ユリの花に愛と復讐を込めて

桜部遥

第1話陽の届かない暗闇の中で

帝国歴262年。ユリーベル・シュベルバルツは、帝国で一番の呪われた公女だった。

「見ろよ、ユリベールだぞ。」

「ああ、悪魔に呪われてるっていう女?」

「手枷をはめられてるとはいえ……おぞましい。」

カチャリと、手枷を繋ぐ鎖が揺れる。兵士に囲まれて、覚束無い足取りで歩く一人の女。

今まさに、彼女の未来が決まった所だった。その場に立ち会った誰もが望んでいたであろう、少女の未来。


——ユリーベル・シュベルバルツは、明日処刑される。


その艶やかな黒髪は、魔女のようだといわれ。その美しい漆黒の瞳は全ての闇を飲む混むと噂された。

少し前まではその人ならざる美しさに、国民の誰もが目を輝かせていたというのに。

今ではその尊敬の眼差しは、憎悪の視線に変わる。

過去の栄光は全て、今という闇の前ではただ霞むのみ。

けれど、彼女にも愛する者がいた。

唯一の家族。ただ一人の姉。

——マリーベル・シュベルバルツ。

白みがかったブロンドヘアーはふわふわと雲のように流れ、エメラルドの宝石を埋め込んだような瞳は祝福の象徴だと言われた。

ユリーベルは、マリーベルが大好きで仕方がなかった。

たった一人の家族。唯一の肉親。国民からは聖女だと言われる程の眩い輝き。

ユリーベルは、当主であるマリーベルがやるべき責務を一人でこなし、帝国からの命を一人で請け負い。

シュベルバルツ家が背負うものを一人で背負った。

それはお世辞にも、良い仕事とは言えないものばかり。帝国に仇なす不穏分子の排除。反逆者の抹殺。

彼女の手は、真っ赤な血で染まりきっていた。

けれど、その真実をマリーベルに語る事は無く、同情も見返りも求めない。

何も知らないマリーベルは、食卓で無邪気に微笑む。

今日あったこと。明日やりたい事。ユリーベルはそれを聞きながら食事をする時間が一番幸福だった。

例え自分がどれ程醜くても、姉が幸せならばそれでいい。

彼女の中で、姉の幸せこそが自分の幸せだと。

そう思い込んでいたのだから。

心優しく、誰に対しても分け隔てなく接し、笑顔が良く似合う姉。誇らしい。愛おしい。

だから、ユリーベルは信じていた。

姉であるマリーベルが、シュベルバルツ家の闇を知ろうとも。その為に、ユリーベルが沢山の人を殺していても。

ユリーベルに、悪魔の力が宿っていても。

マリーベルはユリーベルを愛してくれると。許してくれると。

その光景が、小さな光にすがろうとする憐れな姿だったとしても。


それが例え、牢獄の中であろうとも。

「……ユリ。」

近くでポタリと水が垂れる音がする。

小綺麗なドレスに身を包んた少女の後ろに立っている護衛が、小さな光を灯す。

それが、ユリーベルには救いに見えていた。

二人の姉妹の間には、熱のない冷徹な鉄格子が立ちはだかっている。

自分を見下ろしている姉。目を細めている顔ですら、美しい。

「姉様……私は……私は……お願いですお姉様。」

ユリーベルは拙い声で懇願する。必死に姉に縋りつこうと、マリーベルのドレスを掴んだ。

汚らわしい泥がベッタリとついたその手で。


お願いです。どうか、どうか私にその手をさし伸ばして下さい。私に微笑みかけてください。

世界の誰もが私を悪女だと言おうとも、お姉様が私を信じてくれるのなら。

——それだけで私は、救われるのです。

だから……。

そんな、ユリーベルの甘い考えを叩き落とすように、マリーベルの冷たい声が響く。

「何故私に全てを話してくれなかったのですか。何故私を騙したのですか。」

「……!違います!私は、私はただお姉様の……っ!」

お姉様の幸せの為に、自分が汚れることなんて、どうでもよかったのです。

ただ、お姉様が笑ってくれれば、それだけで……。

ユリーベルは自分の本心を言葉に出来ないまま、唾で飲み込んだ。


「もっと早く私に話してくれなかったのは、私を信頼していなかったからでしょう?」


マリーベルの声はとても冷たかった。ユリーベルの心に突き刺さる氷の刃。

「ちっ……ち、ち、ちがっ……違います…お姉様……私は……!」

するりと、ユリーベルの手のひらから布がすり抜ける。

マリーベルはくるりと鉄格子に背を向け、ユリーベルを突き落とすように言葉を吐いた。

「——私は、決して妹であろうと悪行は許せません。さよなら、ユリ。私は、今まで貴女を愛していました。」

コツ。コツ。ヒールで岩を弾く音が頭の中で響く。

なぜ、なぜですかお姉様。私は今まで貴女の為に……!

