義兄と友人を囲む夕食会

 ジェイドが家に帰るなり、私に尋ねてきた。


「うちに本を持ってきてくれているのは、カルセドニー商店で間違いない?」

「うん、そうだよ。どうかした?」

「いや、今日、本邸でカルセドニー商店の代表に会ったんだ。本について追加の注文をお願いしようと思ったんだけど、微妙に話が合わなくて。向こうはこちらに話を合わせようとするんだけど、うちの書庫を見た事がないような様子だったから」


 そういえば本邸に出入りしているのは、ルイさんのお父さんだったはずだ。


「うちに来てくれているのは、多分ジェイドが話した代表のご子息だよ」

「え? 代表のあの爺さんじゃないのか?」

「うん、若い人だよ。若いって言ってもジェイドよりは年上だと思うけど」

「何だって?」


 何だろう。怒っているように見える。


「経験は代表に比べて浅いのかもしれないけど、とても親切だし、お世話になっていて困ったことは無いよ」

「結構頻繁に来てるんじゃないか? 書庫とか書庫の小部屋にだって出入りしてるって言ってたよね」

「うん。代表よりは忙しくないから、顔を出しやすいんじゃないかな。ほら、うちに来てもあまり儲けられないし」


 ジェイドは厳しい顔をして言う。


「今後は代表の方に来てもらうことにするから。息子の方が来ても応対してはいけないよ」


 それはひどい。商人にとって年齢が若いというのは、とても不利なことなのかもしれない。あんなに立派でしっかりしたルイさんでも年齢だけで信頼を勝ち取れないものなのか。


「嫌だ」

「オリヴィ!」


 私が反抗したのでジェイドは驚いたようだ。成長した私は、ちゃんと自分の意思を伝えられる。


「嫌だもん。何でそんな事言うの! 理由は?」


 ジェイドは困った顔をしている。


(ほら、ちゃんと理由を言えないじゃない!)


「カルセドニーさんは若いけど、とってもしっかりした信頼出来る人だよ。ジェイドだって本の選択がいいって褒めてたじゃない。使用人たちに服を贈る考えだってカルセドニーさんが教えてくれたんだよ。それも褒めてたじゃない! それなのに年齢が若いって分かっただけで、そんな扱いするなんてひどいよ」


 ジェイドは眉をひそめると無言で部屋を出て行った。廊下で使用人と何かを話しているようだ。やがて険しい顔で戻ってくる。


「何人かに聞いてみたけど、落ち着いた信頼出来そうな人だと言っている。⋯⋯まあそうだよな。自分たちへの贈り物を進言してくれる人だもんな。それも作戦だったのか?」


 一人でぶつぶつ言っている。


「俺も一度会ってみたい。俺は昼間は会えないから、次に来たら夕食に招待してくれるか? ちゃんと会って判断する。それならいい?」

「分かった」

「息子が信頼できないって決めつけて悪かった。でも爺さんの方は、他の人たちも何度も会って信頼できる人だって分かっているけど、息子の方は噂も聞いたことがないんだ。だから心配になった。ごめん」


