010 キャサリン
「私をご存じない?」
マリアに素性を尋ねられた謎の女が言った。
「ご存じないよ! あ、もしかしてライデンの恋人とか!?」
マリアは冗談のつもりで言った。
しかし――。
「なんだ、分かっているじゃない」
「え?」
「私はライデンの元恋人であり、ジョナサン・ガッテムタイガーの娘、キャサリンよ!」
ドンッ、と胸を張るキャサリン。
「ジョナサンところの娘かぁ!」
マリアはキャサリンの父・ジョナサンについて知っていた。何故ならジョナサンがアルバニア王国の公爵だからだ。王宮で何度も話したことがある。嫌いな人間の一人だ。
「ちょ!? アルバニア王国の公爵を呼び捨てってどういう神経をしているの!?」
「ごめんごめん! 懐かしいなぁ、ジョナサンの調子はどう? 相変わらず?」
「だからパパを呼び捨てにするな!」
「ご、ごめんなさい……!」
この町に染まりきっているマリアにとって、敬称や敬語は難しいものがあった。この町で敬語など使ったら笑われるからだ。その辺を歩いている少年ですらロンのことを呼び捨てで呼んでいる。
「えーっと、それで、キャサリンさんは何の用なの?」
「どうして私があなたのような下々の人間に話す必要があるのか理解に苦しむけれど、まぁ暇だから教えてあげるわね」
清流の如き滑らかさで見下しながら、キャサリンは髪を掻き上げた。
「ライデンにチャンスを与えに来たのよ」
「チャンス?」
「そうよ。町民に尋ねたらここで待っているように言われたのだけれど、いつになったら彼は来るの?」
「それが分かったら苦労しないよー。試しに呼んでみたらどう?」
そう言うと、マリアは手をメガホンに見立てて「ライデーン」と外に向かって叫んだ。
「なんであんたが呼ぶのよ」
「おう戻ったぜー!」
なんとライデン、マリアの呼び声に呼応して戻ってきた。テオも一緒だ。
「マリア、僕のことも呼んでよ。ライデンよりも会う頻度が少ないのに……って、キャシーじゃん!」
「うわ、マジだ! キャシーがいる!」
キャサリンを見て驚く二人。キャシーとはキャサリンの愛称だ。
「久しぶりね、ライデン。それとオマケの坊や」
「坊やって言われるほど離れてないっての!」
テオが抗議するも、キャサリンは「ふん」と無視した。
「キャ、キャシー……どうしてここが分かったんだ?」
引きつった顔で尋ねるライデン。
マリアは隅の席に移動し、興味津々の様子で眺めている。
「謎のデザートと調味料を広めているでしょ?」
ヨーグルトと野菜パウダーのことだ。
「そこで足がついたかぁ! 下手を打っちまったなぁ!」
苦笑いで後頭部を掻くライデン。
(ライデンはキャサリンのことを避けているのかな?)
二人のやり取りから、マリアは状況を推測しようとしていた。
「まぁ雲隠れしたことは許してあげるわ。でも、離れたことで分かったでしょ。あなたに相応しいのは私しかいないって」
ライデンは「いやぁ……」と返答に窮する。
「社会的地位、容姿、家柄……全てを兼ね備えているこのキャサリン・ガッテムタイガーは、あなたの全てを許してあげます。今一度私の恋人になりなさい、ライデン」
「いやぁ……」
困惑するライデンを他所に、テオはマリアの隣に座った。
「ねぇテオ、あの二人は本当に元恋人だったの?」
ひそひそ声で尋ねるマリア。
「キャシーはそう思っているけどね」
「ライデンは違うんだ?」
「まぁね」
「だったらスパッと断ったらいいのに」
「それができたら苦労しないよ」
どうやらワケありのようだ、とマリアは思った。
「ライデン、あなたは魔王を倒し世界に平和をもたらした英雄よ。そんなあなたが小さな国の小さな町で町長ごっこに耽っているなんておかしいでしょ」
「そうなったのはお前の親父のせいだろ」と、テオが小さな声で呟いた。
「あなたにはこんな泥臭い町より煌びやかな王国の社交界がお似合いよ。私が惚れた唯一の男なんだから、いい加減に戻っていらっしゃい」
キャサリンはライデンの右手首を掴み、強引に役場から出ようとする。
しかし、ライデンは銅像のようにピクリとも動かなかった。
「キャシー……いや、キャサリン」
ライデンは大きく息を吐いた。
「もう冒険者じゃないからはっきり言わせてもらうけど、俺はお前のことが好きじゃないんだ。別に嫌いでもないけど、そんなわけだから付き合うとかそういうのは無理だ。あと、俺は貴族どもが集まる社交界なんざ大嫌いだし、この泥臭い町で町長をするのが気に入っている」
「何を言っているのライデン。あなた、どうしちゃったの? もしかして、パパに対する恨みでそんなことを……」
「いや、そうじゃない。たしかにジョナサンのことは嫌いだ。アイツはクソ野郎だと思う。だが、今こうして町長になったのは奴がクソだったからだ。だから俺自身は恨んじゃいねぇ」
「だったら何でそんなことを言うの? 私が何をしたって言うのよ!」
キャサリンは目に涙を浮かべ、ライデンの胸ぐらを両手で掴む。
「いや、だから俺はお前のことが好きじゃなくて……」
「そんなの嫌! 認めない! ライデンは私のことが好きなんだから! 好きじゃないなんて嘘! それとも何? 他に好きな人ができたの?」
「わお、キャシーってば強引」
マリアは初めて見る他人の恋愛模様に目を輝かせていた。
しかし次の瞬間、彼女は後悔することになる。
「そ、そうだ! 俺には他に好きな人がいる! 恋人がいるのだ!」
突如、ライデンが意味不明なことを言い出した。狂気じみたキャサリンの食い下がりようにまいってしまってのことだった。
「誰よ! 私より素晴らしい人なんているわけないのに!」
「いや、それがいるんだ!」
そう言うと、ライデンはマリアに手を向けた。
「彼女はマリア。アルバニア王国の元聖女であり、俺の恋人だ!」
「なんですって!?」
叫ぶキャサリン。
「なんですって!?」
マリアも叫んだ。
「なんですって!?」
ついでにテオも叫んだ。
「俺はマリアとともに幸せな道を歩む。だからキャシー、君は俺のことなど忘れて新たな人生を歩み、そして俺よりも相応しい男を見つけてくれ」
ライデンはひどく満足気な顔で言い放った。これでキャサリンが離れてくれるだろう、と思ったからだ。
もちろん、キャサリンのような女にとって、この発言は逆効果だった。
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