目の前がぐにゃりと歪む。


「……いやっ、いやです!待ってくださいお姉様!!」


マリーベルの綺麗なブロンドの輝きが段々と小さくなっていく。

届かない。届かない。ユリーベルが伸ばしたその手は決して、姉には届かなかった。


「……いやあああああああああ!!!!」



ユリーベルの悲痛な叫び声が牢屋の中に響き渡る。

唯一信じていた自分の姉にも見放され、あとは明日の死刑を待つのみ。

今の彼女にはもう、何も残っていない。

ばたりと倒れ込むようにユリーベルは空を仰ぐ。

色も、温度も無い天井。今の自分にはとてもお似合いだ。

どこで間違えたのだろうかと、ユリーベルは過去を見る。

どこで……どこで……?

そんなのきっと、この世界に産み落とされた時からだ。

そして、姉に見放された自分など生きていても仕方がない。

ここで死ぬというのなら、それを甘んじて受け入れよう。

ユリーベルにはもう、抵抗する力も起き上がる余力も残っていなかった。


明日。ユリーベル・シュベルバルツは帝国一の大悪女という汚名を被って処刑台に立つ。

公爵家の人間が処刑されるのだ。きっと国王のサルファ・グラッサムも来るのだろう。

沢山の罵詈雑言と、民衆に見守られて、私の人生は終わるんだ。

ユリーベルは、そんな近い未来を想像して一人笑う。

「……はっ、はは。」

結局、私の味方なんて誰もいなかったのね。

そう分かってしまった。もう誰もユリーベルを助けてはくれない。手を差し伸べてはくれない。

この二十年間、帝国の為に命を捧げたのに。

ユリーベルは、ゆっくりと瞼を閉じる。


——嗚呼。私、お姉様に拒絶されたというのに。それでもやっぱりお姉様を憎めないわ。


それが、ユリーベルの人生最期の感情だった。

次目を覚ますのはきっと、処刑日の朝。折角だ。最期の朝日は人生で一番美しいものであればいいとユリーベルは、そんな事を考えながら眠りに着く。


深く、暗い海の中に沈んでいく感覚。

水の水圧で身体は思うように動かず、本当に自分の身体なのかと疑問に思う程だ。

いつになったら、水底にたどり着くのだろう。

まるで、始めから終わりなんて無かったかの様に、ただひたすらに落ちていく。

そんな朦朧とする意識の中で、ユリーベルの頭に音が響いた。


「……だ。…………で、……ら!」


籠った声は、上手く聞き取れない。

声のトーンから、性別が男であることは何となく理解出来た。

段々と膜が破れ、男の声はクリアになっていく。

「……諦めない。俺は、絶対に諦めない……。」

その声は、今にも消えてしまいそうなくらいか細くて。

悲しみと、苦しみの混じった声だった。


「……例えこれが『最後』でも。俺は絶対に諦めない。あの日からずっと、お前だけを守ると決めたんだ。だから、待っていてくれ。どれだけ遠い未来でも、俺はお前だけの為に生きるから。」


その声が誰に向けられたものなのか、ユリーベルは分からなかった。

ユリーベルには親しい男友達も、恋人も居なかった。だから現実的に考えて、この声が自分に向けられたものでは無いとユリーベルは察する。

——なんて情けない声なのかしら。男ならもっとカッコつけなさいよ。

そんな、怒りにも似た感情を闇の中でぶつける。

ユリーベルは、声の主がどんな顔で居るのかは知らないけれど、その声だけで想像つく。

だってこんなにも弱々しく、でも必死に相手を想う心で満たされたその言葉に、男の全ての感情が詰まっているのだから。


「——愛しているよ、×××。」


最後に、男が何と言ったのか。ユリーベルは聞き取れなかったけれど。

薄れていく意識の中で、彼女は少しだけ願ってしまったのだ。


どうせなら明日死ぬ私の分まで、幸せになりなさいよ。


そう。だって次に目を覚ましたら、私は死ぬのだから。

そんな罪人が最後に人の幸福を願うのは、果たして罪だろうか。


そして、ユリーベル・シュベルバルツはその瞼をこじ開ける。

その先に待つ最期の朝日を拝む……はずだった。

「……え?」

そこは冷たい岩も無く。錆びた鉄格子も無い。

知っている。この景色を。この光景を。

だって、ここは……。


「——おはようございます。ユリーベル様。」


ユリーベルが目を覚ますと、そこは牢屋ではなく……自分のベッドの上だった。

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