第5話 小国と弱き王

「——これで良し。」


自室に戻ったユリーベルは、机の上に散乱する書類をひとつに纏めていた。

とんとん、と十数枚の紙を積み重ね、机の中心に置く。

「それは?」

突然部屋に押しかけてから、あの大賢者は帰る素振りを見せない。

それどころか、ユリーベルのやる事なす事に興味津々だった。

「お金……税金に関する報告書よ。その土地を任されている領主には、町の税金から十五パーセントを帝国に納める決まりになっているの。だけど……」

「ああ、いわゆる横領と言うものか。人間の欲はいつだって汚らわしいな。」

そう、賢者の言う通りだ。何度計算しても、ある領地の納めている金額が合わない。

「それを取り締まるのがシュベルバルツの役目というなら、今からその領主に逢いに行くのか?俺も一緒に行こう!」

大賢者はそれが正解だと言わんばかりにユリーベルに尋ねた。

しかし、ユリーベルは首を横に振る。


「いいえ、違うわ。——横領した分のお金を、領主に貸し与えるのが、シュベルバルツのやり方よ。」


それはどうやら、大賢者でも理解が追いつかないらしく。

彼は目を丸くさせながらユリーベルを見詰めた。

「……何の為に?それではお前の方が不利益になるだろ?」

「貸しを作るというのは、大切な事よ。それがお金であるのなら尚更ね。それに、もしも返せないと言うのなら、私には領主を抹消する大義名分がつくでしょ?」

おお、と男は関心しながら、然してはぁとため息を漏らす。

その顔に「面倒くさそう」と書いてあるのは、見え見えだった。

「人間同士の考えはよく分からん。人の上に立つ者の考えともなると尚更な。」

「そう?なら貴方は今までどんな場所で暮らしてきたのかしら。」

「おーっと、その手には乗らねぇぜ?ミステリアスな男の方が魅力的だろ?」

もしかして、この男はナルシストなのだろうか。

言葉の節々から、段々とユリーベルは苛立ちを覚える。


「ところで、話は変わるんだが。。何故お前はさっき、俺が街を破壊しようとしたのを止めた?ただ単に事後処理が面倒だから?それとも民を想っての事か?」

大賢者の問いに、ユリーベルは椅子から立ち上がる。

くるりと回れ右をして、窓の外を眺めた。

「それもある。けれど、この辺一帯はシュベルバルツが統括している土地なのよ。」

窓の外に広がるのは、色とりどりの屋根。そして青い空。


帝国が誇る四大公爵家、その一家。シュベルバルツ。

それは、過去十年の間に上り詰めたものだった。

「元々ね、シュベルバルツは一つの国だったのよ。小さな王国だったけれどね。」

その名を、シュベル王国。ユリーベルの先祖が造り上げたその国では沢山の国民が笑い、幸せに溢れていた。

彼女、ユリーベルの父はシュベル王国の王だった。

……けれど、ある日突然、父であり国王のアルカーベル・シュベルバルツは言った。


『——この国は、グラッサム帝国の属領となる』


寒空の中、集まった国民に、ユリーベルの父親はそう告げた。

あまりにも唐突すぎる発言だった。本来なら、有り得るはずのない出来事に国民は皆、混乱状態だった。

そんな時、国民の一人が声を上げた。

「何故、戦わなかったのか!」

今からでも遅くない、皆で抵抗しようと。そう声を上げる者は瞬く間に増えていた。けれど、国王であるアルカーベルはそれを許さなかった。

「——ならん!!我々は武力を行使せず、帝国の軍門に下るのだ!!」

父親が国民の前であんなに声を荒らげた姿を見たのは、初めてだった。

それでも反逆の意思がある者には裁きを下し、その権力で無理やり国民の意思を押し潰した。


「その時の父は、温厚で優しい父では、無かったわ。だから多分、裏で何かがあったんだと思う。帝国とお父様の間で何かが……。」


それは、父、アルカーベルを一番近くで見ていたユリーベルだからこそ分かる事だった。

前に、母が父に尋ねていた所をこっそり目撃してしまった。

「何故、帝国に下ろうとお考えになられたのですか?」

目の下にはクマができ、頬はたるみ、やせ細ったアルカーベルの手をそっと掴み、母は尋ねた。

虚ろなその瞳の中、アルカーベルは掠れた声で、こう言った。



「——それが、皆が一番、幸せになる方法だった。」


その時の父は、とても幸せを望む人間の顔では無かった。

下唇を噛み締め、悔しさの残る顔。

幼いユリーベルは、父であるアルカーベルのその表情を脳裏に焼き付けていた。



「私は父が何を考え、何を思い、そうなさったのか。それを知らないわ。けれど、父が残してくれたこのシュベルバルツの名と、シュベル王国の元国民を守る義務がある。私には、それを為す責務が。」

