めざせ、持続可能な研究生活~没落令嬢のふわふわ頭は畑でいっぱい

大森都加沙

没落おめでとうのお祝いと、幼馴染からの求婚

「「「おめでとうございまーす」」」


 家族5人で声を合わせて乾杯した。コップの中身はお茶。うちは全員お酒が飲めない。


 食卓に並ぶのは、弟のコレントが手間をかけて作ってくれたご馳走ばかり。今日は長年働いてくれた鶏を大切に処理したので、とても豪華な食卓になっている。


 特に、薄切りの鶏肉に細切れの端肉や内臓、穀物、卵などを混ぜて包み油で揚げた料理は、コレントが配合したスパイスが効いていて、いくらでも食べられてしまう。家族みんなが大好きなメニューで、お祝いの時には必ずと言って良いほど食卓にのぼる。


「命の恵みに感謝」


 父の声に全員で瞑目して生命の糧となってくれた万物に感謝する。コレントが私たちの皿に料理を取り分けようとしてくれた時だった。


「アーレンツさん! ライニールです!!」


 大声と共に、扉の叩き金を打ち付ける音が鳴り響いた。あれはハルガンだ。うちにはもう、住み込みの使用人が一人もいないので、用がある人はあのように大声で中まで呼びかけなければならない。


「私、行ってくるね」


 席を立とうとする父を制して、食堂から飛び出して玄関まで走った。この屋敷は古いけれど広さだけはある。


「いらっしゃい!」


 扉の向こうにいたのは、やはりハルガンだった。ライニール男爵家の嫡男で、私の幼馴染の男の子。走って出て来た私よりも息を切らして汗をかいている。いつも私がうらやましく思う金色でさらさらの髪が、汗と共に束になり、額に張り付いてしまっている。


 ハルガンは春休みは領地に戻っていたはずだ。まだ少し肌寒いのにこれだけ汗をかくなんて、領地からここまで馬を飛ばしてきたのだろう。


 急いで屋敷内に通して近くにある椅子に座ってもらい、ハンカチを渡した。


「どうしたの? 何か大変な事でもあった? お水持ってこようか?」


 ハルガンは真剣な顔でハンカチごと私の手をしっかり握った。


「まだ聞いてないのか?」

「え? 何を?」


(まさか、ライニール男爵が約束を反故にする、とか⋯⋯?)


 ライニール男爵との約束をあてにして、お祝いまでしていたのに。胸がきゅっと縮む。


「お前の家、領地召し上げって」

「なあんだ、そのことか」

「え? なあんだ、ってお前――」


 ほっと息をついていると、私を追いかけて出て来たコレントが、満面の笑みでハルガンに手を振った。


「やっぱり、ハルガン! ねえ、ちょうどお祝いするところだから、ハルガンも一緒にどうぞ。僕、今日は張り切って美味しい料理作ったんだ」


 ハルガンは、血走った目で私とコレントを交互に見た。いつもは綺麗な水色の瞳で優しく微笑みかけてくれるのに、今日は少し怖い。そしてハルガンらしくない、厳しい低い声でぽつりと言った。


「お祝い⋯⋯?」

「うん、お父様の、領主卒業おめでとうのお祝いを始めたところだよ」


 コレントが、ハルガンの手を引いて立ち上がらせようとしたけれど、ハルガンは椅子から滑り落ちて、床に座り込んでしまった。



 ハルガンが食卓に着いてくれた後、改めて乾杯した。ハルガンは力なくお茶を飲んでいる。


 これは父の領主卒業のお祝いだ。


 父は小さくて貧しいアーレンツ領の領主だった。貧しいのは何代も前からのことだし、領主家族も領民もつつましいながらも、ちゃんと暮らしているから全て問題ないと思っていた。


 しかし、国王はそうは思われなかったようで、父は領主不適格と判断され、爵位と領地を召し上げられてしまった。


 それが3日前のこと。私たち家族は平民になった。


 知らせがあった時には、さすがの両親も動揺していたけれど、もともと領主という立場や貴族という身分にこだわりが無い人たちだ。この3日間で『困ったな』と思った全ての問題が片付いたので、すっかり身軽になってむしろ喜んでいる。


