐ事は容易い。自分の全てを引き換えてでも、殺す事は出来るだろう。

けれど、彼が相手なら。ユリーベルに勝ち目など無い。

「なんだ?怖気付いてるのか?あのユリーベル・シュベルバルツが?」

「うるさいわね……だって、だって……あの男は……。」


——サルファ・グラッサムは、ユリーベルが闇の力を使う事を知っている。


それは、ユリーベルの最大の弱点になりうる事だ。

この力を知っているのはユリーベルとサルファ、そして恐らくこのハルムンの三人だけ。

「あの男は狂ってるのよ。私じゃ、どうにも出来ない……。」

確定した未来を変える。自分が何とか生き延びる道を選ぶ。

サルファ・グラッサムを相手に、それが果たして可能だろうか。

そう考えるだけで、ユリーベルは絶望の淵に立たされた気分だ。

ぐにゃりと、視界が歪む。

今、自分が生きているという事が。その事実が彼女をより一層恐怖の道へ誘っていた。


カタカタと唇を震わせ、青ざめた顔で立ち尽くすユリーベルを見たハルムンは、黙り込んだ。

ハルムンがユリーベルにこの話をしなかったのは彼女が戦意喪失する事を恐れたからだ。

未来の希望を捨て、何もかも諦めてしまったらと。

その予想は今、現実になろうとしている。

けれど。そんな事は大賢者である彼自身が許さなかった。

ソファーから立ち上がり、ユリーベルの前に立ったハルムンは真っ直ぐな瞳で口を開いた。


「——なら諦めるか?全てから逃げ出すか?自分の姉すらも放って、国の外にでも逃亡するか?確かにそれなら、お前は生き残るかもしれない。……が、それはお前のやり方じゃねぇだろ、ユリーベル・シュベルバルツ。」

「——ハルムン?」

「お前はいつだって、どんな困難にも全力で向き合ってきた。それがお前という人間だったはずだ。どれだけ汚いやり方でも、どれだけ残酷な事でも、お前は姉の為になら、何だってこなしてきた。なら——」

決して、勇気づける為では無い。

ただ、ユリーベルがここで何もかも投げ出してしまえばハルムンの願いは何一つ叶わなくなる。

それだけだった。


「——なら、ユリーベル・シュベルバルツらしくいろ。怖気付くな。未来を拒め!全力で否定しろ!」

ハルムンはユリーベルの肩を掴んで、真っ直ぐな瞳で訴える。

「で、でも……どうすれば……。」

今のユリーベルは、自分で道を選べる程強く無い。

弱々しい瞳で見つめるユリーベルに、ハルムンはある提案を持ちかける。

「方法は、ある。」

それは、恐らく誰しもが予想しなかったものだった。

勿論、ユリーベルですらも。

何故ならそれは、この国を壊す事だから。自分の姉の未来すら、破壊しかける禁断の方法。

その発言が、ユリーベルを新たな道へ誘う。


「——お前が、あの男を玉座から引きずり下ろせ。ユリーベル。」


それはつまり、『この国に反逆しろ』と。そう言ったに等しい意味だった。

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