ケモミミ少女・1

 助けた少女にはケモミミが生えていた。


 光の下で彼女を改めてみると、まず目を引くのはやはり頭頂部の三角耳だ。手入れされていない髪の毛と同じく青みがかった黒色の毛でおおわれたケモミミは、ぼさぼさの頭髪に埋もれてなお、ぴょこんと元気に自己主張している。


 髪の毛に隠れてよくは見えないが、目の前の少女は皿のように丸くした目で私の出した光球を見つめていた。


 光球を右に左に動かすと、彼女の視線も同じように追随する。おもちゃを目の前に出されたペットのような愛らしさがあって、動かすのが止められない。


(なんだろう、ちょっといけないことをしているような気分になってきた)


 幸い、明が目を覚ましたことでなんとか自制心が働いて、光球の動きを止めることができた。


「おはよう望海……ってその子も無事だったんだな。良かった」


「うん、おはよう。はい、これ」


 寝起きの明に水の詩片サームで生み出した水を渡す。少女の方にも渡してみると最初は警戒されたものの、私たちが口に含んでいるのを見てコップの中身を一気に飲み干した。よほど喉が渇いていたらしい。


「えっその子の頭の……!」


 完全に目を覚ましたようで、明も少女の頭上にある二つの三角に気付いたようだ。


「気づいた? 私たちで言うところのケモミミみたいよ?」


 明も起きたため改めて少女に話を聞いてみることにした。


「私はノゾミ。こっちがアキラ。あなたの名前は?」


 少女は何度か咳き込んでからか細い言葉を発した。


「……ユーシェ」


 言葉は通じるようだ。私たちの不思議な翻訳術のおかげなのかもしれないが、少なくとも話を聞くことは出来る。


「ユーシェちゃんっていうのね。ここが瘴気域っていう危険なところなのは知っていたかしら?」


 彼女は黙って首を振る。間違っても私たちよりも幼い子供が来るような場所ではない。それなら何か特別な事情があったのかもしれない。


「何度も質問してごめんね。あなたはどうしてこの洞窟にいたのかって聞いてもいい?」


 ユーシェは腕を組んで考えるそぶりを見せた。何も知らないままここにいたのか、あるいは彼女の中でどう伝えようか悩んでいるのか。私たちは辛抱強く彼女の言葉を待った。


「……。あの人たち、そう言ってた」


 生け贄。底冷えするような言葉が彼女の口から発される。かけるべき言葉が分からず口をパクパクとさせるが、結局言葉は出てこなかった。


 明らかに私たちよりも幼い少女が、危険な瘴気域に一人でいたということ。そして、あまつさえその目的は何かに捧げられることだったという。


 急に黙りこくった私たちを不思議に思ったのか、ユーシェとは私たちの顔を交互に見比べている。


「おい……」


 慰めか、さらなる追求か。そんな風に何を言えばいいかを決めかねていると、明の平坦で低い声が響いた。付き合いは長いが、今まで聞いたことのない声色だ。


 明は首を振って口を閉じる。次に発した言葉はいくぶんか柔らかくなっていたが、努めて感情を出さないようにしているのは一目瞭然だった。


「ああ、ごめん。君を連れてきた奴らはどこにいるんだ?」


「もういない。乗り物がゆれたと思ったら、いつの間にか全員奉身ホウシンしてた」


 断片的な彼女の言葉をまとめると、彼女を生け贄にしようとした一団が、何者かに襲われたらしい。そして、そいつらはいなくなってしまった。


 ただ単に彼女を置いて逃げたのか、はたまた死んでしまったのか。彼女の言う『ホウシン』がそれにあたる言葉だろうか。


「ユーシェちゃん。『ホウシン』ってどういうことか教えて」


 ユーシェはきょとんとした顔をする。どうしてこんな言葉を知らないの? とでも言いたげな顔だったが、素直に教えてくれるらしい。


「奉身はね。


 無邪気に答える姿に、困惑を覚えるより先に吐き気がのぼってきた。


「ちょっとごめん……!」


「おい!」


 無我夢中で走って洞窟の外に出る。気づけば、雨脚は小雨程度まで弱まっていた。


 我慢の限界がきて胃の中のものを吐き出した。それでも、彼女のいた場所のおぞましさを思うと新たな吐き気がやってくる。


 瘴気域と生け贄、そして神という言葉で見当がついた。彼女がいたのは『黒陽の理想郷』という宗教組織だ。この町に来た時にフーラさんからその名は聞いていた。


 魔物を神と呼び、それらに身をささげることを喜びとするという邪教。そいつらの行為はもちろん許せないが、それ以上にユーシェのような少女が、死を何でもないことのように話していることが何よりも恐ろしく、そして許せなかった。


