2‐3 心の願いのままに
「K-3641……。それが私の本当の……」
呆然と、味気ないその『名前』を呟く。
「まぁ、アナタが生まれる瞬間を見たわけじゃないから、100%そうだとは言えないけれどね。あくまで私が知ってるのは伝聞と記録によるものだし。でも、他の追随を許さないその身体能力に人ならざる『力』の発現。腐蝕にも耐えるその体と再生能力。どれか一つを取ったとしても、今を生きるまともな人間が持つ能力じゃないわ。何らかの外的要因が加わってることに間違いはないでしょうね」
否定したいキソラの思いをハッキリと打ち砕くその物言い。
けれど、アステリアが語る真実は今まで自分が見て見ぬふりしてきた部分のことだ。キソラ自身、何も否定できないと心の奥底では理解している。
だからこそ、こちらを見る
「——ッ!!!」
「キソラッ!? どこ行くの!?」
重たい身体を無視し、ユウリを跳ね除けたキソラが保健室から裸足で飛び出していく。
ユウリが慌てて手を掴もうとするも、その手は届かない。震える身体を抱きしめるキョウカと、状況と情報を上手く飲み込めず固まっている邑上兄妹が保健室に残された。
「リア」
一言、ディアラが静かに声をかける。
その声にアステリアは表情を後悔で歪め、頭をかいた。
「分かってる、ちょっと焦りすぎた。駄目ね、相手を考えずに上から目線で何でもかんでも知ったように語るのは私の悪い癖だわ」
「行くのか?」
「ええ、こうなったのは私のせいだしね。彼女を連れてくるまで、ここを任せたわよディアラ」
「あいよ」
アステリアが踵を返し、開けっ放しの扉をくぐってキソラが出ていった方へと向かおうとする。
「あ————」
その直前、縋るようなユウリの声がアステリアに届く。
「大丈夫、ちゃんと連れて帰ってきてあげるから。あなた達は、その時に笑顔で迎えてあげて。彼女がちゃんと、本当の意味で帰ってこれるようにね」
そうして笑みを浮かべ、アステリアはキソラを追いかけて行った。
☆
「はぁはぁはぁはぁ……!」
逃げる、逃げる、逃げる。
すれ違う人々は、悲痛に顔を歪めて走るキソラを見てぎょっと驚いていた。
「はぁはぁ……。ここ……は……」
息が続かず、立ち止まって周りを見渡すと気づけば露店通りに立っていた。
腐蝕の影響で建物も道もあらゆるところが溶け、商売どころかまともな生活機能も失ったこの場所で、街の人たちは必死に補修作業に入っていた。
大人の男性らが
「あんなことが起きたのに……」
目の前の精気に満ちた光景を見て、目を細めてしまう。前向きすぎるかれらの姿は今のキソラには眩しすぎたのだ。
「——おおっ!? キソラ、キソラじゃないか!! お前、生きてたんだな!」
「ほんとだ! キソラおねえちゃんだー!!」
埋め立て用の培養肉を運んでいた男性がキソラに気付くと、その声に釣られてか、わいわいと老若男女問わずキソラの下に集まってくる。
その中にはヤマトとワカナも混ざっていた。
「キソラちゃん……! 無事だったのね……!」
「キョウカさんから目を覚まさないって聞いた時は気が気じゃなかったが、こうして元気そうな顔を見られて良かったぜ」
「ワカナさん……それにヤマトさんも……。良かった、二人も無事だったんだね……。って、あ……」
元気そうに笑顔を浮かべる二人を見て少し安心したのも束の間。
キソラの視線は、むき出しだった骨を落とし、肘から先が無くなったヤマトの右腕に注がれた。
その視線を受けてヤマトが苦笑しながら、左腕を上げる。
「気にするこたぁねぇよ。右腕は無くなっちまったけど、無いなら無いで左手で頑張るまでの話。オレの店がこんなんで潰されてたまるかよ」
力強く、拳を握ってヤマトは決意を示す。
「それに、お前さんに拾ってもらった命だ。死ぬはずだった未来が右腕一本だけで済んだんだ。へこたれるわけにはいかんよ」
「私……が……」
「そうだよ。キソラちゃんのおかげでお父さんも私も今こうして生きてるんだからね! 本当にありがとう!」
二人は心からの感謝をキソラに告げる。
