Case1-9 矢上藤次郎

 その顔には、目も、鼻も、眉も無い。それどころか、頬や額といった本来あるはずの皮膚の余白すら余すところ無く存在しない。

 面上めんじょうの全てに、おぞましい数の口、口、口が、歯ぎしりの音を立てて密集していた。

 蠢動しゅんどうし、互い構い無しに引っ張り合う。よって唇は次々に裂け、仄暗ほのぐらい血液が至るところから滲みしたたっている。

 そんなものを、表情などと呼ぶことができようか。

 こんなものを、人間などと――。

 偽の記憶とはいえ、この見るに堪えない化け物と愛し合っていた事実が、矢上に吐き気を催させた。


 やがて女怪は、ふらりふらりと動き出す。

 咄嗟に怯んだ矢上であったが、どういう訳か女はどことも無く死体達の中を彷徨い始めた。

 これはおそらく好機だ。矢上は悟った。女怪は自分の存在に気づいていない。

 ――殺そう。確実に。


 深い呼吸を一つ。時間をかけて、できうる限りに音を殺して吐く。

 そして矢上は、女怪にょかいを警戒しながら、震える手を強張こわばらせて、慎重にライフルを探った。

 手を止め、空のマガジンを抜き取っていく。

 一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくのろく。神経を手に固め、ひたすら鈍く。

 ……抜き取った。

 それをボディアーマーのポケットにしまい、

 スペアと取り替え、

 再び、ライフルの装填口そうてんこうへ。

 女怪は依然、亡者のようだ。隙を見てちらと目を下にやった。

 あともう少しだ。焦るな。焦りを殺せ。矢上は自身を諭し、更に神経を指先に注ぎこんだ。

 故に、


『こちらC班!!――れか―応…!』


 突如耳をつんざいた不意。

 矢上は不覚にも、

 一驚いっきょうの音をあげてしまった。


 血の気が一気に引いていく。

 耳元ではやがて断末魔が流れ出したがそんなことを気にしている余裕はない。


 止まったのだ。歯ぎしりの音が。

 視線を女怪へと、恐る恐る移す。

 とらえたつま先は、こちらを向いていた。

 そして、

 ひたり ひたり と、

 冷たい音を立てて、つがいの方へ……。

 矢上は、いてマガジンを装填し、照準を女怪にょかいの顔面に合わせる。

 しかし引き金を引く直前、その指は止まった。


 脆弱ぜいじゃくおとしめられた精神はあっさりと怖気おじけにあてられてしまった。遅れて捉えた女怪のつらは、殊更ことさらに異様な雰囲気をまとわりつかせていたのだ。

 そのつらに満ちているのは、よろこび。

 優しく、愛おしげに、女怪の口は全てが微笑んでいた。

 そして、一つだけ、中心の口が開かれる。


「あなた。愛してる」


 そう矢上に対して、甘く、優しくささやきかけた。

 耳を疑った。その声色は、容貌にそぐわぬ、染み入るような媚声びせい。そのが、われぬ嫌悪感を醸し出す。

 しかし、その一言はただの始まりであった。

 一度発した口は止まらない。矢上へと、機械的に愛を伝え続ける。

 それは周りへと伝染し、やがては顔面全体へ蔓延まんえんしていく。我も我もと、口全てが愛を囁きだし、いてはどれが何を言っているのかもわからなくなっていった。


 すると、それらが次に始めたのは、『争い』。

 囁くに留めていた彼女達は、自身の求愛が恋敵共こいがたきどもに埋もれていることを察すると、それに焦り、自身が選ばれないかもしれぬ結末を恐れだす。

 ともなればできることは、この醜女しこめらよりも強く、彼に想いを伝えることのみ。


 次々と、彼女達は声量を上げ始める。

 囁きはざわめきに転じ、ざわめきはやがて、騒音の域にまで……。

 った食い物に群がる畜生のように、を押しのけ、己を無理矢理にでも押しだす。

 飛び交う、女の絶叫。

 歯をむき出し唾を飛び散らせ、愛言まなごとわめき散らし、激しく形を歪ませて血を噴き出す。

 液にまみれて暴れ回るそれらに愛情など存在しない。邪魔する他への憤怒と憎悪が、苛烈かれつ拍車はくしゃをかけていく。


「うるさい…うるさい…やめろ…」


 その混沌的状況が、矢上の意識を浸蝕していく。

 一人の男の消え入りそうな声など、すぐさま潰され無かったものにされる。


「やめろ…やめろよ…うる うるさいんだよ…やめて…やめてくれって…!」


 それでもなお続けて訴えかける。それしかできなかった。同じ訴えを、何度も続けて言うことしか。

 矢上の気は、とうに触れてしまっていたのだから。


「やめろ! だまれぇぇぇぇぇぇ!!」


 その叫びが女怪にょかいを誘うとも知らない。

 次の瞬間、こちらへと、馳走ちそうたかるべく女怪が走り迫ってきた。


 今度こそ矢上は引き金を引いた。過剰なまでに強く。冷静さのかけらもない。ただ、我を忘れてやったこと。

 しかし放たれた弾丸達は全く意味をさなかった。

 女怪の顔面に届いたそれらが、後頭部を貫通することはなく、その口内の奥にはびこった闇の中へと全て呑み込まれていくのみであった。


 ……そして弾が切れる。だが矢上は気づかない。

 その目が、狂怖きょうふにかっぴらかれる。

 視界いっぱいは、既に彼女達で埋め尽くされていた。






――――「すき」「今日はどこにでかけまし「あなたのものになりたい」実はね、お腹の「きっと私たちなら大丈夫」「いただきます」ているわ」「私のものに「今日、大丈夫だから」かわ「結婚してください」なたと結婚できて幸「私ね、今とっても幸せ」「明日は家で過ごし「何時に帰ってくるの?」「お願い、ギュッてして?暖めて「このドレス、「あなた」ってる?」になりま「愛してる」しょ?」た、あなた、あなた」かれさま。今日はゆっくり休んでて?おいしい「ずっと一緒」つくってあげる」会えて、本当によかった「絶対に離れない。離れたくない」がいないと駄「君だから好きなん「離さない」き締めたい。あなたのこと」で一番あなたが好「私のこと、好きだよね?」供、でき「離したくない」にきて?一緒に踊って?」「食べ「おいで?」「今まで会った中で、最「何でもする。あなたの為「きっと幸せになれるよ?」き。大好き」――――…………

 

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