蠢きの怪樹

 瘴気域に侵入して三日目。私とアキラ、そして炎華の獅子からサーシャさんとフーラさんの三人がトラントの渓谷最深部へと足を踏み入れていた。


「ここらは岩場になってて足場が悪いうえに滑りやすい。気を付けて歩けよ」


 先行するフーラさんが差し出した手を掴んで岩場を駆けあがる。ブーツ型の魔道具のおかげで平坦な道は楽ができたが、ここまで険しい道になってくると回復効果も誤差に等しい。


「明は……なんで、そんなスイスイと登って……! 行けるの、よ!」


 こちらに来てからは毎日鍛えているといっても自ずと息が上がってしまう。明も条件は同じはずだが、ひょいひょいと飛び石を渡るような気安さで劣悪な足場を渡っているのだ。


「まあ、俺は普段の戦闘でもこういう軽業みたいな動きに慣れてるしな。最近はバク転とかも出来るようになったんだぜ?」


 なんとなく釈然としないが、これ以上話すのは体力を余計使うだけだと悟って押し黙る。


「私もフーラもそこまでは動けませんよ。アキラの能力に今の戦術がよほど合っていたのでしょう」


「いやいや、二人とも動く必要すらないじゃないですか」


 こればっかりは明に同意だ。フーラさんは元々弓を使った後衛職であるため、もともと動かない戦い方だ。

 一方サーシャさんは剣術を用いたバリバリの前衛。私たちが最初に出会った時のように、先陣を切って敵に突っ込む戦い方ももちろん洗礼されているが、敵が向かってくるのであれば一転して彼女は一歩もその場を動かない。


 最小限の動きで攻撃を回避し、反撃として急所を攻撃する正確無比な剣術。複数が相手でも、超高火力の火の魔法が迫りくる敵の全てを焼き尽くす。点と面の両対応の器用さと豪快さのおかげで、この瘴気域で一度も怪我をしていない。


「私の習った剣術は閉所を活用することも念頭に入れた実践的なものですからね。あなたたちも鍛錬を積めばきっとたどり着くことができますよ」


 にこりと微笑みながら明のように岩場をひょいひょいと渡っていくサーシャさん。さすがこの国トップクラスの冒険者。身のこなしも抜群だ。


 魔物との戦闘はほとんどサーシャさんに任せている。これまで何度か戦闘があったが、集魔石の回収をほとんどしていないこともあり、進むスピードはフルメンバー時よりも上がっていた。


「明、ユーシェの居場所はどう?」


 足場が比較的平坦になったところで明に魔道具を確認させる。彼の取り出した魔道具を覗き込むと、細かく震える指針はさらに奥へと私たちを案内していた。


「昨日から頻繁に確認しているんだが、相手もたまに動いているみたいなんだ。つまり、これと対になる魔道具を奴らは捨てていない……はず」


 対となる魔道具の名前は『番いの陰陽・陽』という。備わった指針がそれぞれの魔道具の位置を指し続けるという能力を持っている。


「まあ、魔物の腹に収まってそいつが動き回ってる可能性はあるが、今それを考えてもしょうがねえしな」


「縁起でもないこと言わないでください」


「俺ァ真面目に言ってんだよ。そいつが実際に腹の中に収まってんなら、その魔物の生息域まで奴らは侵入できたってことだ。これだけでもユーシェを追っかける手掛かりになんだろ?」


「まあ確かに……」


 悲観しすぎるのはもちろん良くないが、冒険者はあらゆる可能性を考えて事に当たらなければいけない。冒険者になってから初めて炎華の獅子と行動を共にしているが、彼らから学べることは多かった。


 朝早くから出立してそろそろお昼も回るころだろうか。渓谷の谷間も徐々に深くなっており、川を挟むようにして二十メートル近い崖のような岩壁が私たちの頭上の光を遮っていた。


 崖の壁には洞窟のような穴があいており、光の届かない暗闇が続いている。たしか、中学の理科でこんな現象を習った気がする。たしか……浸食? ああ、しっかり勉強しておけばよかった。