 ジェイドが素直に頭を下げた。


「私こそ反抗してごめんなさい。でも、とても信頼している人だから、年齢だけで判断されて悲しかったの。ジェイドが心配してくれてることは分かってる。ありがとう」


 翌日やってきたルイさんに伝えたところ、快諾してくれた。


「場合によっては、学校の計画も話す必要があるかもしれない。その事は僕に任せてもらってもいいかな?」


 もちろん私に反対する理由はない。


「もしかして、友人になった事とか『ルイ』と呼んでいる事も伝えた?」

「義兄が心配して怒っているみたいだったので伝えていません。使用人に確認した時に何も言っていなかったので、街に行っていることも知らないと思います」

「賢い選択だ。余計な心配はかけない方がいいから僕たちが友人でもあることは伏せておいた方がいいと思うよ」


 隠す事が色々とある。口を開くのは最低限にしてルイさんに任せておいた方が良いだろう。


 夕食のお誘いは後日でも良いと伝えたのだけど、今日の方が都合が良いそうだ。


「僕に分の悪い勝負だから、少しでも良い条件で立ち向かいたいんだ。敵に準備する隙を与えず、不意打ちする」

「敵ですか?」


 ルイさんは笑う。


「僕から見たら敵だよ。君をここから脱出させる事に手を貸すと言っただろう。ここの陣営にいるやつは全員敵だよ」


 そう言われるとそうなのかもしれない。私にとってはジェイドは敵から守ってくれる味方なので、何だかよく分からなくなる。


 ジェイドが戻ったのは私が図書室の小部屋で法律の解釈について教わっている時だった。


「驚いたな、最近の商人は家庭教師のようなことまで手を広げているのですね」

「ジェイド! おかえりなさい」


 帰ったまま直接小部屋に来るような事は初めてだ。使用人からルイさんが来訪している事を聞いたにしても、そんなに慌てて会わなくてもいいはずなのに。でも普段は来客などないので、ジェイドにとっては普通の事なのかどうかよく分からない。


「お戻りに気づかず、失礼いたしました。ルイ・カルセドニーと申します。義妹さんには贔屓にして頂いております」


 ルイさんが握手の手を差し出した。ジェイドはその手を取らない。


「初めまして、ジェイド・ヒューズワードです。義妹がお世話になっております。世間知らずなものですから、色々とご迷惑をお掛けしているんじゃいかと心配になりまして、ご迷惑を承知で夕食にお誘いさせて頂きました」


 ジェイドは、やっと手を取って握手をした。


「本の選択も義妹に必要なものを適切に選んで頂けて感謝しています。あれは、ジルウォーカーさん⋯⋯失礼しました。カルセドニーさんのお好みも反映されているのでは?」


 ルイさんの表情は変わらなかったけれど周囲の温度がすっと下がったような気がした。


(ジェイドは、わざと名前を間違えた。やっぱり若いから信用していないのかもしれない)


「いえ、私の好みなど反映させられません。他のお客様の傾向を参考にお薦めさせて頂いているだけです」

「そうでしたか」

「ところで、この家のご主人はいつお戻りですか?」


 空気が緊迫する。ジェイドは何でもないような顔をする。


「生憎と多忙でして。今日も戻りは遅いので夕食はご一緒出来ません。私でご容赦頂きたい」


 戻らないとは言わない。家に出入りしている以上、主人の気配がない事を知られている事も承知の上で言っているのだろう。


「大変そうですね。主人が不在がちな家を守るのもご苦労がおありでしょう」

「ええ、もちろん。気づかぬ間に嫌な虫が入り込んでしまう事もありますからね」

「それは困るでしょうね」


(虫! 虫! いまルイさんを虫に例えた?)


 ジェイドは私にカルセドニーさんを食堂に案内するように言い付けると、荷物を置いて着替えるために部屋に上がった。


 ルイさんは、こっそり私に言う。


「参ったな。君の義兄は様子見じゃなくて、本気で僕を排除しようとしてる。悪いけど今日はなごやかな食事とはいかないかもしれない。君は何も気づかず、何も知らないふりをして、食事に専念してろ」


 何だろう。すごく緊張する。


「あと、一つお願いがある」


 こんなに緊張感を漂わせるルイさんを見るのは初めてだ。


「君の義兄さんが僕の身元について何かを言うかもしれない。それは聞き流して、今後も調べたりしないと約束してもらえないだろうか」

「分かりました」


 即答すると、一瞬、ルイさんは泣きそうな顔をした。そして、私の手をぎゅっと握った。


「君は、君は⋯⋯僕を無条件で信じるんだな」


 すぐに私の手を離して商人の顔に戻ると、にこやかに食卓に着いた。


 身元、それはもしかして、ジェイドが名前を言い間違えたことに関係あるのかもしれない。でもルイさんが自分で言った通り、私は無条件で友人を信じる。


 やがてジェイドが降りて来て夕食が始まった。ルイさんの予告があったので心配したけれど、商店の状況や世間の様子など、当たり障りのない会話と共に食事が進んだ。


(よかった、心配することないじゃない)


 つつがなく食事が終わり、お茶が出たところで、それは始まった。


「急なことで申し訳ないけれど、次から、うちに来るのは君の父君にして頂けないだろうか」


(ジェイド! 約束が違う!)