ただ、心がざわめき続けているキソラには、正面から満面のその笑顔が受け取れず、思わず視線を逸らしてしまった。
そんな戸惑いを見せるキソラに、ヤマトは少しだけ驚くも、苦笑しておもむろにキソラの肩に左手を置いた。
——まるで肩の力を抜けと言わんばかりに。
「まぁ助けられた身で言うのはアレだが、キソラもあんまり無茶しすぎるなよ。なんか噂じゃ、得体の知れないバケモノが人を襲ったって話だし」
「————ッ!!?」
得体の知れないバケモノ。
その言葉が耳朶を打った瞬間、キソラの心臓が暴れ出した。
——人間を遥かに凌駕した能力の数々。まともな生まれをしていないクローン。
自分が人間ではないと知ってしまった今、そのバケモノが自分だと知られるのが怖くなったのだ。
「キソラちゃん!?」
「あ、おい!」
「ごめん……! ごめんなさい……!」
手を跳ねのけ、脱兎のごとくキソラは逃げる。これ以上追及され、ボロが出ない様に。そして、親しい彼らの眼が恐怖で満ちる前に。
ここにはもういられないと、涙を浮かべたキソラは宙を駆け、闇雲に辺りを彷徨って行った——。
しばらくして、立ち止まった先は廃墟となった高層建築群。あの日、人を殺し自分という存在が揺らいだ場所だ。
その様子はまるで、居場所を失いどこへ帰ればいいかも分からない迷子。雲一つない空とは裏腹に、キソラの心はどんよりと今にも雨が降りそうなほど曇っている。
「——ここにいたのね」
「……」
そんな時、背後から聞こえてきたアステリアの優しい声。キソラは俯き、なにも聞かないと言わんばかりの姿勢を取る。
そんな拗ねた子供の様なキソラに苦笑しながら、アステリアは構わず風を感じながら、キソラの隣に立った。
「良い街よね、ここあんな大きな被害があって、悲しむようなことがいくつも起きたのにもういつもと変わらない日常を送ってる。立ち直ってる……とはまた違うんでしょうけど、彼らは知っているのね。前を向きつづけなきゃ生きていけないってことを」
生きようとする意志を街全体から感じる
みんながみんな、他人を気遣いながら街の復興に勤しんでいる。
災害に襲われたのだ。悔しくないわけがない、悲しくないわけがない。
それでも、彼らは生き続けることを諦めていなかった。
「……そう、だね。この街じゃ理不尽なことは日常だから……。
「ふ~ん。随分と他人事みたいに言うのね。ずっとここで暮らして、今までその理不尽から多くの人を守って来たっていうのに」
「え……?」
アステリアのその言葉に、思わずキソラは振り返った。
見つめる金色の瞳には尊敬の念が宿っていた。
「どういう……?」
「私たちがこの学校に来れたのは街の人たちに聞いたからだけど、その時にアナタの名前を出したら皆真っ先に心配の声が上がっていたわ。よっぽど街の人達から愛されてるのね」
「…………」
キソラの脳裏に露店通りにいた人たちの安堵の表情がよぎった。
「普通、人はどうでもいい人のことを心配したりしないわ。ましてやあんなことが起きた後なら猶更ね。自分の事で手一杯でしょうに、それでも他人を想えるなんて中々できることじゃないわ。日頃の行いってやつかしらね」
お互いに支え合うのが当たり前という街とはいえ、この場にいない人間を心の底から気遣える人が一体どれだけいるか。
一人二人いればマシレベルのそれを、ここでは何人もの人がキソラを心配していた。
それもそのはずだ。これまでキソラは、記憶のない自分を優しく迎え入れてくれたこの街に恩返しする様に何人もの人の役に立っていた。
高い身体能力や気立てのいい性格で、小さなことから大きなことまで街の人たちの悩みを解決する。腐蝕が起これば率先して救助に行き、失われるはずだった命を救って来た。
何もしてくれない人に、人はそう懐いたりしない。
だからこそ、純粋に自分の『能力』を活かして助けてくれるキソラを街の人は心の底から信頼するのだ。