 川の水が流れ込んでいた跡もある。浸食……の影響でここら辺はこういう洞窟が多いのだろう。


 辺りが暗いとそれだけで警戒心が高まる。それもあって、突然明が声を上げたときは、口から心臓が飛び出すかと思った。


「あっ」


「ッ!! ……何?」


 万が一脅かそうとしたのなら半殺しもいとわない覚悟でいたが、真剣な表情を見て冷静になった。


「指針が横に逸れ始めた。奴らが近いみたいだ」


 魔道具を注視するとわずかに岩壁の方向を向いている。もしかしなくても、あの洞窟の行く先にユーシェはいる。


「奴らの見張りがいるかもしれません。慎重に進んでいきましょう」


 警戒心を最大にして声を殺しながら進んでいく。進んでいくごとに、針は前方から真横に倒れていった。


 幸い、川沿いには見張りのようなものはいなかった。しかし、新たな問題が私たちの前に立ちふさがる。


「どれだコレ……」


 洞窟の入り口が複数空いているのだ。そのどれもが同じ場所に続いているなら問題はない。しかし、正解が一つだけだったとしてしらみつぶしに探しているような暇はなかった。ユーシェの安否も、サーシャさんたちへの瘴気の影響も一刻を争う状況だ。


 しばらく周囲を調べていると、なにか発見したフーラさんが私たちを呼びよせた。

 彼が示した場所にはかすかだが、足跡が残っている。何かが燃えた燃えカスも点々とそこら中に散っていた。恐らくだが、火を照明に使ったのだろう。


「ここの道とここの道。わずかだが人が通った痕跡がある。一つ一つ奥まで探す時間はねえ、二手に分かれるぞ」


 私と明、サーシャさんとフーラさんで二手に分かれた。私たちの経験不足を加味しても、お互いの連携を優先した結果この分け方となったのだ。


「背中は頼んだ」


「当然」


【コード:ルミナス】【コード:サモン=キュウキ】


「ギャウ!」


 外の光が届かなくなる直前で詩片サームを起動させ、灯りを先に確保する。温風が便利なキュウキだが、自身を発光させてランプ代わりになることができるのだ。


「おいでキュウキ」


 キュウキを肩に乗せてあたりを見回す。灯りの魔法は明の周りを勝手に追従するようにさせて、改めて洞窟を見ると見えてくるものがあった。


「これ……引っ掻いたあと?」


「いや、というよりもっと深いな……ここのなんて引っ掻くなんてもんじゃなく、えぐられてるぜ」


 横なぎに一本。幅は手のひらくらいのえぐれが壁にはいくつかあった。人か魔物かはまだ分からないが、自然にできたものではない。


 慎重に、慎重に進んでいく。道中は不気味なほど何もなく、重苦しいプレッシャーのようなものがただ漠然と奥から漂ってきていた。


 どうやら、こっちが当たりだったらしい。前方に明かりが見えてきたため、キュウキの発光を止めて灯りの魔法も消してやる。


「何か聞こえる」


 耳を澄ませると人の話し声が聞こえてくる。意を決して距離を詰めて岩陰に隠れると、その内容も聞き取れるようになった。


「……侵入者だと? 数は? たったの二人!? 何を手こずっているんだ。こっちは大事な儀式の真っ最中だぞ!」


 声を荒げているのは、ユーシェを攫った男だった。あのとき私は攻撃を受けてダウンしてしまったが、その声と出で立ちには覚えがある。

 どうやら洞窟の入り口は奥で繋がっていたらしい。サーシャさんたちは先に教団員と交戦を始めたようだ。


 ユーシェはどこに? 男のいる広間を見回してもそれらしい人影はない。


「もういい! お前たちは侵入者を抑えていろ。私は儀式を最終段階に進める。誰にも邪魔をさせるなよ?」


 かなり苛立った声色の男は、部下を怒鳴りつけて洞窟の更に奥へと進んでいった。


「儀式っつったらユーシェしかないよな」


「けれど、奥には多分……いえ、ここまで来たんだから最後は私たちでユーシェを助けましょ」


 幸い、儀式を行う場所に繋がると思しき道には見張りがいない。サーシャさんたちがよっぽど手強くて人員を割いているのだろう。進むなら今しかない。


 その道を進むごとに嫌な雰囲気が増していく。遺構で遭遇したカマキリとアリの軍団にも似たようなものを感じたが、これはそんなもの比較にならないほど強烈で、踏ん張っていないとそのまま意識を失ってしまいそうなほどだ。