「本当に、ハルガンのご両親には何とお礼を言っていいのか」


 私たちの言葉に、ハルガンは怪訝な顔をした。


「俺が聞いたのは、アーレンツ領と爵位をあなた方が召し上げられてしまって、領地はうちが引き継ぐ事になった、ということだけで⋯⋯」


 ご両親からの話の途中で出てきてしまったらしい。父が続きを説明した。


 うちのアーレンツ領と、ハルガンの家のライニール領はお隣同士だ。家格も同じ男爵家ということもあり、両家は私たちが幼い頃から交流があり、私たち兄弟とハルガン含むライニール家の兄弟4人は、仲良く遊んで育った。


 家格が同じとはいえ領土が広く豊かで運営も上手いライニール家とうちでは世間からの評価も暮らしぶりも天と地ほども違う。それでもライニール家はいつでも、親切に私たちと付き合ってくれていた。


 召し上げられたアーレンツ領は今後、ライニール領に統合されて一緒に運営してもらうことになっている。領主が性に合わない父にとっては、願ったりかなったりの出来事だった。


「とはいえ、何個か問題があってね。そのほとんどを、君の御父上のライニール男爵が解決して下さったんだよ」


 父が胸に手を当てて感謝の気持ちを表す。


「まず、この屋敷と畑を、このまま使わせて頂けることになったんだ。しかも、とても安い金額で貸して下さるとのことだ」

「この齢で、新しい土地での暮らしを始めるのは心細かったから、本当にありがたいですよ」


 祖母も同じように感謝の気持ちを表した。領地と屋敷以外の、家財や蓄えは幸いにも召し上げられていない。住む家と畑があれば、この先も暮らしていくくらいは困らない。


「それから、僕を王都のライニール邸で預かって、学校にも通わせてくれるって!」


 ハルガンの隣に座っていたコレントは、ハルガンの手を握り締めて感謝を表した。


 王立学校は貴族の子女が通う学校なので、貴族の身分を失った私たち姉弟は、学校に通学する権利が無くなってしまった。でもコレントは、ライニール家預かりとして学校に通わせてもらえる事になっている。


 ハルガンと兄弟たちは、王都にあるライニール邸から学校に通っている。ほとんどの貴族は、領地の他に王都にも邸宅を構えている。その王都の邸宅で、中等部3年生のコレントを高等部の卒業まで預かってくれるというのだ。


「これで、何の心配もないよ! 本当に君のご両親には感謝している」


 また乾杯する私たちを力なく眺めていたハルガンは、向かいに座る私に目を向けた。


「ミレットは?」


 そこで、母が苦笑した。


「ライニール男爵はご親切にも、この子をあなたの婚約者として迎えて学校まで卒業させてくれる、っておっしゃったのよ」


 ハルガンが驚きで目を見開く。


「ごめん、大丈夫よ! さすがに受けたりしないから、安心して!」


 私が慌てて言うと、家族全員が笑った。


「いくら何でも、この提案はハルガンが可哀そうね」

「お気の毒に思って頂いた気持ちはありがたいけど、さすがにね」

「ハルガンも、勝手にこんなこと決められたらたまらないよね」


 よほどの衝撃だったのか、放心するハルガンを安心させようと、とっておきの計画を話してあげることにした。


「それでね、私、旅に出る事にしたのよ」

「旅に?」

「そう。北か西。北で果物の論文を書くか、西で穀物の論文を書くか。まだ迷っているから、明日先生に相談しようと思うの」


 私は研究院に入って研究者になる事を目標に、小さい頃から勉強に励んできた。貴族の子女だけが通える王立学校とは違い、研究院は能力が認められれば平民でも入ることが出来る。お給料を頂きながら、高度な学問を学び、研究に取り組むことができる素晴らしい所だ。


 本来は王立学園の高等部相当の学校を卒業し、論文の審査に通らないと入れない研究院なのだけど、私は農学についてだけは高等部レベルを遥かに超えているため、一部の学科だけは既に学ばせてもらっている。


 学校に行けなくなっても、3年生を卒業するはずの時期までに、素晴らしい論文を書けば正式に研究院に入ることができるはずだ。


「そのために、論文を書く調査の旅に出ようと思うの。その旅費くらいは、蓄えから出せるってお父様も言ってくれているし、素敵な話でしょう?」


 父が優しく頷いてくれた。


「旅⋯⋯」


 ハルガンは放心した様子で力なく食事をした。


 その元気がない様子が心配で、帰路につくところを見送ろうと厩舎まで一緒に歩いた。その間も、彼は何かを考え込んでいて一言も話さない。無理もない。うちの窮状を聞いて心配して来てみれば、のんきにお祝いをしていたのだ。さぞ驚いたことだろう。