 吐しゃ物が透明になるまで繰り返し胃をひっくり返す。吐き気は残るが、これで一応内容物を他の二人に見せずに済む。



***



 何度か深呼吸してから彼らの所に戻る。広間では、ユーシェを膝に抱えて自分事毛布でくるむようにしている明がいた。

 抱っこされている当の彼女は、明の腕をつかんで寝息を立てている。やはり、回復してすぐに動き回ったりは難しいようだ。


「この子、震えてたから温めてあげようと思ってさ。やましい気持ちとかは全然ないからな?」


 なぜかうろたえる明を見て、いくらか普段の調子が戻ってきた気がする。


「やましい気持ちって何よ……言われなくても疑ったりしないっつーの」


 そういえば、ユーシェが起きていた衝撃ですっかり忘れていたが、暖房の詩片サームはとっくに切れている。


「ねえねえ、さっきこんなの作ったんだけど」


 明に先ほど生み出した詩片をひらひらと見せる。


「そんな創作料理見せびらかすような感覚で出すもんじゃないはずなんだけどな……まあいいや、今度はどんな魔法なんだ?」


「私も詳しくは知らない。だけど多分、暖房の魔法から出た魔力も混ざってたから体を温めることは出来るはず……」


 オリジナルの詩片は市販されているような詩片と違って、作成した私でさえも使ってみないと中身が分からない。そのため、初使用の度に不安と興味がないまぜになって私の胸を躍らせるのだ。


【コード:サモン=キュウキ】


 召喚サモンまではこの間のワームちゃんと同じだ。しかし、キュウキというものを聞いたことがなかった。


「ギャウ」


 光の粒子が寄り集まって出現したのは、翼の生えた縞模様の……猫? のような生き物だった。


「か……」


 私と明の口の動きは見事にシンクロしていた。全く同じ言葉を異口同音に発する。


「可愛い!!」


 私の手のひらくらいの小さな翼に、生後一年くらいの猫のように小さな体躯。前足で顔を洗う仕草も加われば、まさに愛くるしさの権化だ。


「どうしたの?」


 私たちの声に驚いて、ユーシェが目を覚ましてしまった。彼女も新たな命に気が付いたようで、じっと見つめながら動きを止めている。キュウキも彼女を視認した瞬間から微動だにしていない。


 最初に動きを見せたのは、キュウキの方だった。

 短い手足で横倒れになり、それを自身の上に投げ出す。顎の下からへそまで見えるそれは、いわゆる服従のポーズだった。


 ユーシャが恐る恐る手を伸ばして、その腹を撫でるとキュウキは気持ちよさそうに手足をぐいーっと伸ばして目を細めた。どうやらご満悦らしい。


「この子の中ではユーシェが一番?」


「そう……みたいだな?」


 詩片の作成者も呼び出したのも私だったから、いくらか釈然としない気持ちもあるが、いきなり攻撃してくるような魔法でなくて良かった。

 とはいえ、いつまでもゴロゴロしてもらう訳にはいかない。魔法である以上、ワームちゃんのヒール能力のように何かしらの力を持っているはずだ。


「キュウキ! あなたは何ができるの?」


 一応、私のことも主と認識しているようで、ころんと転がって四つ足でしっかりと立ち上がったキュウキは、己の能力を誇示するべく小さな翼をパタパタと羽ばたかせ始めた。


「ギャウ!」


 生み出されるのは温かい風だ。しかも、温風の詩片と比べても効率が段違いに良いようで、毛布を被らずに済むくらいまで一気に温かくなった。


「よーしお手柄だキュウキ! ご褒美にユーシェと二人で撫でまわしてやろう」


 明がユーシェの手を引いて、仕事を終えて満足げなキュウキの背中を撫でていた。虎のような見た目とは裏腹にとても人懐っこい性格のようで、されるがままに撫でられ続けている。


「それにしても、なんの魔力を取り入れたらキュウキみたいな動物が生まれるんだ? この間のヒールワームだってあの遺構だったから生まれた奴だろ?」


 それに関しては私の中で確信めいたものがあった。しかし、仮にそれが事実であれば、彼女の出自は言葉にするのも憂鬱なおぞましいものだということになる。


「多分、それはユーシェの魔力を取り込んだんだと思う」


 自分でも信じられないほど重苦しい声が口から絞り出される。


 キュウキが最初になついたのはほかでもない彼女だ。おそらくそれは、自身と同じ魔力を感知したためだろう。図らずも彼女はキュウキの親となったのだ。


「私の能力の条件、話したことあったっけ」


「周りの魔力を抽出してオリジナルの詩片を作る……だろ?」


 まさにその通りの内容だ。しかしここ数日の実験でそこにもう一つだけ条件が加わることが分かったのだ。それは……


「私の能力は


 私や明、野生の猪や鹿の生死を問わず、魔力の抽出は見られなかったのだ。詩片の魔法が生物系になったのは、ソーカス遺構の時と今回だけ。


 ……ならばその共通点は?


「魔物の魔力を取り込んだ時しか、生物の要素を含んだ魔法はできないのよ」


 私の言葉を咀嚼した明の顔が徐々に蒼白になっていく。どうやら私と同じ結論に至ったらしい。


 キュウキを抱えて頭を撫でるユーシェに向き直る。私は、今から彼女にあることを確認しなければならない。


「ユーシェちゃん。あなたの目を見せてもらってもいいかしら」


 ユーシェは私たちのことを信用してくれたようで、何の疑いもなく伸びっぱなしになった前髪をかきあげた。


 露わになったのは、太陽のように輝く金色の右目と鮮血のごとく真っ赤な左目。


「魔物の判別方法は……


 それは、この世界で最初に教えられた常識の一つ。


「彼女は、人と魔物の間に生まれた子供なのよ……」

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