官能小説家はよく泣いている

恵介

プロローグ

 夜詩よしくんはよく泣いている。泣いていないときは書いているか、寝ているか困っているかのどれかだ。あんまり笑わない。怒るのは下手。人と関わるのは、超苦手。

 神童。

 昔から勉強はよく出来たそうだ。馬鹿と天才は紙一重というけれど、本当に天才と変人は極めて近しい。同一ではない。一を聞いて十を知るのがいいときもあれば、いろんな人からいろんな一を教わったり、順序よくおとなしく二を聞いたり見たり、三なんてあるんですねふうんうわあすごいや、とやってみせるほうがいい場合が世の中にはたくさんある。何故ならば大概は凡人だから。だから凡人と呼ばれるのだから。大衆、凡人、一般人。それらは変人とはあまり近しく親しく関わりたがらない性質を持つので、凡人の母は自分の弟のことを、普段はないものとして扱っている。世間様に作家でございと公言出来ないシロモノばかり書いている夜詩くんのことを、ほとんど無視している。

 夜詩くんだって、家族や親戚との付き合いなんかとうに諦めていて、一人ぼっちで隣の市で暮らして数十年が経つ。とはいえ、地理上は隣の市であっても、実際はうちからは歩いて十分弱なので、僕にとっては学校より近い。

 僕は母と自分が住んでいるクリーム色のマンションを出る。

 大きな橋を渡る。

 大きな川が下に流れているから、橋も当然大きいのだ。大型のトラックが走るとかすかに足元が揺れる。渡りきったらすぐそこにある、白くて、うちよりも古いマンション。

 ほら、簡単に着いた。

 そこに夜詩くんは住んでいる。

 精神の病がいくつかあって、子供には到底教えられない仕事をしていて、病に関係なく、たぶんもとから性格が卑屈で内向的でそのくせたまに攻撃的で、なんかもういろいろ散々な夜詩くんを、僕はあんまり知らないことになっている。夜詩くんが本当に酷くて、いわゆる黄色い救急車を呼ぶ羽目になったりだとか、ちょっと特殊な病棟に入院したりすることがあれば、母は呼ばれるし、たまにそのまま夜詩くんの面倒をうちで引き受けることもあるのだけど、そういうときの夜詩くんは、喋らないしうつむいてばかりなので、僕も話しかけない。

 実際は頻繁に会っている。

 夜詩くんがわりとお喋りなのを僕は知っている。笑顔も見たことがある。他の表情も。とにかく、僕は叔父と友達で、夜詩くんの唯一の友人は僕だ。母は知らない。今後も知らないほうが、たぶん、いい。

 世界を平和にする簡易な方法は無知だ。

 夜詩くんの書く小説の背表紙は、たいてい黒くて、タイトルと著者名がショッキングピンクだったり薄ピンクだったりで印字されてある。表紙はおばさ…………女の人で、化粧の濃さやポージングや服装等から、なんとなく昭和感というか、平成初期感というか、おとなむけなんだなあって感じがする。あらすじには、よく、凌辱とか強姦とか淫蕩とか調教等の単語が使用されている。

 夜詩くんの書斎に出入りは自由だ。でも、どうせ夜詩くんは、男子高校生の僕が青臭い欲求に従って、それらの小説を読もうが、読みながら興奮しようが、興奮した末に夜詩くんの目の前でマスターベーションをおっ始めようが、きっと気にしないし、どうでもいいに違いない。夜詩くんは僕を好きだけど、僕のことを心配したり支配したりしない。ただそこにいるものとして扱う。僕も別に夜詩くんを、親戚とかおとなとか、高校生だったら少しは敬遠するようなカテゴライズに入れてないので、お互い様だ。

 とにかく、抑制されないから欲求しないのか、恥の方が欲を上回るのかはわからないけれど、僕は夜詩くんの本をあんまりまともに読んだことはない。僕が読むのは夜詩くんが買った他の作家さんの普通の本とか、夜詩くんが記事を書いたトンデモ本とかインチキ雑誌とかで、あとは夜詩くんとお喋りをして過ごしている。

 夜詩くんはだいたい泣いている。泣いているか、泣きそうな顔をしているか、泣いたあとみたいな顔をしている。笑うと母に少し似ているので、そういうときは、やはり姉弟なんだなと思う。

 僕の叔父は官能小説家だ。





 

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