シュベル王国が帝国の軍門に降り、アルカーベルは捕虜となる。国民は皆帝国に虐げられ、苦しい日々を送るのだと。

そう誰しもが思っていた。けれど、帝国の国王陛下はシュベルバルツに公爵位を与えたのだ。

過去の歴史上、それは前代未聞の事で誰もが驚いた。

それまで三大公爵家と呼ばれていた者たちにとっては喜ばしい話では無いだろう。

そしてそれは、元シュベル国民も同じだった。

シュベルバルツが公爵家となった時、シュベル国民達は最初こそアルカーベルを恨んだ。

「最初から公爵の爵位を与えられる算段だったんだ」

「あの弱き王は我々国民を裏切った!」

しかし、アルカーベルのお陰で国民達が普通の平民として生きられている。

それを彼らが知るのは、アルカーベルが死んだ後、マリーベル・シュベルバルツの新当主就任の儀での事だった。


「私の父は確かに、シュベル国を売りました。しかしそれは、父が誰も傷付いて欲しくないとそう思ったからなのです!忘れてはなりません。私の父、アルカーベル・シュベルバルツは、誰よりもシュベル国民を愛していたと!!私はそんな父を王として、そして父として尊敬し、敬愛しております!」

マリーベルの言葉に、皆が心を打たれた。

そして、そんな心の強い少女がシュベルバルツ家の新当主になる事を、皆が祝福したのだ。

こうして今のシュベルバルツ領は、安定を取り戻した。


けれど、貴族同士の確執はもっと根深く、複雑である。

マリーベルが当主になっても尚、シュベルバルツ家を良く思わない貴族は数多くいるのだろう。

だからこそ、シュベルバルツ家が有能であると知らしめる為に、ユリーベルは今を生きている。

その全てに、『姉の為』という言葉が入るけれど。


「もしもシュベル王国が健在していたのなら、間違えなく次期国王はお前だったろうな。」

「……どうかしら。私は自分の能力不足を知っているわ。私という人間がどれだけ弱いのかも。」

涼風を浴びながら、ユリーベルは俯いた。ユリーベルの長髪が鼻を擽る。

「でもね。だからこそ、守りたいと願う者は全て守るの。それが私に出来る唯一の事なら。」

その中心には、いつだってマリーベルがいた。

彼女の笑顔は周りを幸せにする。明るく空を照らす、太陽の様に。それは妹であるユリーベルが一番良く知っていた。


男はそんなユリーベルをただ眺めていた。

ユリーベルが姉の話をする時、いつも楽しそうな表情になる。マリーベルを想う時間が、一番の幸せだと言わんばかりに。

それと同時に、ふとある光景が頭の中に浮かぶ。

それは遠い日の、泡沫の日々。

そんな事を想像して、そして直ぐに思考を停止させた。

ただ、目の前で微笑んでいるユリーベルを見ているとどうしてか胸の奥がズキッと痛む。

その理由を知りながら、男は気づかないふりをした。

「好きなんだな、自分の姉が。」

「ええ、好きよ。私の何に変えても守りたい人だから。」

そのユリーベルの笑顔に嘘も偽りも無かった。

ただ心の底から姉を敬愛している妹がそこにはいたのだ。

大賢者である青年は、それがどうしてか満足出来なくて。

その心の中に渦巻いている黒い感情を、彼は必死で呑み込んだ。


「あら、もうこんな時間なのね。そろそろお姉様との約束の時間だわ。」


壁掛けの時計を見たユリーベルは慌てて支度を始めた。

何処に行くのかと、大賢者が尋ねればユリーベルはにこりと微笑む。


「これからお姉様とデートなの!」


その嬉しそうに弾む声に、男はまたしても胸をちくりと刺される痛みに襲われた。

あっという間に身支度を整えたユリーベルはスキップ混じりの足で扉へと向かう。

「それじゃあ私は行くから。貴方もそろそろ、自分の家に戻りなさい。」

そう言い残し、ユリーベルは男の前から姿を消した。

パタンと、扉がしまった残響がユリーベルの部屋に冷たく響く。


ユリーベルが居なくなった部屋で、男はぽつりと窓に向かって立っていた。

一つ目の目的、ユリーベルの記憶を過去に送る事には、成功した。

だがまだ、計画は始まったばかりだ。事は慎重に進めなくては。


——何故なら、『今回』がきっと、最後になるだろうから。


その為にもまずは、ユリーベルの信頼を得る所から始めようか。

「自分の家、ねぇ……。」

ニタリと笑うその姿は、賢い者の表情とは言えない。

寧ろ、子供が悪知恵を働かせる時の顔だった。

「これは、良い生活が始まりそうだ。」

そう呟いた大賢者は、ふわりと宙に浮いた。

そしてこの部屋に入った時と同様に窓から外へと向かう。

大賢者である彼が何を企み、そして何をしようとしているのか。

ユリーベルは、想像もしていなかった。

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