「アナタがまともな生まれをしていなかったとしても、彼らがアナタのおかげで救われたって事実は変わらない。そもそもね、どこから産まれたなんて気にしても仕方ないの。産まれてからどう生きていくかが重要なのよ」
「どう、生きていくか……」
「よっぽど聖人君主みたいな親だったとしても、生き方を間違えたら悪人に墜ちる。逆に極悪人の親を持っても、そうはならないと正しい生き方をすれば善人になる。同じお腹から生まれた兄妹でも、経験や感じ方が違えば違う人間になる。それが人間。
たとえ生まれが異質であっても、心が感じる想いのままに生きていくのなら、どんな力を持っていようとアナタは正しく『人間』よ。あんなことを言った私が言うのもなんだけどね」
言葉を切り、アステリアは申し訳なさそうに苦笑する。
「でも、そう考えればアナタが生まれてきた意味はあったわ。アナタがいなけりゃ少なくともあの兄妹も、助けた二人も二日前に確実に死んでいたんだから」
「————」
過去を見つめ直し、アステリアの言葉で心が少し晴れたキソラがようやくその事実に目を向ける。
そうだ、咄嗟に四人を一瞬で家屋に押し込むことが出来たからあの四人は腐蝕にほとんど巻き込まれることなく生きている。
人と違う力を持ったキソラがいなければ、彼らは間違いなくそのまま息絶えていた。
「だから、ごめんなさい。私も最初に会った時にこう言うべきだったわね。——ありがとう、キソラ。あの時、アナタが来なかったら私はあの男に殺されてたわ。アナタがいたから、私はこうして生きて、私のやりたいことを続けることが出来るの」
本当にありがとう——と、この空の様に晴れやかな笑みを浮かべるアステリア。
誰もが見惚れるその満面の笑顔。
キソラだけがその温かな笑みを独り占め出来ていた。
「あ———」
アステリアの微笑みを見た時、そしてワカナとヤマトの心からの感謝を思い出し、キソラは自分を自覚した。
なぜ、自分が人を最優先に助ける様になったのか。
優しくしてくれた恩返し——もあるが、一番は人を助けた時に見られる感謝の笑顔。
かつて空っぽだったキソラの心を満たしたその温かな気持ちを何度も味わいたいがために、人を助けるのだ。
「なんだ……、私ってこんなに我がままな子だったんだ」
そんな自分に思わず笑ってしまうが、それは自嘲じゃない。
曇っていた心が晴れ、青空色の瞳には力が宿る。重たく感じていた身体も今は軽くなり、全身に血が回っていくのを感じていた。
未だ全てを吹っ切れたわけではないけれど、見失っていた自分を見つけることは出来た。
「どうやら立ち直れたみたいね」
「……まぁ、こうやって前を向けるくらいにはね。君のおかげだよ、ありがとう。色々と思い出させてくれて。私は、これからも人を助けるよ。気持ち悪いこの力を使ってでもね」
人が喜んでくれる顔が見たいから。
血塗られていた左手を見つめ、瞼を閉じると共に拳も閉じる。
そして、命を奪ったその手に誓うのだ。
——その過程でどんなことが起きようとも、その我がままを貫くと。
瞼を開き、左手を開くとキソラはその左腕に『炎』を宿す。
そのままキソラは立ち上がり、力強い表情と共にアステリアに向き直った。
炎を宿したままの腕をアステリアに差し出す。
「それで、君はこんな私に何を望むの? 君がやりたいことの為に、私が必要なんでしょ?」
炎に包まれたこの手を取らないのなら、従うつもりはない。
そんなキソラの決意を示す行動に、アステリアの笑顔が獰猛なモノに変化する。
「ええ、その通りよ。アナタがそのつもりなら話が早いわ」
バッと、躊躇いなくアステリアはその手を握った。左手に巻かれた包帯が炎で焼け落ち、その下の皮膚を肉を焼いていく。
それでもアステリアは苦悶の表情一つ浮かべることはない。
手を強く握りしめ、妖艶な笑みを浮かべてアステリアは言い放った。
「改めて、私の名前はアステリア・A・S・ウォーカー。今の私の願いはただ一つ。——等々力キソラ、アナタを私にくれないかしら」
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