 水を汲んできて、もう一度ハルガンの馬に与えると静かに飲み始めた。馬が満足するのを二人で静かに待つ。


「急いで来てくれたのは、うちの事を心配してくれたからよね。ありがとう」

「本当に、大丈夫なのか?」

「あれが空元気に見える?」


 笑ってみせたけど、ハルガンは沈んだ顔のままで笑顔を返してくれない。


「うちが貴族らしくない事は、よく知ってるでしょう? うちの家族全員、本当に今回の事は良かったと思っているの。領地だって、うちの父よりも、あなたのお父様にお任せした方が上手く運営して頂けるから、領民も喜ぶはずよ」


 本当に心からそう思っている。それでもハルガンは痛ましそうな顔で私を見る。


「⋯⋯研究院を目指す君が、学校を続けられないじゃないか」


 心配はありがたいけれど、もうその事には触れないで欲しい。ちゃんと生活していけるだけでもありがたいのに、それ以上を望むのは私のわがままだ。


「ねえ、ミレット。学校を辞めないで、コレントと一緒にうちに来ればいいじゃないか」


 馬が水を飲み終わったようだ。私は桶を片付けようと、残った水を地面の溝に流す。


「ありがとう。でも平民とはいえ年頃の女の子を預かったりしたら、口さがない人たちが、ある事ない事言うのは想像つくでしょう。あなたや弟さんたちの評判に傷がついてしまう。だから婚約なんて、とんでもない話が出ちゃったんじゃない」

「婚約しても構わない、そう言ってるんだよ!」


 いつになく真剣な口調に驚いて顔を向けると、水色の瞳が、しっかり私に据えられていた。私は桶を置いてハルガンの方体を向けた。


 小さい頃から、ずっと親友のように育ってきたけれど、背丈が私を越えたあたりだろうか。いつまでも子供っぽい私とは違って、ハルガンは少しずつ頼れるお兄さんになっていった。今ではすっかり、妹のように扱われているし、私も兄のように思っている。


「ミレット。俺は君のことが心配だ。俺の婚約者としてうちに来てくれて構わないから、旅に出るなんて言うなよ」


 今ではハルガンの背は見上げるほど大きくなっている。もうすっかり男の子ではなく大人みたいだ。優しいハルガンは私のことを見捨てられずに、手を差し伸べてくれている。


「本当にありがとう。でも、心配しなくても大丈夫だから。学校に行けなくても、ちゃんと論文を仕上げて研究院に入ってみせるから」

「でも、誰からの指導もなしに論文なんて書けるのか? そんな苦労しなくても、うちから学校に行けば済む話じゃないか」

「先生はきっと、私が学校に通えなくなっても論文の相談に乗ってくれると思う。乗ってもらえなくても、私は一人で頑張れる」


 先生。私が心から尊敬する教授。先生の事は今は考えたくない。


 ハルガンはまだ険しい顔をしている。


「もし、先生が相談に乗ってくれなかったら、その時は頼ってもいい?」

「もちろんだ。絶対に遠慮しないで頼ってほしい」


 多分頼らない。でもこうでも言わないとハルガンは引いてくれないだろう。私は不安を心の底に押し込んで、ちゃんと平気そうに見える笑顔を作った。


「心配してくれてありがとう。⋯⋯触る?」


 私は桶を置くとハルガンに向き合って、顔をうつ伏せた。背中に流れていた髪が、頭の横にふわふわと垂れる。ハルガンは黙ってうなずくと私の頭をモフモフ触った。


 私は生まれた時から密集したくるくるの毛質で、それはとても柔らかくふわふわしている。見た人は、みな触りたがる。うちの家族も私とすれ違うたび挨拶のように触るし、ライニール兄弟もみんな会うとまず頭をモフモフしてくる。ハルガンも例外ではない。


 しばらくモフモフした後、ハルガンはやっと笑ってくれた。


「気を付けて帰ってね」

「うん、学校が始まるまでは領地にいるから。何かあったら絶対に連絡くれ。旅の行先が決まった時にも絶対に教えて欲しい。何も言わずに出発したりするなよ」


 見送ってから、私は夜空を見上げた。


(明日、先生に相談する内容を、文書にまとめよう)


 学校に通えなくなるのは、それほど残念ではない。これは本音だ。でも、先生に会えなくなることだけは、とても辛い。これは家族の誰にも言っていない。

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