 でも口を出してはいけない気がして、私はカップを置くとテーブルの下で手をぐっと握りしめた。


「申し訳ありませんが、ご希望には添えませんね。父は書籍に詳しくありませんから、適切なご提案を差し上げられません」

「では、必要な本はこちらで指定しますから、ご提案は頂かなくても結構ですよ。⋯⋯いいね、オリヴィ」


 急に話が飛んで来た。


「嫌です」

「オリヴィ!」


 私はそのまま黙った。ルイさんに習った事がある。交渉を有利にするためには、敢えて口数を最低限まで減らして相手に話をさせる、という方法もあると言っていた。


「直接会ってから決める、と約束したから会っただろう。いいね、家への出入りは彼の父君にお任せすることにするよ」

「嫌です」

「オリヴィ!」


 結託していると思われたら困るので、ルイさんの方を見たりしない。


「どうして! なぜ、彼じゃなきゃ駄目なんだ」

「可愛い服を持ってきてくれるの。年配の人では無理よ」

「服? 服の支払いなんてした事ないけど、服を買っているのか?」


(え? 街に行く時やお茶会に行く時の服を買ってるはずなのに)


 思わずちらっとルイさんを見ると、しまった、という顔をしている。


「これから買うの。春に着る服は持ってきてないもの」

「この人じゃなくても、父君でも流行りの服は分かるよ」

「嫌です。えっと、だって、若い男の人が好きそうな服は、若い男の人じゃないと分からないわよ、きっと」

「何だって? どうしたんだ、何で急にそんなこと言い出すんだ?」


 ジェイドが混乱している。このまま混乱させたら、面倒だからもういいや、って思ってもらえるかもしれない。


「だって、だって。えっと、悪妻になるって言ったでしょ? 悪妻ってきっと、綺麗な服を着て、男の人がうんとたくさんいる所に行って、人気者にならなきゃいけないのよ。たぶん。きっとね。⋯⋯違うと思う?」


 ついうっかり不安になってジェイドに聞いてしまう。


「知らないよ、そんなこと。でも綺麗な服なら爺さんでも選べるだろう」


 大丈夫。ジェイドはまだ混乱している。息子の前でその父親を爺さん呼ばわりするのは彼らしくない。


「爺さんが選んだ服だと、きっと爺さんが寄ってきてしまうんじゃないかな。爺さんに囲まれるのは、悪妻っぽくない気がする」

「ええ? 爺さんに囲まれる?」

「でも、若い男の人がたくさんいるところって、どこに行けばいいのかな。どこか知ってる? ジェイドは、どこに若い女の人に会いに行くの?」


 若い男の人に囲まれる服を買うことにするなら、場所も想定しておかなければならなかった。思い浮かばないから私も混乱してきた。


「俺は仕事が終わったら、すぐに家に帰って来てるだろう。いつ若い女の人に会いに行くっていうんだ」

「ごめん、そうだよね。若い女の人に会いに行けないね。どうしよう」


 ジェイドは私のせいで、この家にいるんだった。


「よく考えたらね、私もう、ジェイドがいなくても大丈夫だと思う。使用人にも慣れたし、もうカルロは怖くなくなったし。ジェイドは自分の家に帰っていいよ。今まで本当にありがとう!」


 思いつかなかった。これで全て解決だ。


「それなら、この家に来て頂く方は私が決めていいでしょう?」


 ジェイドが呆然として固まっている。そのすきにルイさんに向かって言った。


「カルセドニーさん、お見苦しい兄妹喧嘩をお見せして申し訳ございません。お手間を取らせて申し訳ありませんが、これからもよろしくお願いいたします」

「承知いたしました」


 ルイさんは、優雅に礼をした。


 そのままルイさんは帰り、その後の私はジェイドに驚くほど叱られた。人前で、あんなに品格に欠ける、しかも家の事情が分かってしまうような事を言うものではない、そう叱られるけれど、悪妻は下品でお馬鹿さんでいいはずだ。


 私は結構本気で、もう家に帰っていいと言ったのに、ジェイドは結局ここに残ることにしたようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る