 今まで確信は持てなかったが、ここまで来たらもうほぼ確定だ。きっとこの先には瘴気域の主が待ち受けているのだろう。


 唇をなめると緊張で乾燥した皮膚が引っかかった。今は切実に元の世界のリップが欲しいが、そうも言っていられないのが異世界だ。


 男の入っていった道はその奥から光が差し込んでいた。どうやら外に繋がっているらしい。

 明るく開けた場所に出たが、出入り口に男の姿はない。素早く動いて岩陰に身を隠す。


 その広場は天井が無かった。天井が開いたドームのような空間がそこにある。普段なら幻想的なその光景に息をのんでいたのだろうが、緊張からそんな気持ちも湧かなかった。


「ああ、神よ……! 我らの姫を御身に捧げます。そして我らが御身の血肉となったあかつきには、悠久の時を共に生きる栄誉を賜らせていただきたく存じます!」


 男は何もない空間にヒステリックに叫んでいた。いや、何もないわけではない。樹齢数千年はありそうな巨木と、そして白い衣装で着飾った三角耳の少女。


「ユーシェ……! 明!」


【コード:ウインド=エクシード】


 呼びかけとほぼ同時。明は飛翔した。あっという間もなく、ユーシェの姿も消える。


「助けに来たぜ」


 この一瞬に全てを出し尽くしたのだろう。風の魔法が切れて、明とユーシェが着地する。ユーシェは状況が飲み込めないようで、目を白黒させていた。


「良かった……無事で。ごめんね、私が不甲斐ないせいで」


 ユーシェを抱きしめると、同じくらいの力が彼女の腕から帰ってくる。彼女に拒絶されていないという小さな事実だけで胸がいっぱいになる。


「ノゾミは悪くない。悪いのはあの人たち」


 男は振り向いた。怒り過ぎて顔面が赤を通り越して真っ黒だ。


「いっちどならず! 二度まっでもっ! 何度我らの邪魔をするのだ!」


「何度でもだよ、クソ野郎」


「姫は我らにとって奇跡に等しい存在なのだぞ!? 人と神が交わって生まれた奇跡の子! それを、それを~!!」


 もはや言葉にならない発狂したような男の声。聞くに堪えないが、町での交戦を鑑みるに決して油断はできない。


 そこに、ユーシェが一歩を踏み出した。男をにらみつけてか細い声を絞り出した。


「違う。私は、ただの人。アキラとノゾミがそれを教えてくれた。そして、お前たちのやってることは、人間のやることじゃ絶対ない!」


 ユーシェの声はだんだん力のこもったものになって、最終的には啖呵を切る形になっていた。


「そういうことだ。ユーシェは俺たちが連れて行くぜ」


 明が詩片を構える。幸いここは天井が無い。飛べればこの場を離脱できる。しかし、尋常でない地面の揺れが突然起きて、その動きは中断させられてしまった。


「ああ、神よ。御身もお怒りなのですね」


 男は虚空へ、いや背後の大木へ語りかけていた。


「神樹様の裁きを彼の者らへ! 我らが姫には劣りますが、そこな二人も中々の珍品! 御身の腹の足しくらいにはなりますでしょう!」


 全長二、三十メートルもありそうな大木が揺れる。風もない空間でひとりでに。

 全身の肌が粟立つ。この相手は危険だと全身全霊で訴えかけてくる。

 出入り口が崩れ、退路を塞がれた。私とユーシェを連れてでは、飛んで離脱することもかなわないだろう。


「さあ! 我が身を御身の糧として捧げ奉ります! どうかあの者らに正しき裁きを!!」


 絶叫する男が話している真っただ中、男は振り下ろされた巨大な枝の下敷きになった。ゴジラやキングコングの腕みたいに太いその枝は勝手に動いて、まさに腕のように私たちを見据えている。


「なにが神樹だよ。こんなの……怪獣、いや怪樹だろうが」


 武器をとれ。活路は一つ。奴を倒す、それだけだ。


 詩片と天使を構えて臨戦態勢をとる。


「行ける?」


「当然」


 明と拳を合わせると、ユーシェも手を伸ばしてきたのでそちらとも拳をぶつけ合う。そうだ、このピンチを三人で乗り越えるのだ。



***



・出現 瘴気域の主:『天覆う怪樹』

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